同期のA君が言った。「もう、カウントダウンの年齢じゃないか。」
今日で70歳、私も古希を迎える。かれはこの15日に迎えたとか。古代希なり、今では大分様相が違うけれども。
昭和16年5月24日。横浜に生まれる。ルドルフ・ヘスがイギリスに亡命した月、12月にドイツが敗戦濃厚になったころ、其のドイツを頼りに日本は太平洋戦争を始めた・・・・・
昭和20年に横浜で焼け出された。どこかの会社の寮が真っ赤に燃えているのを横目に見ながら、母に手を引かれて防空壕まで走った。あのときの記憶がかすかにあるから、今度の大震災だって不思議ではない?
小学校、中学校、高校、大学、社会人、親の庇護の元、右肩上がりの人生を楽しんだ。
結婚、三人の子達誕生、幸せな家庭、しかし妻の突然の死
少々人生が狂った。60歳で会社を定年退職、それからこの日記とラジオ体操だけは続けている。自分自身のために。現在一人暮らし。平凡かもしれない人生。
戦後、家族主義が廃止された。それに伴って人々の心に変化。兄弟姉妹は生まれたときから他人、結婚すれば親も他人。多分この行き方は今後ますます徹底されよう。
個人個人が大切・・・・それがいいことなのか、悪いことなのか。とにかくこれからは年よりもわが身は自分で守らねばならぬ。それが不安と不安!
最近段々車を運転することを大変と感じるようになってきた。車を時折使ってくれた次女夫婦が関西に転勤。数日前に車の久しぶりの運転もかねて所沢のお墓に行った。
平日のせいもあったか、霊園は閑散としていた。両親と亡妻の眠る墓。
後何年で私も来るのか、と考えながら、大きな感動もなく花を供え、手を合わせた。
東日本大震災。収容所のお年寄りが仮設住宅に移らぬ、という話を聞いた。移れば自分で食わねば為らぬが当てがない、面倒を見てくれる人もいない・・・・震災にもあわず、それなりの収入も確保できているわが身はシアワセと言うべきか。
「六十にして耳順う。 七十にして心の欲する所に従って、 矩を踰えず」
孔子は格好よく言ったけれども、実は矩を踰える元気ももうなくなったのではないか。
夜ガールフレンドのBさんが吉祥寺のフランス料理店パリジャンでお祝いをしてくれた。お祝いをしてくれる人が居る、それだけでうれしい。
テラスのバラが美しい。それにしてもあの地震で日本人は元気がなくなってしまったのだろうか。昔は人であふれていた。シャンソンがいつも流れていた。フランス人のボーイがいた。今日は食事も終わり頃になって一組来たが、それまで客は我々だけだった。二人のボーイも手持ち無沙汰。奥半分は明かりさえ落としている。しかし味は相変わらず悪くなかった。頑張っていると言うところだろうか。
一人だけの我が家に戻る。郵便箱をチェック、パソコンでメールをチェック。子達3人から、お祝いの言葉でも来ないかと期待したが、それぞれの日常に忙しいようだ。母の古希に、やはり吉祥寺にある第一ホテルで食事を一緒にしたことを思い出す。あの時、母はもう車椅子であった・・・・。4年後に他界した。
昼間に詩吟のお稽古があった。相変わらずドレミが正確に言えず先生を困らせている。
年寄りのお稽古の問題点。つい先を考えてしまうこと。こんなことをうまくなっても何の役に立つのだろう。そういえば親父は油絵のセミプロだったが、その残した絵は今では場所ふさぎになっているのみ。しかし、時間つぶし、それをやるだけで自分の生活に活力が生まれるなら素晴らしい、とも感じる。
最後に教えてもらった漢詩。
「雑詩其の一 陶淵明」
人生根帯なし/飄として陌上の塵の如し
分散して風を逐って転ず/此れ常の身に非ず
地に落ちて兄弟と為る/何ぞ必ずしも骨肉の親のみならん
歓を得ては当に楽しみをなすべし。/斗酒に比隣を聚む
盛年重ねて来たらず/一日再び?(あした)なりがたし
時に及んで当に勉励すべし/歳月は人を待たず。
陶淵明は本当はどういう状況で、どういう気持ちでこの漢詩を作ったのだろう。私には前半がフィーリングにあう。しかし後半が大切、進歩を求めて好奇心を持ち続けることはいつまでも大切なのだろう。これから5年、否10年。否20年・・・・。
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