97「小泉首相の訪朝に思う」(9月17日  曇りのち雨)

北東アジアに新しい時代が始まる!

共同声明や小泉首相の談話を聞いてそう感じた。

日本人拉致問題について、北朝鮮の特殊機関による犯行であることを認め、政府が認定した八件十一人の拉致被害者のうち、四人が生存、残りはすでに死亡などと伝えた。このことだけみれば誠にいたわしく、これで一件落着といわれても、素直に受け入れるわけにはゆかない。

しかし北朝鮮が拉致を認めて謝罪した、ということは画期的なこととで、その政策が180度変わったことを示すものと捉えていいのではないか。

国交正常化と経済協力の引き換えに、拉致問題のような遺憾な問題の再発を防止させ、核問題の包括的解決のためのすべての国際的合意の遵守を確認させた。さらにミサイル発射凍結を2003年以降も延長することに合意させた。

北朝鮮側の全面譲歩に近く、まさに日本国民が願っていたことではないのか。拉致・死亡に対する世論の反発は激しいが、今回の小泉首相の訪朝は計算どおりで100%に近い成功だったように思える。諸外国も今回の訪朝の成果を高く評価しているようだ。

独裁国家であることを考えれば、今回の北朝鮮の方針変更は金正日総書記の決断によるものと確信する。するとなぜ彼がそのように決断したか。

金総書記(60)は1942年2月16日に、白頭山密営で生まれた。小泉首相は1942年1月生まれである。ついでのことに私と同じ年代である。

中国の国家主席江沢民(75)、韓国大統領金大中(75)にくらべて際立って若い。

この世代は戦争を知らない。物心ついたとき戦争は終わっていた。

1994年に、父の金日成総書記が突然なくなった。

北朝鮮は、金日成の60年代、対立する中ソ両国の間でバランスを取り、核拡散防止条約への復帰を約束するなど、表面的には波乱は起きていなかった。しかし、冷戦構造が崩壊し、かっての盟友が、市場経済化を推し進める中で、一党独裁体制と国家統制経済に固執し、変化を拒み続けた。その結果、周辺国との経済格差は広がる一方だった。

数年の喪に服した後、金総書記は、父の負の遺産を引き継ぎ、後を次いだ。父から子への体制委譲は、北朝鮮という儒教社会において、奇異なものではなく、また対抗する人物もいなかった。

金総書記に少し好意的に考えると、最初は父の時代から続く高官、特に軍人を中心に物事がきめられたのではないか、と思う。彼はそれに乗っていただけだ。

次第に自分でものを考え指導することを覚えてきた。若いから頭は柔軟である。それに諸外国との交渉から学んだものも多い。

自国がいかに貧しく、経済的な危機に瀕しているかを知った。共産主義が失敗であることを知った。そこで現体制を温存したまま、北朝鮮を発展させるにはどうしたらよいか考えた。共産主義は市場経済導入過程で多くの場合、躓いたが、中国やヴェトナムでは成功している。あのようにできないものか。

おりから韓国は97年に、金大中氏が大統領に就任した。彼の主張は首尾一貫、祖国の平和的統一で、それを「太陽政策」として具体化させようとしている。

米国は恫喝外交を標榜し、従来の政策を続けて、核査察を受け入れないなどといっていれば、イラクと一緒にされてしまいかねない。幸い、米国はイラクとことを構える可能性を考え、こちらがおれれば厚遇してくれそうだ。

中国は北東アジアの平和のために、何度となく説得してきている。

その結果が、日本をとりこみ、経済援助を期待することが得策と考えたのではないか。

拉致問題は1977年から83年ころ、起こった問題である。実は金正日自身が指導した事らしいのだが、国家としてみれば責任をとるべきは金日成総書記である。真実を語ることは、格好悪いし、都合の悪いところもある。しかし過ぎ去ったこととし、謝ってしまう方が得策だ、と考えた。頭の硬い軍人を中心とする金日成時代からの重臣たちは反対したが、押し切った!

もちろん北朝鮮が実際の行動に移すかどうか疑問をはさむ声も多いから、今後の動きを見守る必要がある。特に援助が軍事費や核開発費などにまわるようなら問題だ。

しかし国と国との外交も、人のつき合いと同じようなところがあると思う。タイミングが大切であり、一方的に相手を攻めていればいい、というものでもない。それらを勘案すると北東アジアの平和を狙う日本としては、この機会を感情論だけで投げ出してはいけないのだ、と思う。

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