中国旅行の折、紹興という町に行った。中国流ではシャオシンと読み、人口70万足らずの上海近くのひっそりした町。
口の達者な女性ガイドに寄れば、町の売り物は水に書道に石橋、蘭、そして酒だそうだ。
書道は蘭亭というところがある。紀元353年に名士41人が蘭亭で一同に会し、曲水の宴というものをあいた。曲水を通して酒が回ってくる間に詩を作るのである。それがまとめられたが、序文を王義之という人が書いた。この序文が蘭亭序として有名になり、今でも書道の基本のお手本みたいになっている。ただここは行けなかった。
酒は紹興酒である。寝かせる年代によって味が違うのだと試飲させられた。水は酒に使うキレイな水が取れるかららしい。石橋と蘭は時間がなかったから見ていない。
しかしこの町の呼び物はもうひとつある。「中国の夏目漱石」といわれる魯迅の出身地なのである。そこで魯迅記念館というもの作られ、テーマパークのようになっている。魯迅が通っていた三味書屋という私塾も残されている。味とは歴史を学べば米の味、漢詩を学べば料理の味、諸氏百家を学べば酒の味、それぞれ奥深い楽しみがある、というところから来たとか。しかし魯迅は中国人には人気があるが日本ではそれほどでないのか、多くは所在なげ。私も残念ながら彼の作品は読んでいなかった。
「魯迅(1831-1936)は裕福な家庭に生まれながら、家が革命で没落、医学を志し、東北大学で学んだ。しかし留学途中「体よりも人の心の解決が先。」と考えて革命に貢献するようになった。51歳で他界。ただし妻との愛は浅く、別に愛人がいた。彼女との間の子が昨年まで生存していた。」そんな下世話な話のほうが人気があった。
私は日本に帰り、書店で岩波文庫の「阿Q正伝・狂人日記」を買ってきた。本は「吶喊」という題で1923年に新潮社から上梓されたものである。
「自序」に彼が小説を書くようになった経緯がある。仙台で医学を学んでいた彼が、ある中国人がロシア人のスパイとして働いた、として日本軍の手でみせしめに斬られるスライドを見る。これがガイドが言っていたきっかけになり、雑誌を出そうとするが失敗する。いいようにない寂寞感の中で友人の薦めに従い、小説を書く気になった。これが最初の作品「狂人日記」となり、以下薦められるままに書いたものを出版することになった、とある。
「狂人日記」はゴーゴリの作品から着想を得たらしい、とある。周囲の人間が自分を食うかも知れぬ、最後には自分が他人をも、という被害妄想を中心にすえて描かれている。「中国の古い社会制度、特に家族制度とその精神的支えである儒教倫理の虚偽を暴露することを意図する・・・」と解説は言うが、どうも判然としない。
「故郷」は、日本の教科書にも採用されているというからそれで読んだことがあるのかも知れぬ。魯迅は1919年の末に、帰郷して家を整理し、一家をあげて北京に移住している。其のときの体験を下に加工したものらしい。幼い頃中のよかった男の子が、出世した彼の前でひどく卑屈になり、疎外感のようなものを感じるところがよく描かれていると思った。巻末の竹内好解説に寄れば「過去と現在、自と他、願望と挫折などが主人公「私」の行動において統一され、破綻のない未来性をもった作品世界が構築されている。」
「阿Q正伝」は、作者の代表作。これ以上ないくらいの下層の人間を縦横無尽に活躍させ、其のプライドの高さ、時代の波に飲み込まれてゆく様、身を滅ぼしてゆくさまがなかなか良く描き、農村社会の問題点を浮き彫りにする形になっている。モデルは子供時代のルンペンの友人であったとか。それなりに読み応えがある。
「小さな出来事」は、自分の乗った人力車が老婆を倒した。車夫はしきりに老婆を気遣うのだが、自分は老婆が怪我をしたとも思えぬし、ほかに誰も見ていないのだからおせっかいな奴だ、と感じた。しかし車夫は、私の言うことを聞かずに老婆をいたわりながら派出所を目指した。そのとき私は車夫に威圧めいたものを感じ、それが私の「卑小さ」を搾り出さんばかりにした。それだけの作品だが作者の己に対する正直さが感ぜられた。
そのほか「孔乙己」「薬」「明日」「端午の節季」「白光」「あひるの喜劇」など中国庶民の生活の一段面を描いた風景描写にも近い小品がめだつ。
魯迅はウエブサイトにはずいぶん取り上げられている。また中国では非常に評価されているらしく上海には「魯迅公園」などというものもある。しかし作品自体、情景描写には優れていると思うが、物語として面白いか、といわれればそれほどでないようにも思う。どこかのサイトにあったが多分に「神格化」された一面があるのかもしれない。
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