俳句とは、何か、と改めて聞かれると分からぬ。
分からぬが、私流に解釈すれば、575、17字の中に自分の思いや情景をぎゅっと圧縮して詰め込み、詠むものに何かを感じさせるものと解釈すべきか。
想いや情景を心行くまで説明しようと思えば、本一冊かも知れぬ。それを17字、しかも季節を感じさせて・・・・・まさに制約された中での情報伝達の極地というべきか。お茶の極地が二畳の茶室みたいなものだ。和歌はその制限を少しばかり緩めた、つまり説明できる幅を31時に増やしたと解釈すべきか・・・・・・。
妙なことを述べたが、古文書研究会でAさんの持ち込んだ句合わせを読んでいる。何でもAさんのお宅の蔵から見つかったもので、ご先祖が関係していたらしい。それをコピーして7月10日、9月10日の二回に分けて半分ほど解読した。
句合わせとは、歌合わせにならって、左右に分かれて発句(ほっく)を作り、優劣を競うものである。すべてが夏の句であるから夏に、小田原で行なわれた句会の記録と解釈すべきか。主催者は、周囲に押してある判から類推して芭蕉の門人のそのまた門人くらいに当たる人が関係しているかもしれない。読めぬ字もあるし、投げやりな句もあるがまとめてみたい。
# 夕涼み 阿婦(あぶ)なき橋を 渉りけり
# 掛橋や 月の涼みの 行戻り
# 高波に 誘引出さ連天(おびきだされて?) 夕涼み
当時の夏の田舎の夕方の散歩の様子が活写されているように感じた。
# 山川を 覗天(のぞいて)咲くや 百合の花
# 上野より 覗くや直に 蓮の花
# 壱里に王(は) 余る峠や 百合の花
これものどかな情景。「下野より 覗けば身ゆる 白い脛」・・・・セクハラ!
# 我が里盤(は) 絶る人なき 田植哉(かな)
# 泰平の 沢沢ま天(で)も 青田哉(かな)
当時の平和な農村の様子が感じられる。
# 花芝居 座敷に阿満累(あまる) 暑(さ)哉(かな)
「はな」はご祝儀の意で、花芝居とは木戸銭をとらないで、客からの祝儀を収入源として上演する芝居。昔はこんなものが沢山あったのか。
# 拾七の 後呂(ろ)姿や 今年竹
「七十の 後姿や 曲がり竹」と言ったものがいた。これでは句にならぬ!
# 川舟や 日傘乃(の)見由(ゆ)る 十三里
十三里は「栗(九里)より(四里)うまい」のしゃれ、さつまいも。また、焼き芋。作者は川舟の女性たちを見ているのか、川舟に乗って、岸の女性たちを見ているのか。
# 地下乃日盤(直の日は) 分天も(わけても)暑き 思いかな
変体かな、というと当てはめる字がいくつかに決まっているように感じるが、このように自由で万葉仮名よろしく当てはめている例もある。
# 涼左や(すずしさや) 隣の笹乃 覗く時
こういうのを観察が鋭い、というのかも知れぬ。
# 近近に 雨の空なり 啼く水?(すいかん)
すいかんが啼くと雨が降るという言葉があると言う。すいかんがどういう鳥かわからぬというが、私は水にいるツルではないか、と思う
# 火取虫 座を左王可せし(さわがせし) か以も無(かいもなし)
これも面白い。虫が明かりを求めて集まってくる、人々は驚く、しかし虫はまさに「飛んで火にいる夏の虫」であえなく絶命。
# 簀(す)に干した(すにほした) 塩魚匂ふ 暑かな(あつさかな)
いかにも海辺の町らしい句。
# 明る夜と き川よく(きづよく)出るや 蓮見人(はすみにん?
# 人顔の 志連ぬ(しれぬ)うちから 蓮見かな
蓮の開花を見に行く習慣が昔はあったらしい。もっともあれは咲くとき音はしないそうだ。
# つみも苦も 志良ぬ振奈り(しらぬふりなり) 踊かな
まさに阿波踊りの精神はこれか。「お祭りサンバ」を思い出す。
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