六 ガウデイと商売

バルセロナはなんと言ってもガウデイ。
彼は一八五二年このカタロニアで生まれ、バルセロナ建築学校に学んだのち、一九二六年交通事故で亡くなるまで、あのイスラム系デザインの影響の見られる独特の作品を作り続けた。
彼が建築家として働き続けた影には、資産家グエル家の保護があったことも忘れてはならない。
まずはサグラダ・ファミリア。「天空に向かう」ということでは各地の大聖堂と同じ概念なのだが、それをあの独特の膨らみのある八本に塔に纏め上げた芸術感覚がすばらしい。また御誕生門のキリスト降誕をあらわす塑像も壮大な感じを与える。

工事は一八八三年にガウデイが設計責任者となり、彼の死後も続き、一時中断されたが復活し、今も続いている。しかも二一世紀になってもまだ完成しないとのこと。
戦火をさけながら昔ながらの工法で行うのなら、トレドやミラノの大聖堂みたいに時間がかかってもおかしくない。しかし、技術の進んだ今、こんなにのんびりしているのが、不思議だ。
しかし行ってみて納得した。最近資金不足らしく、工事は数人で細々と、やっているだけらしい。
建築資金を得ようと入場料を八百ペセタと思い切り高く設定している。しかし商売気がない。
まずイントロが悪い、工事現場みたいなところを延々と通って行かないと目的の塔まで行けない。その間に案内人もいない、エレベータがあるのだが止まっている等々。これでは入れと言う方が無理だ。
なんとなくもう「情熱はなくなったけれど、観光客も大事だし、最初に決めたことだし、ゆっくり焦らないでやりましょうよ。」という当局の心底が丸見え。
ふと、日本人だったらどうするだろう、と考えた。
さっさと完成させて、世界の有名人を呼んで完成記念パーテイでも開き、ガウデイ饅頭でも売りだし、観光会社と組んで訪問ツアーなど組んで早々と資本回収をはかろうとするのじゃないかと思った。宗教に対する冒涜と言う人もいようが、それくらいの才覚があってもいい。
「ねえ、階段登って見ましょうよ。」
「うん。これかな。」
狭く、人の交差することすら難しい螺旋階段が、どこまでも続いている。苦労して階段を登り、建物の隙間から眼下のバルセロナを眺めて喜んだ。
コナンは反対側からおかしな奴が来たらどうしようと気をもんだ。サユリは、下りて来た時、目が回ってしまったのか、身体の不調を訴えた。
もちろん、観光バスはこんなことはしない。向かいの公園にある池の向こうに行くと、建物全体も御降誕門側から見渡せ、カメラアングルもいい。だからそこで見物させ、写真を撮らせただけで済ませてしまう。
グエル公園。入口に建っているピエロみたいな塔と、その足下にある巨大カメレオン風の置物が魅力だ。
山を登って行くと所々に泥を積み上げたような感じの柱が建つ回廊がある。そして波模様のガウデイらしい手すりのついた広場。
しかしこれらを除くと後は何もない。どんどん登って行くと丘の裏手、犬を連れたお年寄りがのんびりと散歩していた。ここも「お弁当を持ってハイキングのつもりで行けばよい。」と言えば聞こえは良いが、人気の割に商売上の工夫がない公園である。
そのくせ入口のトイレには、しっかり、オバサンをおいている。スペイン語の出来ぬ日本オバサンが「いくら渡したらいいのかしら。」とひそひそ。

グラーシア通りにあるカサ・ミラは輪郭を形成する緩やかな線と、屋上にある妙なモニュメントが一体となって、全体何かしら生物のような趣を与えている。アパートかオフィスとして使われているようだ。
表面に見える線を曲線にして、何かしら変わった雰囲気を与える方法は、同じ通りにあるカサ・パトリオにも見られる。ただしこちらは公開していないから、外から写真を撮るだけ。
ガウデイの作品の中で、一番商売熱心だったのは、夕方近くになって訪問したグエル邸だった。ここは一応パンフレットが用意され、ブロック単位に分けて入場させ、一応若い女性の説明がつく。一応と言ったのは、若い女性の英語の説明なるものが非常にわかりにくく、イギリス系も目をぱちくりと言った状態のようだからだ。
「私たちの英語も外国人から見たらこんなものなのかしら。」
とサユリが心配していた。パンフレットの方の英語も同様、サユリがホテルに持ち帰って研究したが「何を言っているのかわからないわ。」
またこの建物、この前来た時は、屋上にあがれなかったし、あんなに沢山煙突はなかった。ところが説明を聞いて驚いた。
現在は、全部で二十四本あるが、バルセロナオリンピックの時に一本を除いてすべて新しく作りなおしたとのこと。「でももともとあったのが壊れていたのですよ。」と言っていた。しかし友好のシンボルとか言う蝙蝠を飾るなど、ガウデイのアイデアにはなかった物も入れているようだ。
そう言えば、カサ・ミラの屋上の設備もやけに新しかった。あれもオリンピックの時に建て直した代物なのだろうか。そうなると一体どこまでがガウデイ?
サユリの「でもこう見てくると、この町はガウデイ様々だわ。もっとガウデイを大切にして、生かすことを考えないと・・・。」と言う感想は当たっていそうだ。
最後にガウデイ作品についての感想。
我々は線というとついまっすぐな物を想起し、後は円くらいしか考えない。そこに一見不合理な曲線を取り入れたところに、ガウデイの魅力があると言える、のじゃないだろうか。

七 バルセロナの夜は更けゆく


サユリが「スペインでフラメンコを見ないなんて事は無いわよねえ。」と言ったとき、コナンは実は気が進まなかった。
新宿のエル・フラメンコや、昔、セビリヤで見た時の事を思い出した。
恋心にどうしようもなくなって「私どうしましょう、どうしましょう」という感じのあのエクスタシーにも似た踊りに、共感を覚えぬ事はない。
しかしあれを飯を食っている前で披露されると、飯とほこりを一緒に食っているような気分になってどうも落ち着かない。
さりとて彼女に「やめよう。」とも言えぬから「バルセロナで・・・。」などと適当なことを答えてしまった。そのバルセロナ、もうカンヌかニースで、と逃げるわけには行かない。まして
「もうスペインも最後ね。一生来ることがないかも知れないわ。」
「チャンスは生かさないといけないのよねえ。」
などと殺し文句を言われてはアウト!
そこでホテルを通じて近くにある「コルドベス」を予約した。食事つきで七八〇〇ペセタ。少し高い気もするが紳士のメンツ、やむを得ない。

八時に来いと言うので十分くらい前に行くと一番客。
食事は、バイキング形式。ショーの時は席を移ると聞いて、ほこり入りの飯にはならずに済みそうだとひとまず安心。
料理はバイキングとは言いながら、なかなかおいしい。特にパエーリヤが絶品で、マドリッドで食べた物は飯が堅めだったが、こちらは柔らかめ、しかしサフランの味のせいだろうか、ひどく良いお味だ。海産物主体の外の料理もまずまず。ビールとサングリアをチャンポンにしながらこれを味わう。
そのうちに食事のテーブル席がぼつぼつ埋まりだしたが、せいぜい二十人か三十人。ショーは、お座敷ショーみたいにこじんまりした物になるにちがいないと考えた。
ところがこれが大間違い。九時半近くなると、次から次へ団体で欧米人が見物だけを目的にやってくる。店は気を利かせて、食事客の席は最前列に空けておいてくれたが、コナンとサユリが席に着いた頃には、狭いステージを客が十重二十重に囲み、立ち見席が出来かねない程の混みよう。
その中にシャンパンが配られた。
コナンうっかり小さなテーブルにのばした手で、後ろのアメリカさんらしき老婦人のグラスをけ飛ばしてしまった。ガチャン!
「おお、ソーリー、ソーリー」
ボーイに向かって「エクスキューズミー、ポル・ファボール」など通じそうな言葉を並べたてるが、ボーイはわかったと言う様子を示すだけでこちらに来ようとはしない。それはそうだ、これだけ混んでいちゃ、ボーイの足の踏み場がない。
そのうちショーが始まった。幸いアメリカ亭主が気がよくて「ネバー・マインド」と言ってくれたからよかったものの、冷や汗物だった。
さてショー。さすがにうまい。男役が自慢の喉を張り上げ、タップを踏めば、豊満な女性ダンサーが胸を揺らせ、腰を振るわせ、カタカタとタップを踏んで答える。ちらりとのぞく裾、そっくりかえる胸、結構この上なし。
ただし、そのたびに彼女のスカートの幾重にも重なった裾が、右に左に床を掃くように動き、ほこりを最前列のコナンに向かってばさり、ばさり・・・・。
「ガオーッ!」(コナンもサユリも付け焼き刃のスペイン語ではこうとしか聞こえない。)
カタカタカタ・・・・・。(タップの音)
バサリ、バサリ・・・・・。(裾の床にすれる音)
コホッ・・・・。
「オーレーッ!」
かくしてバルセロナの夜は更けゆく。後ろの女性のシャンパンの補給は最後までありませんでした。

八 フリクション


昨日町であった二人の会話。
「お腹がすいたわ。さっきあそこのレストランに入ればよかったのよ。」
「だって美術館にゆこうって言ったじゃないか。」
「ねえ、その前に一度ホテルに戻らない。」
「おかしな事をいうなあ、いつもは全部回ってから戻るって言う主義なのに・・・。」
「おトイレにゆきたくなっちゃったの。」
「え、それなら美術館で行けばいいじゃない。」
「またおトイレおばさんがいるんでしょう。五○ペセタももったいないわ。」
「そんなところでケチケチするなよ・・・。」
「でも・・・・。」
今朝、ホテルで
「洋服を着てから顔を洗うの。」
「そうさ、きちんと洋服を着て神聖な気持ちで鏡に向かう。」
「髭をそるのは顔より先なの。」
「そうさ、顔を先に洗うと髭が柔らかくなってそりにくくなる。だから後からにするのさ。」
「口を洗うのは一番最後なの。」
「そうさ、これで朝の儀式が完成なのさ。」
「口を洗うのは先の方がいいわよ。歯磨きの入った水が垂れちゃうじゃない。」
「うん、でもうまくやれば問題無い。」
「今日はパンツは洗ってたみたいだけれど、シャツは洗わないでいいの?」
「うん、あっちは二日に一回くらいでいい。ところでズボンは洗う必要ないかなあ」
「だって洗ったら乾くまで時間がかかるじゃない。目立たない色だから大丈夫よ。」
「でも君はパンツは毎日洗えって言うんだろう。思想が一致していない。」
「変だわ。どうもあなたのやること、みんな私と反対だわ。」
みんなつまらない話である。
中年以降、それまで互いに独立して生活してきた男と女は、それぞれに生活スタイルみたいなものを持っていて、正しいと信じている。そのスタイルと違うと、なんでも間違いに見える。
外国旅行は、多額の金と苦労して取った休暇を使って来ているいるわけだから、できるだけ自分の好きなようにやりたい。そんなこんなが仲のよい二人であっても、時に対立という構図を生む。
それがちょっと深刻になってくると、「ねえ、私、あなたとうまくやってゆけるかしら。」ということになる。
「でもね、男と女の関係なんて対立のない方がおかしいと思うんだよ。それは若い時は片方がほれていてあばたがえくぼに見えるのかもしれない。しかし分別のついた中年にとっては、あばたは、やっぱりあばたさ。
ところが、じゃあ、あばただから関係は解消しましょうか、と言うと、そうもゆかないところがある。一人でいるのはやっぱり淋しいもの。だからそれをあばたと心得た上で、なおかつ仲良くしていくよう努力するより仕方がないんじゃないかなあ。」
「そうね。でも、なんだかロマンがないのねえ。」
「でも仕方がないだろう。しわはしわとして・・・。」
「もう、知らない!。自分だっておなかがダブダブでしょう。」
「ねえ、今回ね。僕は日記を今までと少し違ったスタイルで書こうと思っているんだ。それでタイトルが必要なんだけれどね。決まったよ。」
「どうするの。」
「漣ってしようと思う。二人の間には漣がいつもたっているけれど、それを乗り越えてやってゆこう、っていうような意味さ。」
「難しいわねえ。あら、そんなところに、ワイシャツが脱ぎっぱなしにしちゃだめよ。」
「ま、いいじゃない?」
「散らかるじゃないの。しょうがないわねえ。貸しなさいよ。私が洗うから・・・。もう、お酒飲んだら何にもしないんだから。」
「こちらにパンツと靴下があるから、これも頼むよ。」
「母はね。父の面倒を徹底的に見たのよ。その結果がどうだったと思う?母が弱ってくると、父は何もできないのよ。私、これは反面教師だと思ったわ。自分で洗いなさい!」

九 ミロ美術館

「バルセロナはガウデイ」と書いたけれど、外にもすばらしい芸術作品がある。
昨日はその代表「ピカソ美術館」に行った。
ピカソはマラガで生まれたが、父にしたがってバルセロナに住み、同地で学んだ。「青の時代」は、バルセロナ時代に対応し、この美術館に作品が多い。
一九〇四年以降、パリに定住、ばら色の時代を経て、ブラック等の影響を受けキュービズム作品を生み、二十年代以降は新古典主義、三十年代以降はシュールレアリズムの影響を受けた。第二次世界大戦後はプーサン、ドラクロア、ベラスケス、マネなどの作風を取り入れた連作を多数制作、陶器や版画にも強い興味を示した。
この美術館には初期の作品の外、中年から晩年にかけての作品も多く、全体的に見られるように配慮されている。特にベラスケスの作品を元にして描いた「マルガリータ王女」やその作品制作過程に感激した。
今日は「ミロ美術館」。
ホテルを出て、グエル邸の前の道を西に十分くらい行くと、モジュイクの丘に登るフニクラの駅に出る。ただし大変のんびりしていて、フニクラは一一時に運転開始。美術館は登り切って少しのところにある。
白いコンクリート製のしゃれた建物である。入口にブロンズ製の火星人の像。
「あら、かわいい!」
ひらべったいユーモラスな顔、でも本当の魅力は、紳士淑女のコナンとサユリはあからさまには言わないけれど、へその下でそっくりかえるように突き出ているおチンチン。
中に入ると多様なミロ作品がずらり、多様な、と書いたのは彫刻あり、織ったものあり、オブジェありなどで絵画だけとは限らないからだ。
「自由に発想して、自由に作っているところがとてもすばらしいと思うわ。」
「うん、ただその自由というのは基本を十分マスターしてその上にえられたものなんだね。
僕も陶器で彼のスタイルを真似ようとしたことがあるけれど、自由に作っていてはとてもああは行かない。」
ミロは一八九三年生まれでこのバルセロナ出身、一九一九年にパリに出て活躍、パリ万国博覧会のスペイン館に、ピカソと並んで大壁画を制作、国際的に注目された人である。
ガラス戸越しの、テラスに、尖り頭の人間のようなブロンズがおいてある。そのはるかむこうにバルセロナの町が広がってみえる。
屋上に出ると、金属に赤、青、黄色などの原色を派手に塗ったオブジェが置いてある。シュールレアリズムの面目躍如だ。
オブジェは子供のようだったり、灰皿や信号機の様だったりするのだけれど、不思議に乾いたコンクリートの床や壁にマッチしている。コナン、早速まっ赤に塗った女の尻のオブジェを抱き込むようにして、サユリに写真を撮れとせがむ。
帰りに、おみやげ屋をのぞきながら、彼のあの斬新な模様はきっとスカーフやTシャツにぴったりだろう、などと考えた。

十 人生は楽しいがポイント


ランプラス通りは、今日もにぎわっているが、特に大道芸が面白い。
コナンは、夕べ、午前二時ころ、あまりうるさいので寝られず、起き上がって自室のバルコニーから覗いてみると、竹馬にでも乗ったらしいのっぽ男が踊っていた。
昼間も二十メートルくらいおきにインデイアンのように身体を茶色に塗りたくり、目一つ動かさないでこちらの様子を見ているのがいたり、手品を見せていたりする。
「目立ちたいだけなんだろう。あんなことやるより、スピーカーで盛大にヤスキブシでも流して、このバルコニーで裸踊りでもやった方が人は集まるさ。」
「どうやってお金は集めるの。」
「紐のさきに籠をつけてさ、下に降ろしてやればいいじゃないか。」
「じゃ、やったら・・・・。」
「君がやったら・・・・。バルコニーでがんばる日本女性なんてヒットするよ。」
そのランプラス通りをホテルから少しカタルーニャ広場の方に歩いてゆくと左手にサン・ジュセップ市場がある。
果物、野菜、肉、魚、チーズなど食料品がたんと売られているが、中でも目立つのが魚。バルセロナはやっぱり漁港なんだという思いを新たにする。
その魚を使った料理は、やっぱりうまい。
市場の奥に「ガルドウーニャ」という小さなレストランがあった。
小さなイカの炭焼きが、肉が驚くほど柔らかくおいしかった。一緒に取ったえび入りトルテイージャも絶品。トウモロコシやジャガイモを使っていないせいか、卵焼きそのものの感じがした。
うまいもの、といえばもう一件、港近くの「シエテ・ポルタス」という店に行った。ここも海産物がうまいことで有名らしい。
コナンはイカ墨ごはんを食べたけれど、量も味もすばらしかった。日本で食べるイカ墨ものは、単に黒いだけの気がするが、使っているイカ墨が新鮮なのか、量が多いのか、磯の香りがほのかにし、実にうまい。
サユリが取った「サーモンのソテイ」もすばらしく、彼女は「「魚耕」の鮭の切り身はこの半分もありはしないわ。」と家近くの魚屋の品を引き合いにだし、妙なところで感心、味の方はなぜ誉めないのだろう。
「タパス料理というのを食べてみたい。」とサユリ。
小皿料理のことで言ってみればヤムチャみたいなものだろうと、最後の夜に、ランプラス通りに面した一件に入った。
せまい店内はひどく混み合っていて、ボーイもそっけない。入口近くの椅子に座ると、一五〇キロはあろうかと思われるおばさんが、二人の隣にやってきて、こちらに尻を向け、椅子をぶつけてきた。コナン、面白くないから椅子を軽く蹴飛ばしてやると、一つ離れた席にうつった。
それにしても良く食うもの、サングリアを片手にばんばんやっている。腹なんかどうだ。ありゃ、日本の相撲取りじゃないか。
料理?そりゃあ、まあイカなど使ったサラダはそれなりだけど、うまいというほどでは・・・・。
ホテルに戻る。
「飛行機のリコンファームはしてくれましたか。」
「申し訳ない。バルセロナ空港がストライキでKLMオフィスが何度やってもでないんですよ。」
やれやれ、またか。この前グラナダに行ったのは一月二日だった。ところが鉄道がストライキをやっていた。聞いてみたら
「たいしたことじゃないですよ。労働組合は賃上げなんか要求してますけれどね、本当は元旦と二日を連休にしたいんですよ。明日になれば要求をひっこめてストを解除します。」
今回もこの伝かな。こんな、ストライキ、日本でもやらないかなあ。
仕事はともかく人生を楽しむことだけは熱心に見えるスペイン人。それもまた楽しからずや。