十五 カンヌはどしゃぶり


ブドウ畑の点在する内陸部をしばらく通過した後、列車はサン・ラファエルを過ぎると海岸線を走りだした。
列越しの四人席には若い男が一人と女が三人、男の隣の女性がホットパンツの尻をこちらに向けて男に甘えている。隣の席は学生風からいつの間にか一人旅らしい女の子に変わった。TGVとは言いながら、何となくリゾート列車。サユリは大分回復したがうつらうつらを繰り返している。コナンは推理小説に余念がない。
お昼頃、カンヌ着。マルセイユで、ヴァンドームホテルというホテルを予約した。鉄道の北側アルザス通りに面している。
庭の奥に、外壁が白く化粧された、一九世紀風の三階屋があった。ぼってりと太った尻尾の太い虎模様の猫が、面倒くさそうに脇にのいた。
呼び鈴を押すと、玄関があき「いらっしゃおませ、さあさ、ようこそ。」と四十五、六くらいかと思われる丸顔のオバサンが出てきた。ガイドブックに書いてあった日本人奥さんで、真っ赤なドレスを着ている。
「スタンダードと言うことでしたが、それでいいですか。」
コナン、急に気が変わって
「特別室があいているなら、そちらにして下さい。」
あわてて奥さんがご亭主に声をかける。
「ダニエル!ダニエル!」
階段を上がったところにある二号室が、あてがわれた部屋。
うす緑色縞模様のクロス壁がはられ、天井からはミニ・シャンデリア、エアコンがつき、壁に花の細密画がかかっている。あの奥さんの趣味なのだろう。サユリはすっかり気に入った様子。
一服し、奥さんに教えられたすぐ近くの「パパニーニョ」なるイタリアンレストランで、スパゲッテイの昼食を取った。
駅前に出て、バスでヴァロリスにあるピカソ美術館に行くことにした。
この前行った時に「人生が楽しくなるような」ピカソの陶器が沢山展示してあり、感激したからだ。
ただ、内心ではひやひや、ヴァロリスはカンヌから山一つ挟んで内陸にあるのだが、曲がりくねった坂道を大分登る。サユリはだいじょうぶだろうか。
幸い何事もなかった。ところがあの面白い陶器がほとんどないのである。
いろいろ聞いてみると、どうやら東京でピカソの陶器の展示会をやるのでそちらにかしだしているとのこと。
それでも礼拝堂にある「戦争と平和」と町の広場にある「羊を抱く少年」だけは鑑賞する事が出来た。前者は作者の自由な筆の使いぶりに感動する。
ところで世界にピカソと名の付く美術館は、四つしかないのだそうだ。今回見たバルセロナとここヴァロリス、それにパリ、もう一つがここから行けるアンテイーブにある。よほど行こうかと思ったが、サユリの体調を考えてやめにした。
付近の喫茶店でお茶を飲んでいると、雨が降りだしてきた。三時半のバスで帰路につく。雨はカンヌのバス停についた頃には本降り。
ちょっとだけ歩いたクロ-ゼット通りは、水浸し、ビーチパラソルとデッキチェアーの並ぶ海岸に人影はなく、いつもは青いはずの海はもやがかかったよう、高級ブテイックの軒下では観光客が雨宿りをしているといったところ。コナンとサユリもずぶぬれになってホテルに戻った。
奥さんの話によると、こんな雨が降るのは一年に一度か二度なのだそうだ。
今日は雨を見ながら、買ってきたパンとワインで夕食を取ることにする。栓抜きはご主人に頼んで貸してもらった。
「じゃあ、乾杯!」「乾杯!」
コナン、とにもかくにもサユリの胃の復調に一安心。

十六 サント・マルグリット島



カンヌの沖合いにある二つの島がレラン諸島、手前がサント・マルグリット島、奥がサントノラ島、もちろんコナンは前回来ている。特にサントノラ島には修道院、その経営するぶどう畑、今は住む人もいない古城があり、気に入っていた。今度も行きたいと考えていた。
しかし奥さんが話していたとおり、安全上の問題が解決していないのか、サント・マルグリット島行きのみ、出ていた。旧港から二○分ほど。乗客はそれほど多くはない。
全島、松などの樹木に覆われた島、マルセイユのフリオル諸島とは大違いだ。
島を降りて海岸沿いに左手に歩いてゆくとすぐ五角形の城砦。ここは長い間監獄として使用されており、デユマの「鉄火面」(あるいは最近の映画「仮面の男」)のモデルとなった謎の仮面の囚人が、捕らえられていたところ。
入口にいくらと書いてあるが、番小屋は廃虚になっているので自由に入れる。中は体育関係の宿泊施設か何かになっているようで、トレパン姿の若者が不審げにこちらを眺めている。
展望台から海と向こうのカンヌの町を眺めてサユリ
「うわー、きれい。でもこんなところに閉じ込められて向かいの町が見えるのにどうしようもないなんて悔しいでしょうね。」
海岸沿いの松林をどこまでも進んで島を一周しようと考える。船は午後にならないと来ない、と言っていた。
松林、足にやさしい土の道、対岸にカンヌの町、青い海、沖にはヨットと水上スキー、白い岩肌、どこまでも澄んだ水、押し寄せる波、すばらしい景観である。
人影はふと不安を覚えるくらいにない。歩いていて実に楽しい。朝、サユリが磨いてくれた靴が泥だらけになった。
「こんな生活続けているとふやけちゃいそう。のんびりするわあ。」とごきげんなサユリ。
十一時半ころ人っ子一人いない岸辺のベンチで沖を見ながら、出掛けに市場で買ってきたジュース、水、クロワッサン、ブリオッシュやらを取り出し、昼食。快晴だが暑すぎるということはなく、時々頬をなでる汐風が心地よい。
昔、コナンは某社の男とヨーロッパの廃棄物の処理調査で来たときもこの島に来た。その時は海水パンツ持参で泳いだ。疲れると浜に上がり、木陰に行って小便をたれた。
「どうしてこんな島に来たの。」
「フランスの会社との技術交流の一環だったんだ。どこを調査しますか、というからそいつと相談したんだ。なるべく面白いところにゆこう、モナコに都市型の清掃工場があるじゃないかと言うことになった。モナコに泊り、その帰りによった。でもいいところを出張先に選んだろう。」
「パリも行ったの。」
「もちろん。その上清掃工場見学の合間に、バトームーシュに載せてもらって、セーヌの夜風にふかれ、豪華デイナーをごちそうになった。」
「じゃあ、観光旅行気分ね。」
「いや、いや、そんなことはない。向学心に燃えて・・・・。」
「うそ、おっしゃい。!」
島の先端を回ると、今度はサントノラ島と修道院の塔が見えてきた。
浜で泳いだり、岩陰で水着姿で憩っているカップルが時々見られるようになった。
「下に降りて水に足をつけないか。」
「私は遠慮するわ。あなた行ってらっしゃい。」
サユリは、肌が弱いからとパラソルを放さず、ブラウス・パンタロンスタイル、コナンは黒のポロシャツにうす緑色のズボン、どうもこの辺の様子にマッチするとは言い難い。
赤い実をたくさんつけた木があった。ふたたびカンヌの町が見えてきた。
石の塀をめくらした私有地があった。こんなところに住む人がいるのだろうか。池があった。ここだけがなんとなく異質の風景を作っている。
いつのまにかもう二時。一緒にやってきた日本人OLらしい二人組みが、浜にござをひいて寝そべっている。埠頭まではもうすぐだ。

十七 おみやげを買う

サントマルグリット島から帰りの船の中。
「その靴で、クローゼット通りの高級店に行くわけにはゆかないわ。」
「しかしホテルまでもどると、往復で三十分かかるぜ。疲れちゃう。」
「しょうがないわねえ。じゃあ、これで拭いて。」
とサユリ、テイッシューを取り出しコナンに渡す。
「だいぶきれいになったろう。」
「そうね。」
「あとは高級店の絨毯の上に擦り付けてくればいい。」
埠頭におり、ぶらぶらと歩くが、なかなか行く先が決まらない。いらいらとサユリ。
「一体何を買うの。」
「娘のバッグやら、息子のネクタイやら・・・・。」
「そう・・・・。」
「いや、いや、サユリちゃん、何がほしい。まずそれを選んでから、そいつを基準に決めればいい。」
それなら、話はわかると納得したのか、サユリ、突然のご機嫌。
「じゃあ、いそぎましょう。」
サユリに言わせると、カールトンホテルを始め、豪華ホテルが立ち並び、浜はほとんどが有料ビーチになっているクローゼット通りの店は、どうも敷居が高くて行けない。エルメスはお高い感じだし、セリーヌは、皮製品しか置いてない。「見るだけで出てくればいいじゃないか。」と言っても、どうも気後れがするらしい。
高級店を前にして、庶民のとる態度は面白い。気後れがするタイプもいるが、開き直るタイプもいる。店員がおずおずと「何かお捜しでしょうか。」などというと「ジャスト・ルッキング!」と怒ったように言う。
コナンが知っている某女は一枚上手。エジプトで店員に二○万、三○万の絨毯を持ってこさせ、散々説明させた後「すばらしいわね。でも私のご予算、五千円なの。ごめんあそばせ。」とやった。
コナンとサユリは、結局大衆的なアンテイーブ通りで選ぶ事にした。サユリにハンドバッグ、娘にカジュアルバッグ・・・・
それにしても思うのである。旅の予算に占めるお土産の金額の高い事。下手をやるとすぐ二割、三割当たり前。旅というものは本来それ自体を楽しむべきもので、お土産などほんの小遣いで買えるもので良いと思うのだが、あまり安いものを買ってかえると使ってもらえないし、旅の余韻を楽しむために、自分用に酒やチョコレートも買いたいし・・・。
ホテルに戻る。
「お土産を買って、なんだか一仕事終わり、解放されたみたいな感じがするわ。」
「義理は立つ、というところかね。」
「そうね、結局は海外に出て一時自由になったつもりでも、人間は結局しがらみですものね。」
「しがらみね。うっとうしいね。」
「でも・・・・ハンドバッグをありがとう。」
サユリ、にこにこしながら今日もコナンの靴を磨き出す。

十八 奥さんの主張

「観光ですか。」
「ええ、マドリッドからバルセロナ、モンペリエ、マルセイユと列車で渡り歩いて来たんです。」
「どのくらい?」
「二週間の予定です。この後、ニースに行きます。」
「こちらは初めてですか。」
「いや、私は三度目くらいです。でも彼女ははじめてなんです。」
「じゃあ、ご主人がガイド役ですね。ご夫婦で二週間の旅行なんてうらやましいですわ。」
「いや、いや、僕らは連れ合いをお互いになくした同士なんですよ。」
「そうですか。でもいいですわね。」
「奥さんのご出身は?」
「名古屋です。いまでもしょっちゅう電話連絡していますわ。」
「こちらに留学に来ていて、今のだんなさんを見つけたというか、そんな話なんですか。」
「いや、そこのところは、いろいろな話があるんですよ。」
「お子さんは・・・。」
「ええ、一人息子が十四歳なんですよ。もうお二人のお子さんはいいんですか。」
「ええ、みんな学校出て就職していますから。僕はもうおじいちゃんですよ。」
「私も娘が最近結婚したんですよ。」
「おや、まあ、そんなお歳にはみえませんよ。」
「ありがとうございます。この建物は大分古いのでしょうね。随分よく手入れされておられますね。」
「もう、建てて百年にはなるでしょう。歴史記念物に準指定されているんですよ。ほら、クローゼット通りにカールトンホテルがあるでしょう。あそこが建てられたときに、五百メートル以内の価値のありそうな建物は指定されたんです。」
「もう、こちらには長いんでしょう。」
「ええ、ここで、はじめて十年にはなりますよ。」
朝食のコーヒーを入れてくれたあと、奥さんはうちとけて、二人といろいろな話をしだした。昨日の朝、ピアノのある食堂でのことである。
今日は天気が良いからと庭にしつらえられた白いテーブルで食事。椅子の上で、惰眠をむさぼっていたあの尻尾の太い猫君は、追い出された。
「ホテルは日本の旅行業者がおすすめリストを持っていてそこから選んだのですよ。カンヌだけ、予約を入れてなかったものですから、ニースから「地球の歩き方」に載っているこちらに電話を入れたんです。」
「そうですか。それはありがとうございます。」
「このホテル、日本の旅行業者にもっと宣伝したら良いんじゃないですか。」
「そうねえ。」
「というと・・・?」
「日本人は、フリーで旅行するって言うケースは少ないんですよ。それに電話で予約が入っても、来ない時があるんですよ。今年も、夏になってから三件ほど予約したのに来なかったケースが、ありました。欧米人ならそんなことはないんですけどね。」
「ノー・ショウですか。ホテルにとっては痛いですね。」
「どうもそれに日本人は、ルールを知らないケースが多いようです。」
「と言うと。」
「たとえば何時だったか、大阪のOLさん二人組なんですけれど・・・。サント・マルグリット島へ行ったけれど、焼き魚がとてもおいしかったと言うんですよ。あそこは高級レストランが一件しかないはずだから「高かったでしょう」とおたずねしたら、「いいえ、ワインも入れて一二〇フランでした。」っていうんですよ。おかしいと思ってお聞きしたら、コース一人分を取って、二人でシェアしたんですって。お店の方は当然二人分を予想しているわけでしょう。「ルール違反ですわ。」って申し上げたら「旅の恥はかきすてって言うじゃありませんか。」ですって。」
「あら、私たちも時々やりますわ。だってあんなに食べられませんもの。」
「その時は、メインを二人分だけ頼むくらいにするものですわ。」
「そうですね。」
「こんな話もありますわ。何時だったか頼まれて日本人ビジネスグループのお手伝いをしたんです。そしたらレストランで、なんどもお湯だけ注文するお客がいるんです。お湯じゃ、レストランはお金を取れないんですよ。しかもそのお湯で持参したインスタントラーメンかなにかを暖めて食べておられるのです。それで見かねてご注意申し上げましたらね。「このバカヤロウ!」って言われました。」
「それは常識外ですね。」
それからホテル代の話に映った。「この辺は高いんですよ。ええ、スペインが、レストランもホテルも安いことは知っています。これからEU統合でどうなるかは分かりませんけれどね。こちらは物価が高い上、二十%も付加価値税を取られるのだから、仕方がないんですよ。」と弁解みたいな話をした。
どうも奥さんは、日本人客を好いていないようだ。長い間の外国生活が日本人に対して厳しい見方を植え付けたのだろうか。それでもサユリとコナンは例外だったらしく、別れをつげると玄関まで送ってくれた。今日も朝日がまぶしい。