複数の時計   アガサ・クリステイ


ハヤカワ・ミステリ文庫 THE CLOCKS 橋本 福夫 訳

 出だしはあらゆる小説にとって重要だが、この作品はお手本。秘書・タイプ引き受所のシェイラは所長のマーテインデールからの依頼で、クレセント街の依頼人ミス・ペブマーシュを訪れ、不在だったので居間で待っていた。そこは時計が5つもある奇妙な部屋、柱時計の3時の音に思わず立ち上がると、なんとソファの横に男の惨殺死体があった。ちょうどそのころ国際スパイを追っていたコリン・ラムはその家の前を通りかかったが、悲鳴を上げて飛び出してきた女が抱きついてきた・・・。
 以下話はコリン・ラムの手記と言う形を通して進む。盲目のミス・ペプマーシュは秘書を呼んだ覚えは無いという。男の死因は抱水クロラールを飲ませて眠らせ、刺し殺された者。死体はいつか運びこまれたらしい、周囲には猫好きのミセス・へミング、腕白坊主二人が暴れるブラント夫婦、隠退した教授マクノートン夫婦、何かとうるさい弁護士のウオーターハウス・・・・。そして男は私の別れた夫カリーだ、耳の後ろに傷があるとライヴァル夫人。かれらの織りなすそれぞれの物語が面白い。そして検屍委員会でだれかの不審を発見したエドナ、分かれた夫というのは嘘と指摘されたライヴァル夫人が次々と殺される。
 ポアロ登場。このような話は事件の解決のさせ方が難しい。子供を登場させ、彼女に怪しいクリーニング屋をみたと証言させ、読者に盲目のペプマーシュは感が良かったはずだ、なぜ訪問者に気がつかなかった、秘書・タイプ引き受け所に電話は来なかったのかもしれないと考えさせ、解決への足がかりを与えている。
 時計は単なるカモフラージュで事件は簡単、膨大な遺産がほしくて、後妻を前妻と偽ったブラント夫婦は、カナダから前妻を知る男が来ると知ってあわてる。妹のマーテインデールを抱き込んで、死体をシェイラに発見させたが・・・・。

 後から考えてみると、この小説に使われているトリックはたいしたことは無い、解き方も平凡のように思う。しかしそれを物語の中でうまく使っているところがさすがであると感じた。
この作品はクリステイ73歳の時の作品、もう功なり名遂げた後、推理小説作家論、尋問の仕方、推理の仕方などポアロ等の口を通じて彼女の考え方を述べている点も興味深い。

・クリステイの推理小説論・・・・・186P
・君たちは近所の者たちの所へ言ってこんな風に聞く。「何か疑わしく思えることを目にしなかったか?」すると近所の者は何も目にしなかったと答え、君たちはもう聞き出せることはないと思いこむ。だがね、私が近所の者たちと話をして見ろと言ったのはそう言う種類のことではないのだ。私は話しあってみろと言っているのだ。向こうにも話をさせるのだ。そう言う会話からは、常にどこかに手がかりを見いだせるものなのだ。(196P)
・本来なら、あそこにも隣人がいてくれていいはずなのだが。あんなでっかい非人間的な建物でなくて、普通の住宅が整然と並んでいてくれても良さそうなものなのだが。あんな人間の蜂の巣のようなアパートでは、住んでいるのは働き蜂ばかりで、昼間はずっと外で過ごし、夜には帰ってきても、細かなものを洗濯するなり、お化粧のし直しをするなりして、また青年に会いに出かけるに決まっている。(312P)
・人混みの中でナイフを突き立てる。(352P)

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