過去をなくした女       トマス・H・クック


文春文庫  FLESH AND BLOOD 染田屋 茂 訳

 アンジェリカ殺害事件で殊勲をあげた元警察官で私立探偵のフランクは、裕福な愛人カレンの主催するパーテイで、服飾デザイナーイマリア・コヴァロに出会う。翌日彼女が事務所にやってきて「私のところで長いこと働いていたハンナが自宅で何者かに惨殺された。検屍解剖の後、警察は身寄りが無いことを理由に死体を返してくれない。葬式をしたいので、何とか死体を返してもらえるよう画策してほしい、と頼まれる。」
 昔の警察の知り合いタネンボームに頼み込み、事件を調べ始めた彼は、長い間にわたって彼女の過去が欠落していることに気がつき、知りたいと思い始める。調査請負業のファルークが彼を助け始める。彼女を雇った男を尋ね歩き、1935年頃、彼女はソル・ファイグの工場で働いていたが、待遇改善を求めて、何ヶ月にもわたって仲間を募ってストを打ち、ファイグを屈服させるがその後忽然と姿を消した。そして55年にふたたび繊維業界に戻り、65年以来、イマリアの元でマネージャーのような仕事をしていた。
 空白の二十年を追求すると、実は彼女はファイグがある女性をレイプしたという話をでっち上げ、組合運動を有利に導いたが発覚、組合を追放されたのだった。その後妹を連れてコロンビアにわたり何か良からぬ事をしていたらしい。
 しかし彼女のもう一人の妹ナオミの亭主ジョゼフが生きていた。結局死体を彼に引き取らせ、依頼の仕事を終える事が出来た。しかし彼女からさらに「ハンナ殺害犯人をついでに探し出してほしい。」との依頼を受ける。
 ギルダの墓に決まって薔薇の花を届ける人物を追う内に、彼はキンケイドなる男に出会う。彼は、身よりのない外国人を六ヶ月にわたって収容するセツルメントで教えていた。ファルークの調査とキンケイドの証言から、ハンナのコロンビアでの仕事が分かった。ある植物から抽出される染料は、光り輝く特性を持っており、これを利用したイマリアの衣装は今やイマリアルックとして超一流品になっていた。しかしこの精製過程で多くの毒を出し、現地の人たちがどんどん死んでいる!
 ハンナの軌跡と犯人は分かったが、フランクはイマリアの元で働くリヴィエラ、最初からイマリアに頼まれてフランクをマークしていたファルークに追いつめられ・・・。

 過去の分からない女を徹底的に詳細に追求して行く過程が非常に面白い。私は鮎川哲也の鬼貫刑事シリーズを思い出した。しかしこの小説の背景になっている思想は次の一文に要約されているように思う。
・一枚のコートがどういう風にしてブルーミングデールにならぶ事になったか知ったら、みんな、心が張り裂けるでしょうね。(460P)
具体的に非難しているわけではないが、現代文明の犠牲について警鐘をならし、公害告発を行っていると解釈することも出来る。
 全体として見れば無理のない非常にすぐれた作品と思う。
 しかし、精製過程で毒を出し、できあがると光る繊維が出来るといういわば架空の物質の存在には詳しい説明がほしかった。精製過程の毒は公害防止技術あるいは設備という観点からの記述が必要では無かったか。またカレンの位置づけについて、主人公と彼女の心がどうしても離れて行く心の過程の動きなどの説明が一歩不足しているように思った。
 また外国移民のセツルメントの役割について記述した点も良いと思う。

・そのとき彼女が言ったのは、人間が身を捧げることが出来る対象は二つではなく、一つしかないこと、それに、もし心を打ち込めるものを、全身全霊を捧げる者を持っていなければ、その人間は無に等しい、と言うことだった。(366P)
・コカイン、マリファナについて(433P)
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