モルグ街の殺人(ポー小説全集3)  エドガー・アラン・ポー

創元推理文庫

モルグ街の殺人
 分析家は錯綜した物事を解明するための知的活動を喜び、その結果は到底予想もできないような結果に我々を導いて行く。私の友人オーギュスト・デユパンはこういう面で優れた人で、あのモルグ街の殺人を見事に解いて見せた。
 朝の3時頃、モルグ街にある家屋の4階から一連の怖ろしい悲鳴が聞こえた。近所の人々が駆けつけ、戸を壊して中に入ると室内は散々に荒らされ、暖炉の煙突にはこの家のレスパーネ嬢が無惨な死体となって突っ込まれていた。母親のレスパーネ夫人は中庭で、喉をすっかり掻ききられて死んでいた。
 証言によれば、近所の人は階段を登る途中「糞っ!」とか「やい!」とか何語とも分からぬ異様な声が聞こえたという。室に通じるドアはしまり、窓は内側から落とし釘が入っていた。犯人はどこから入り、どこから出たのだろう。パリ警察は理由もなくル・ボンなる男を逮捕したが白状しない。デユポンと私は自分たちの手で解決してみようと考えた。
デユパンは死体がものすごく強い力で暖炉の押し込まれていたこと、あの叫び声はなにかなだめている声と考えられること、毛が抜かれていたが皮膚がついており、相当の力で頭からむしり取ったこと、一方の窓の落とし釘の頭が切れていたこと、夫人の方は窓から投げ落とされたと考えられること、窓を開けると外の避雷針との距離が2フィートくらいになること、残された指跡がオランウータンのそれに一致すること、等から結論を推定し新聞広告を打った。「ブーローニュの森でボルネオ産のオランウータンを捕獲した。返却したい。」
 待ちかまえていると案の定、マルタ島出身の水夫が引き取りにあらわれた。彼は問いつめられて「捕獲してきたオランウータンが逃げだしあの部屋に逃げ込んだ。私は追いかけて行って避雷針に登ったが老婆の悲鳴で興奮したオランウータンの所業を止めることができなかった。」
 デユパンの「何が起こったか?」ではなく「今まで起こらなかったような何が起こったか?」の観点で薦める推理過程が圧巻である。シャーロックホームズの小さな観察事項から、いろいろな事を演繹して行く話は有名だが、ポーのそれも負けず劣らず。デユパンの私の行動に対する最初の推理など全く驚かされる。

マリー・ロジェの謎
 香水売りをしていた美人のマリー・ロジェが突然姿を消したが、4日ほどたって戻ってきた。しかし田舎に行っていたと言うだけであとはだんまり。それから5ヶ月ばかりたって、朝方叔母さんのところに行ってから許嫁のサン・テユスタース氏と夕方落ち合う言って家をでたまま行方不明になった。三日後、彼女はセーヌ川で水死体となって見つかった。
 いろいろな憶測記事が乱れ飛んだが、特にエトワール紙は「死体はひどく腐乱していた。川に投げ込まれた死体が浮かぶには6から10日かかる。それに死体を昼間運ぶ訳には行くまいから、投げ込まれたとすれば夜に違いない。水死体は別人で彼女はまだ生きているのではないか。」
 二十日くらい経って、セーヌ川のボートを使った若い娘の暴行事件がおきた。そのころ近くの草むらでマリーのペチコートやハンカチが見つかった。別の新聞はその暴行グループに襲われたのではないかとの記事を書いた。しかし同じ頃、マリーと色の黒い海軍士官が一緒だった、という目撃者があらわれた、という。
 モルグ街の殺人で有名になった私の友人オーギュスト・デユパンが意見を求められた。
 多くの新聞記事を元に彼は次のように推定した。
「人間の比重は水に近く、特に太り気味の人間の場合、川に投げ込まれた死体が沈む、とは一概に断定出来ない。また腐食の速度も一率ではない。死体を昼間は運べないと言うが、ボートの上で殺害してそのまま水に投げ込んだとしたらどうだろう。暴行グループの犯行は有りそうにも見えるが、死体を布で縛って有ることなどから、一人で殺害して運んだと考えた方が自然。何より遺品が20日も経って突然見つかったというのはおかしい。暴行グループの犯行に見せ掛けようとしているのではないか。」
 そうした上で
「5ヶ月ばかり前の失踪に注目すべきではないだろうか。そのころ別の男と交際していたが別れた。事件の日、男がせまったので、マリーは絶縁するつもりで出かけたが、殺されてしまった、と考えるべきではないか。犯人が海軍士官を調べて見る必要がある。」
まさに推理の過程を楽しむ作品。特にエトワール紙の報道を否定するデユパンの舌鋒は鋭い。これよりずっと後に書かれた作品だが「失踪当時服装は」を思い出した。

眼鏡
 目の悪い私は、友人のタルボットに誘われてオペラに出かけた。オペラグラスを使う内、素晴らしい女性を発見、一目惚れしてしまった。タルボットによれば美人の誉れ高いラランド夫人と言うのだそうだ。それから散々つけ回し、恋文らしきものもやりとり。不思議なことにあれ以来タルボットは姿を消した。「余り急だから」「年齢が違いますわ。」と渋る彼女を説得して、いよいよ婚約、ところが彼女の申し出が振るっていた。「一つ約束をして下さい。これからは眼鏡をかけるって。これ、プレゼントの眼鏡ですわ。」
 かけて見直してびっくり。なんだ、この婆。彼女は82歳だと、しかも私の曾曾祖母だった。オペラで見かけて、名前を聞いたときタルボットは同行の若い夫人と思ったからラランド夫人だよ、と答えた。ところがそれが婆さんの方だと知ってラランド夫人が怒って私をタルボットとはかって懲らしめたのだった。でも安心、今の私の妻はラランド夫人、眼鏡は絶対に放さない。
 江戸川乱歩の「防空壕」はこの作品の影響を受けたのだろうか。

早まった埋葬
 まだ生きているうちに埋葬されてしまう・・・これこそ疑いもなく、これまでただの人間に降りかかった極度の苦痛の内でも、もっとも恐ろしいものに違いない。しかしこういう例は多い。ボルチモアの夫人は納骨堂にいれられたが生き返った。しかし出ることが出来ずそのままミイラになってしまった。フランスでは恋人と別れて裕福な男と結婚したが、ひどい仕打ちを受け死んでしまった。しかし恋人が墓を暴いたところ生き返り、二人はアメリカに逃れた。ライプツイッヒでは砲兵将校が埋葬されたが、生き返り墓を動かした。掘り返され電気で刺激を与えられて見事に甦った。ロンドンでは発疹チフスで死んだ男を医者が掘り出して解剖しようとしたところ生き返った。
 私はときどき猛烈な発作に襲われ意識を失うことがある。だからこうした埋葬を極度に恐れていた。そして家人に十分知らせると共に地下の納骨堂には空気や光が入る装置をつけたり、鈴がなる装置を施したりした。ところがある時気がついてみると闇の中、身じろぎできずそんな脱出装置もないところにいる自分に気がついた。絶体絶命!必死になって声を上げたところ助け出された。猟に出ていてたまたま狭いところに寝ていたのだ。しかしそのときから私の発作は起こることがなくなった。

週に三度の日曜日
ぼくはケイトと結婚したいのだけれど、大叔父に財産を分与してもらわないと困る。ところがあの老いぼれイルカめ「週に三度の日曜日が来たら分与する。」ところが世界一周をしてきた船長が二人やってきた。西に向かった船長は「昨日が日曜日!」私たちは「今日が日曜日!」東に向かった船長は「明日が日曜日!」おかげでぼくたちは財産を分与してもらうことができた。

楕円形の肖像
深手をおった私はアペニン山中の城で一夜を過ごすが、そこにまるで生きているかのような女の肖像。説明によると「美しい、明るい乙女がある画家に嫁いだ。画家は彼女の肖像画を描きたいと頼んだ。頭上からわずか一条の光線のみ、そこで女は不動の姿勢をとり、何日も過ごし、画家は夢中になって描き続けた。女は次第にやせ細り、画家が最後の一筆をいれたとき、女の生命の灯が消えた。」

軽気球夢談
1844年の事と思うが、マック・メーソン氏他が軽気球を使ってイギリスからフランスに渡ろうとした。しかし北東風が強かったため、アメリカに行こうと方針を変更、75時間後に米国サウス・カロライナ州近くに到着した。そのときの日記を元に書いた記録。水素の代わりに石炭ガスを操縦に用いていること、事故を避けるために、コーヒーを沸かすために消石灰を用いているところが面白い。

991004