あるスパイの墓碑銘 エリック・アンブラー
ハヤカワ・ポケット・ミステリ EPITAH FOR A SPY 北村 太郎 訳
第二次大戦勃発がせまった193x年、ハンガリー生まれの無国籍者ヴァダシーは、南フランスのサンガシャン村を訪れ、海岸のレゼルブ・ホテルなる小さなホテルに泊まった。
彼の趣味は写真だったが、3日目、薬屋に現像した写真を取りに行った帰りに、逮捕されてしまった。
彼のフィルムには、撮影禁止のツーロン軍港が撮されてあいたのだ。
身に覚えがなく、だれかがカメラをすり替えたものと考えられたが、警察の疑いは解けず、宿泊者を調査するよう依頼されてしまう。
しかし、素人の悲しさ、写真機をロビーに放置し、鏡越しに監視する作戦では、いつの間にか写真機がなくなってしまう。
自室は荒らされ、残りのフィルムはもっていかれてしまう。
他人の部屋に入って調査しようとすると本人が戻ってきてしまう、とトラブルの連続。
それでもホテルのマネージャーケッヘ夫妻、3つの名を持つシムラー、金に困っているイギリスの退役少佐、おしゃべりで少しおかしいデユクロ、スイス人と自称するフォーゲル夫妻、こちらの調査内容をしきりに知りたががるフランスの若者ルウと恋人マルタンなど、宿泊客の素性が次第に明らかになってくる。
しかし警察に依頼されて、
フィルム窃盗事件を尾鰭をつけて騒ぎ立てたところ、ケッヘに怪しまれ、にっちもさっちも行かなくなった。
そのとき突然、彼は再び逮捕されてしまった。
警察は実はルウがスパイであるとの目途はついていたのだが、泳がせて、ヴァダシーに調査させ、その上部組織を押さえようとしていたのだった。
逮捕は保護が目的で、
あとは追跡劇。
アンブラーの作品を読むは「インターコムの犯罪」「デミトリオスの棺」に続いて3作目である。
スパイ小説であるが、優れた文学作品としての一面を備えているように思う。
この作品の場合には語学教師にすぎない主人公が、素人っぽく犯人探しをするところが、ユーモアと暖かさをもって描かれているところに特色があり、時折見られる政治談義などには作者の時代に対する考え方が現れている。
・限りない妥協の可能性を信ずることが、社会民主主義の偉大な幻影だったのだ。
・・・・とくにいけないのは、力には善意で対処できる、つまり、狂犬はなでればおとなしくなる、と信じていたことだ。(167P)