新潮文庫
昭和9年冬、江戸川乱歩はスランプに陥り、麻布の古くさい<張ホテル>に水谷準と名乗って身を隠した。時に乱歩四十歳。この世のものとは思えぬエロテイシズムあふれる「梔子姫」を書き出した。
「震災で焼け残った親の財産を地所ぐるみ売って財産を作った私は、いわば高等遊民でした。ふとしたことで浅草に常人とちょっと変わった中国の娘ばかり置いた秘密の娼館があると聞いて出かけました。しかし黒いマスクをつけて連れて行かれたのでどこかは分かりません。」
ホテルのボーイは美貌の翁青年。福建省出身の中国人である。首を傾げるとほんのりとヘリオトロープが匂う。隣の二○一号室からわずかな光が漏れて気になっているがここは無人とのことだが、件の梔子姫がいると想像する。
「私は梔子姫を紹介されました。私は子供時代に私に性を教えた狂女のしーちゃんを思い出します。子供の頃から酢を飲まされ続けた梔子姫の体は柔らかく、腰を搦めると吸い付くようです。私は、たちまち彼女の虜になりました。」
突き当たりの二○五号室には推理小説狂のミセス・リーがいる。彼女はバーナビー・ロスとエラリー・クイーンが同一人物ではないかと指摘し、乱歩を驚かせる。しかしミセス・リーは、夫とうまく行かないらしく不幸に見えた。乱歩はミセス・リーや翁青年やホテルの雰囲気を考えながら「梔子姫」の筆を進めて行く。
「仲秋の明月の頃、水銀で喉を潰された梔子姫は、海が見たい、と口にくわえた
筆で書いたのです。そのとき私は梔子姫をここから連れ出そう、と決心しました。カバンに詰めて持ち出せばいい。しかしつかまれば地下の酸の瓶に放り込まれ溶かされてしまうのだそうです。死ぬ覚悟でやらなければいけません。」
泥酔したミセス・リーが私の部屋に飛び込んで来た。しかし良いところで翁青年が入ってきた。二人でようように部屋に戻す。そんな事件はますます乱歩の筆を進ませて言った。そして白い上っ張りを着た男がホテルを出て行くなど、書いている小説と渾然一体となった事象が起こる。
「最後には娼館に火を放って逃げ出そうと考えました。私は金と梔子姫を運ぶ信玄袋を用意しました。」
乱歩は明け方の街を歩き、あれこれと思案する。ホテルに戻ると翁青年に抱かれた猫が乱歩の元に来た。美しい二匹の猫がからみついている場面を想像しながら猫と一体化した気分にもなった。さらに風呂に入って鼻までつかり、浮揚感を体験する。そして乱歩の部屋に余り縁起のよくない花ポインセチアが届けられる。以前に逗留していた男を誰かが怨んで届けたようだ。
「とうとう梔子姫がくぐもったような声で口を利きました。シ・ニ・タ・ク・ナ・イ・・・!極限状態ででの交わりました。梔子姫がもうひとつの言葉を話しました。「好き」」
この後どう進めたら良いのだろう。乱歩は二つのシナリオを考えた。また風呂に入り、ミセス・リーを思い、想をねる。すると話はどちらのシナリオにもない方向に進みだした。
「梔子姫を抱え、館に火をつけ、追ってくる男も振りきって私は外に出ました。ちょうど館が崩れ落ちる所でした。私は走って、走って海の見えるところに来ました。妙に軽い、梔子姫はどこに行ったのでしょう。しかし気がつくと梔子姫は私の体をしっかりとくるんでいたのです。振り返ると館から逃げ出した六人の娘たちがいました。私が普通の男になって交わると、梔子姫は失われた声を取り戻し、娘たちともども銀の蝶となって空の高みへと舞い上がって行きました。」
「梔子姫」が完成し、乱歩は三日前、このホテルに落ち着いたとき、自分は死ぬつもりだったのではあるまいか、この作品は自分自身の遺書ではなかったか、等と考える。しかしそれが分かったからといってどうなるものでもない。乱歩は依然として八幡の藪知らずの真ん中に、蒼い顔で立ちすくんでいる五歳の童子のようだった。これからどうする。その答えを出すには疲れすぎている。いまは平穏な眠りだけが欲しかった。
当たり前のやり方でまとめれば井上ひさしの解説にある「作家的危機のまっただ中にあった江戸川乱歩の、ある冬の四日間の克明な記録」と言うことになるのだろう。しかし良く調べ上げた乱歩の日常生活を描くことによって、一人の作家の人間像を実に立体的に奥深く描いている。それは一方で推理小説論から谷崎潤一郎や宇野浩次ともつながる文学論議に発展し、作中作品「梔子姫」を通じて乱歩作品の醍醐味を知らせているようでもある。全体、かなり難しい作品だが、私に良い勉強になった。
・そもそも後ろめたい野心がない男になど女の子は近寄りたがらないもので・・・。(94p)
・短編には題名を考える楽しみというものがある。・・・話が面白ければ、題名も良く思えてくるし、題名に引きつけられるものがあると話にも入って行きやすい。題名は短編の命である。(103p)
・谷崎による女の描写(112p)
・まず今度の「梔子姫」では、乱歩はいわゆる<です・ます>調を使っている。・・・これは、一人称の説話体の際に都合がいい。どちらかと言えば短編向き・・・・長編はどうしても構えが大きく、舞台も様々に変わる上に、人物の出入りも多いから、視点が一つだと書いていて不都合がいろいろ出てくる。・・・このほかに、会話体と言うのがある。全編、二人の人物の対話から成り立っている特殊な形であるが、よほど題材とマッチしていないと難しい。・・・乱歩が一番好きなのは説話体という奴である。<めずらしい話とおっしゃるのですか、それではこんな話はどうでしょう>みたい、何気なく語りかけられて、だんだん話に引き込まれ、そのうちに部屋の電気が次第に暗くなったように思われ・・・(113p)
・乱歩の作品には蝋燭が良く出てくる。土蔵と寺と蝋燭を登場させてはいけないと言うことになったら、大概の探偵小説や推理小説は成り立たなくなる。(126p)
・文章というものには音楽にたいそうよく似た一面がある。(150p)
・はげにつける薬の効用(155p)
・「Kの昇天」(梶井基次郎)(158P)
・「黒蜥蜴」の二月号のぶんだが・・・・何一つ見えてこないし、先への予感と言う物がない。・・・「見えた」「聞こえてきた」という具合に「た」終わりである。これでは「黒蜥蜴」などという大層な名前がなく。(177P)
・「目羅博士の不思議な犯罪」(217P)
・「押絵と旅する男」なんかはそれが一番うまく行った例で、冒頭の、暗うつな北陸の海岸線を走る列車の音と、フィルムのコマ音が一番良くシンクロして、ペンがとまるという事が先ずなかった。(283P)
・幻が目に見えるという事は、この世の外にすんでいるという事なのです。ただ、私は不遜にも思ったのです。この世に一人ぐらい、幻を現世に持ち帰った者がいても、神様はお許しになるのではないか。(299P)
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