角川文庫
昭和27年4月9日午前7時34分、大阪経由福岡行きマーチン二○二型双発「もく星」号は乗客33名、乗務員4名をのせて羽田をたった。このころ、日本の航空活動は禁止されており、機長はノースウエストの飛行時間8000時間の経験を持つG・スチュワード機長、副操縦士も同社から派遣されていた。また民間機のすべてが埼玉県入間にあるジョンソン基地の管制官の命令に従わねばならなかった。
ちょうどそのころ米軍機が飛行していたので、羽田から館山を過ぎて10分間高度2000フィートが指示された。この10分間が羽田からか、館山からかが後で問題になるのだが、館山からだとすると三原山に衝突する。
乗客には八幡製鉄社長三鬼隆、俳優大辻四郎、デザイナー烏丸小路万里子等がいた。機長は館山から通信してきたが、大島からは通信がなく、浜松のチェックポイントでも連絡がなかった。
当日午後、米軍情報をもとに「もく星」号の機体を舞阪沖で発見、全員救助の報が流れた。しかし午後6時50分ころより詳細不明、「救助した事実はない」、手がかりなしなどの情報が流され始めた。10日朝、日航捜査機「てんおう星」が、三原山の遭難現場を発見。全員死亡。11時に大島地区署の救援隊が現場に到着、元村消防団と協力して死体の収容を開始した。
事故後日米共同の事故調査委員会を設置しようとの案がでたが、米側は参加しないとし、さらにジョンソン基地にあるはずの機長との交信テープの提出を断った。結局、原因は究明されないまま、遺族にはノースウエスト航空と日航から補償金が払われただけでおしまいになった。
米軍は、誤報を流し、日本の目を遠州灘にむけさせ、事故発表を遅らせたように見えるがなぜか。なぜ事故調査に非協力的で、テープを提出しようとしないのか、9日から10日にかけて、米軍で何が画策されたのか、現場から補助翼タブが無くなっているがなぜか、等についてできうる限りの検証を加えている。さらに米軍機が進路に侵入した日航機を撃墜した可能性まで言及している。
後半は下坂、岸井両記者を登場させ、事件で犠牲となった烏丸小路万里子について調査させている。いつのまにか現場から彼女のかばんが無くなっている。彼女は甲府で米軍高級将校ミールズ少佐のオンリーで、各地の米軍基地を飛び歩きながらダイヤを売り歩いていたらしい。彼女は一体何者なのか。そのダイヤはどこで手に入れたのか。すると戦後すぐのころに起きたマレー大佐によるダイヤ横流し事件などが浮かび上がってきた。
途中から「もく星」号事件そのものから離れ、ダイヤ商人烏丸小路万里子の話になっているのが気になるが、史実を良く調べた作品であり、戦後史の一断面を見る思いだ。
一つ気になることがある。タイトルに「撃墜」とつけ、さらに「想像される交信」と注釈を入れてはいるものの、日航機と米軍機の遭遇し、あたかも撃墜されたらしいと読者に思わせている点だ。もし作者がそう考えるなら、撃墜されたと信じている、と本文で述べ、その理由をはっきりさせておかなければいけない。
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