三たびの海峡        箒木 蓬生


新潮文庫

 チャガルテイ市場の漁船の脇で商いを続けていた時も、海雲台の高級ホテルで商談を進めていたときも、故意に海を見なかった。私の内面が視野を受け付けなかった。大韓海峡の向こうにいる別れた家族と再会できるとは思っていなかった。それが妻が逝った今、海峡を越えようとしている。
 主人公の河時根は、戦時下に強制連行され、九州の高辻炭坑に送られ、食うものもろくに与えられず過酷で危険な労働を強いられた。事故や病気で次々に同胞が倒れて行く。一緒に来た金東仁を中心に脱走計画を練ったが密告者がいて発覚、半殺しの目にあった。さらに金が中心になり、労働条件改善を要求するが完璧には実施されず、間に入った金は自殺してしまった。殺されると考えた河は、単独で近くの朝鮮人部落への脱出を試みて成功するが、見回りをしていた日本人広田に見つかり、殺してしまった。その後朝鮮人組織に助けられ、遠賀川の改修工事に参加させてもらい、糊口をしのいでいたが、そこで岩田千鶴を見初める。しかしこのような恋は、日本人社会も朝鮮人社会も許す訳はない。二人は隠れて愛をはぐくんだが、やがて千鶴が妊娠、さらに日本が敗戦するという事態を迎えた。河は、親元から逃げ出した千鶴と共に朝鮮に逃げ帰るが、自宅では兄が猛反対、家を放逐され、小さな小屋でわびしい生活を続ける事になった。千鶴は、懸命に朝鮮人社会にとけ込もうと努力するが、両親がついに居場所を発見、生まれた時郎とともに日本に連れ帰ってしまう。
 その後、河は、韓国人妻と子を得、四つのスーパーを持ち、世間的には成功した。共に日本で働いた徐鎮徹の取り計らいで、息子の時郎に再会した。妻は逃げ帰った後一生やもめで暮らし、時郎を育て上げ、亡くなったという。
 さらに今回徐からの手紙で「昔炭坑のあったN市を訪問したところ、市長選挙を前にテンヤワンヤだった。4選を目指す山本三次市長はボタ山を撤去し、企業誘致を公約に掲げている。麓には朝鮮人寮や同胞の無縁墓があり、埋められてしまうだろう。」との情報。山本三次…・忘れない、広田、韓国人の朴や呉と共に、我々をこき使い、多くを死に至らしめた現場責任者だ。そして無縁墓、あそこには金をはじめ多くの同胞人の粗末な墓がある!私は三度目の海峡越えを決意した。
 徐、時郎と共に思いでの地をあゆむ。巌石松という男は敗戦後10年もこのボタ山に残って墓石を守ったが、実は彼が当局のスパイだったのだそうだ。同胞をこき使い、死に至らしめた朝鮮人はその後仲間のリンチに会うなどして命を落としたが、康元範だけは青木元範と名を変え、山本の右腕として活躍していた。ボタ山はかっての炭坑のオーナーの息子が所有していたが、私が事情を話し、石炭にまつわる一切の人間の営みを再現する施設にしたい、と提案すると賛成してくれた。公開討論で、山本の過去を暴露し、選挙戦に大きなダメージを与えることに成功した。
 エンデイングは河時根の時郎にあてた遺書で終わっている。「おまえには言わなかったが私は膵臓癌でインシュリンを常に持ち歩き余命幾ばくもない。インシュリンは大量に接種すると、気を失い、死亡してしまう。私は康をボタ山に呼び出し、インシュリンによって殺害、自分も死ぬつもりでいる。」

 私(河)の三度目の日本訪問と高辻炭坑での悲惨な生活仁始まる脱出、千鶴との恋、帰郷、及び、息子時郎との再会の三つを少しずつ語りながら、話を進めて行く手法を取っており、うまい書き方と思った。日本人によって朝鮮半島側から書かれた日韓史の裏面の話と言うことになる。過去を原点としてナショナリズムを昂揚させてきた韓国は、国際化の波の中で考え方の変更を求められ、悩んでいる。一方、敗戦によりナショナリズムを投げ出した日本は国際化の波の中で故意に過去の失敗を忘れようとしているようにさえ見える。過去を置き去りにして未来のみを見つめようとしている。そのような両者の比較を突きつけているところがこの作品の素晴らしいところと言えようか。推理小説という枠を越えた作品で人に勧めたい、と感じた。
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