棒の哀しみ 北方 謙三*


新潮文庫

男は田中という。
前編「私の中の男」:町のチンピラと時代のエピソードをつなげながら語る。親父はもう糖尿病と高血圧でガタガタだった。男は腕は良かったが分家させられ、組の跡目は倉内になった。本家から抗争の助っ人を頼まれる。恩は売りたいが深入りはしたくない。
後編「男の中の私」:田中は抗争を敵の鉄砲玉から襲われ、仇をとったように見せるなど、旨く立ち回って、倉内に恩を売った形で治める。麻薬ルートの要求には警察の手が回りかかったルートをわたし、また恩を売る。次第に倉内よりも田中につく者が多くなった。親父が亡くなった。田中は凋落して行く本家を尻目に事業を拡張して行く。洋子という女の件で怨みをかったかたぎの刃は腹で受けてみせる。本家の仕切る葬式に何事も無かったように出かけて行く。
恐怖を感じさせるような凄みのある文体である。たとえば最初の「風」
「暗い店だった。
何ヶ所か明るい場所があるので、暗さはいっそう際立っている。
「ジャズはやめとけよ。」
店の中央を横切るようにして、カウンターまでやってきた男が、低い、しかし良く通る声で言った。声以外には、平凡な印象しか、人に与えない男だ。グレーのスーツ、地味なネクタイ、きちっとした髪。そのあたりの会社から、抜け出してきたような感じを誰にも与えそうだ。
「俺が、ジャズが嫌いだって、知らなかったのか。」」
これだけで充分男の恐怖が伝わってくる。

ただこの作品はわたしは好きになれなかった。どう見ても暴力礼賛だ。たいていの読者はこの作品を読んで主人公を格好いい、と感じるに違いない。
しかしそこにあるのはサラリーマンと同じ上昇志向と成功話だけのように思う。組を大きくすることだけを願った、といえば格好言いがようするに自分の立場を強くすることを願っただけ。そしてその為には表面上は従うふりを見せながら、本家も、ボスもつぶして行く。彼がボスの死に流した涙などなんだったんだろう。
第三にタイトルに「棒の哀しみ」とありながら、本人の哀しみがちっとも描かれていない。それは言外に読み取れ、というのかもしれないがそれは無理だ。哀しみを超越した男の詩のようなものがあるかと言えばそれもない。
作者は一体何を書きたかったのだろう。
実態提示と格好よさ演出だけに終わって、主人公の挫折がない、後悔がない、反省がない、権力に対する犯行というわけでもない、それがきらいだ。
多分、この作品に対するわたしの言い様はけしからんことなのだろう。とんでもない、と怒り出す御仁がわんさといることなのだろう。そういう人には「わたしという一個人の見解!」とだけ断っておくことにする。
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