マガジンハウス
この作品は「鳩よ!」1993年12月号から1996年12月号にかけて連載されたものである。おそらく一回で一人の作家を紹介していったのだろう。あとがきによれば趣旨は「いろいろ調べていくうちに、「近代文学史を料理によってたどってみよう」という壮大な構想にたどりついた。「料理による近代文学史」と言えば大げさだが、文士の食の嗜好は作品の生理と密接な関係がある。日々の食事は文士の秘密日録の部分である。」読み終えて、作者のねらい通り、作者に親しみが湧き、作品を身近なものと感じるようになったのは私だけだろうか。
それにしても作者は早死にするもの。以下に没年と死亡年齢(死亡した年から生れた年をひいただけ)を書き出しておいた。その後にコメント、気のついたこと。
夏目漱石=1916年、49歳。ロンドンでの下宿生活は味気なかったらしく、昼食代わりにビスケットを食べたと言う。
森鴎外=1922年、60歳。甘党で好物は饅頭茶漬だった。医者のせいか潔癖症で、細菌に対して異常なまでの恐怖心を持っており、果物までも煮てたべた。一番意識したライバルは漱石であった。
幸田露伴=1947年、80歳。小説家であると共に考証家であり、料理学の古典に詳しい。江戸の胃袋を持ちつつ、近代に目覚めた人で、肉食を好んだ。特に牛タンの塩茹では好物だった。
正岡子規=1902年、35歳。「病状六尺」は死の結核で死ぬ直前の書。書くために子規は猛烈に食った。食えば悶絶の苦しみを体験する。食べることは自己への攻撃であり、食って苦しんだ。それでも食った。「死ぬことが悟りではなく、いかなるときも平気でいることが悟りだ。」という境地に達した。「痰一斗糸瓜の水も間に合わず」
島崎藤村=1943年、71歳。焼き立ての御幣餅、茄子のからしあえ、焼き味噌などまずい料理を書く達人であった。生活は粗食乱淫の人だった。四十歳のとき姪のこま子との肉体関係に陥り、一度は精算するためフランスに逃げ出したほど。「心無き歌の調べは/一房の葡萄のごとし/なさけある手に摘まれて/暖かき酒となるらん」勝手な詩だなあ。日本に帰った藤村はまたこま子と情炎の葡萄酒をくみかわした。
樋口一葉=1896年、24歳。ドブ板の町のカステイラ。このサブタイトルは「にごりえ」から。芸者お力の同情が空になった話である。鰻丼をおごってすぐ借金を申し込む、半井桃水の作ってくれた一杯の汁粉が、一葉の一途な恋心に点火した、などと言う話が面白かった。
泉鏡花=1939年、66歳。大根おろしは煮て食べた、ホオズキを見て喀血をイメージした、というから超潔癖症。そのくせ嗜好からは正反対の描写をしたりする。「婦系図」は、すずとの同棲を紅葉に激しく叱責されたことへの意趣返し、などと聞くとせん病質で付き合いにくい人だったのだと思う。
有島武郎=1923年、45歳。38歳で妻に先立たれたが、貴公子ぜんとした風貌で女性にもてた。人妻波多野秋子を奪い心中。
与謝野晶子=1942年、64歳。一汁一菜でけち、浮気の虫の収まらぬ鉄幹にほれ、41歳で「乱れ髪」を発表したが、この時までに12人の子供を産んでいる。
・心を野晒しにすることをよしとするところが、詩人と俗人の分かれ目なのである。(103p)
永井荷風=1959年、71歳。ダンデイで、女を追いかけ、うんと遊んだが、「荷風は自分が薄情な男であることを知っている。薄情であるがゆえに、薄情が料理に染み込む、ほどよい孤独を食べようとし、またそれを小説に書いた。」基本的には寂しく、頑固な偏屈親父だったんだなあ。
斎藤茂吉=1953年、49歳。鰻の蒲焼きが好きだったらしいが、本来は何でも食べる食いしん坊。食べる側の精神状況が大切、という考えはうなずけるなあ。それにしても正直な人「こぞの年あたりよりわが性欲は淡くなりつつ無くなるらしも」
種田山頭火=1940年、58歳。酒が原因で禅門に入り、後は詩を作り、行乞をして暮らした?行乞と言うのは一般の人は坊さんの修行と思っている、寺に戻らないんだったら乞食と同じじゃないかなあ。でもなんとなく羨ましい。「まつすぐな道でさみしい」「酔うてこほろぎと寝ていたよ」どこがいいのかなあ。
志賀直哉=1971年、88歳。白樺派の代表的作家。癇癪持ちの半面、他人への思いやりの強い人だったという。自ら料理を作ったが、趣味は高級。鰻が好きだった。
高村光太郎=1956年、73歳。光太郎は千絵子と31歳の時に結婚した。狂暴なまでの愛欲生活。食欲も性欲も暴風の激しさだった。智恵子が死んでから、光太郎の嗜好は自然食が主な物になってゆく。62歳のときに農耕自炊生活に入った。智恵子との思い出に生き、十和田湖畔にたつ裸婦像を制作した。
北原白秋=1942年、57歳。九州柳川のでだが、啄木に教えられて酒と女を覚えた。米びつの米が尽きた時作った「貧窮の極餓死を目前に控え」は傑作と思う。ましら玉、しら玉あわれ…・。36歳のとき3人目の妻菊子と出会い、家庭人になったようだ。
石川啄木=1912年、26歳。母を恐れ、傲慢で、分不相応な贅沢をした男。結果として金田一京助など知人に借金をしまくった。詩は創り出したもので実態とはかけ離れている、と始めて知った。あの歌も眉に唾して読まねばなるまい。
谷崎潤一郎=1965年、79歳。料理を舌で食べる域を越えて、体のすべての器官を触手として舌なめずりさせた。健啖家で中国料理の牛肉煮込み、天ぷら、鰻などが好物。最初の妻千代子夫人を佐藤春夫に譲渡した。
萩原朔太郎=1942年、56歳。二十歳後半に父から「お前は飼い殺しにしてやる」と言われた。飢渇からくる妄想をうまく詩の中に取り入れた。「五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする。…あの空に光る、雲雀料理の愛の皿を盗んで食べたい。」「私はゆったりとふほうくを取って/おむれつ、ふらいの類を食べた。/空には白い雲が浮かんで/たいそう閑雅な食欲である。」
菊池寛=1948年、60歳。味にはうえるさくなかったが食べる量は多かった。無理しても人におごったと言う。庶民的な人だったのだな。
岡本かの子=1939年、50歳。
内田百閨=1971年、82歳。内田百閧ヘ缶詰めを好んだ。餓鬼道肴蔬目録を書いたがこれは料理のメニューだけを並べた物である。岡山の素封家の生まれだが、貧乏にあこがれ、借金をしてまわった。へ理屈をこねる変人である
芥川龍之介=1927年、35歳。「芋粥」に見られる、食べたいと思いつつも「食べたらそれきり」という不安が、芥川の嗜好性に繋がっている。芥川家は一汁一菜主義であったが、彼は鰤の照り焼きを好んだと言う。
江戸川乱歩=1965年、71歳。職業は支那ソバ屋なり。大正八年、隆子夫人と結婚したころの話である。「貼雑年譜」というのを一度見てみたい。贅沢で食通だったが、健全な家庭人であり、小説とはまったく違った別の正常人と知って安心した。
宮沢賢治=1933年、37歳。金持ちの家に生まれながら貧困にあこがれたらしい。妹としをこよなく愛し、彼女が無くなったとき精神的には死んだと言う。以後極端な禁欲生活をしたが、それは逆に彼にとっては麻薬的快感だったのかもしれない。そんな中から「雨にも負けず」が生れた。西欧式菜食主義者。
川端康成=1972年、73歳。食が細いゆえに食へのこだわりの強い人だった。「伊豆の踊子」は、船室であった受験学生が差し出す海苔巻を泣きながら食う場面が最期で、「伊豆の海苔巻」としたほうが鮮明になる内容である。作品は一見叙情的で、王朝文学のながれをくんだ日本の伝統美を謳い上げたように見えつつも、初期の作品から死とニヒリズムを内包しており、ガス管をくわえてのむごたらしい死は、予測した帰結といえる。
梶井基次郎=1932年、31歳。檸檬で売り出したが、結核で不潔にしていた上、身の程知らずなところがあったから、人に嫌われたらしい。檸檬と実態生活、風貌はかけ離れている。
小林秀雄=1983年、81歳。きわめつきの食通であり、しかも一流老舗好みである。「直感で結論を出し、あとで論理を構築する」手法を食に対しても応用し、料理へも批判精神を先行させた。
山本周五郎=1967年、64歳。ガンガン食って、ガンガン飲んで哀しい静謐な人情を書いた。目はいつも弱者にむけられている。人間的には我が強く、やかましく、意地っぱりであった。二流の映画館の館内で、ぼんやりとした時間を楽しみ、ひそかに弁当をくらい、自分の世界に浸った。
林芙美子=1951年、47歳。私生児として生れ、極貧の中で生きてきたが「放浪記」でデビュー。パリに下宿し、おしゃれを気取るがぶくぶく膨れて、人にきらわれるようなおばさんに。劣等感と優越感が表裏になったようなそんな人だったのかなあ。
堀辰男=1953年、49歳。結核を終生の病としてわずらい、軽井沢に住み、妻と自然を愛し、贅沢をし、フランス風を好み、牛乳風呂につかって詩的叙情世界で高等遊民生活を送った、とはうらやましいのか、悲しいのか。人生体験派の作家から療養文学と批判されたそうだ。
坂口安吾=1955年、49歳。戦後の混乱期をヒロポンをうってしゃきっとしながら書きまくって乗り切ったというから並みの人じゃない。安吾流で作ったスープストック使用のオジヤというのは食えるのかなあ。
中原中也=1937年、30歳。酒癖が悪く評判だったが、はっとするような食べ物の描写が特色。「トタンがセンベイを食べて、春の日の夕暮れは穏やかです」「今宵月は茗荷を食ひ過ぎている」「空気の中の蜜」など。
太宰治=1948年、39歳。大食漢であり、人一倍食い意地が張っていたそうだ。小学生のときから「自分は選ばれた人間だから、つねに優れていなければいけない」という使命感を持っていたと言う。六回も自殺や自殺未遂。死んで見せるのも一つの実験で、六回目は失敗して本当に死んでしまった?
檀一雄=1976年、64歳。「檀流クッキング」を読んでみたい。彼は「母不在のため、しかたなく料理を作った。」とあるが、でだしはそうかもしれないが、途中からは面白くて仕方がなかったのじゃないだろうか。
深沢七郎=1987年、73歳。「小説は自分の屁だ。」と言ったそうだ。彼の場合、ラブミー農場で野菜を育て、友達を呼び、自分で料理し、人に食わせることに無上の悦びを感じていたらしい。終生独身、自分で全部出来る人には女は邪魔だったのかもしれない。
池波正太郎=1990年、67歳。「江戸の庶民が好んだB級和食をよしとした。」、「「むかしの味」を食べながらも、「さらなるむかし」に思いをはせる」などというフレーズが特徴ずけていると感じた。
三島由紀夫=1970年、45歳。店通ではあったが料理通ではなかった。「三島は人並みはずれた嘘と、人並みはずれた真実を魔法使いのように使い分けた。実はこれは料理の手法なのである。」というところが本質を突いているように思った。彼にとって料理は小説のネタ探しで、知識として必要だったのだろうか。
010201