忠臣蔵元禄十五年の反逆    井沢 元彦


新潮文庫

劇作家で小説家の道家和彦は、親友のプロデユーサー久保誠一郎に頼まれて、忠臣蔵をテーマにした芝居を書くことになった。国立劇場で歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」を見た後、いきなり正体不明の車に襲われ、重傷、気がついたときには病院のベッドにいた。
2ヶ月して退院、上諏訪温泉の民宿に赴く。久保のいとこで民宿の娘柿内加奈、名所巡り中にであった歴史学者羽田野康元の娘と称する京子の三人で、忠臣蔵を赤穂事件と位置づけ、その構成要素である浅野刃傷事件、赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件に分けて真実何が起こったのかの研究を始める。「梶川与惣兵衛筆記」等から、京都から勅使の来る日、梶川と吉良が立ち話をしている最中に突然浅野が「この遺恨覚えたか。」と切りかかり、梶川に取り押さえられた。柳沢出羽の守から報告を受けた綱吉は、老中の一部の反対を押しきって切腹を申し付ける。浅野は預けられていた田村邸で刃傷の理由を述べず、「不審に思うだろう。」の語を残して切腹してしまった。一方吉良の申し状によれば「浅野に恨みを買う理由が思い当たらない。」とのことだ。するとご裁断が喧嘩両成敗に反する、片手落ちだ、ということで義士は討ち入ったが、実は、喧嘩になっていないようなのだ。双方が喧嘩している、その内容は…との記録は、討ち入りが終わった後、大石内蔵助等による「浅野内匠頭家来口上書」に始めてみられる!
赤穂事件について事実と違った先入観念を与えたのは「仮名手本忠臣蔵」である。ここでは一般には足利尊氏が将軍綱吉、塩谷判官が浅野、高武蔵守師直が吉良、加古川本蔵が梶川与惣兵衛になぞらえてあるとしている。このたとえを研究するために三人は地下出版本「三王外記」「柳沢騒動」「護国女太平記」などを参照する。するとそこでは将軍殺しを扱いながら、当局の目を恐れて柳沢出羽守を悪役にし、最後に彼を殺させている。すると「仮名手本忠臣蔵」の場合、高武蔵守師直殺しは実は将軍殺しなのではないだろうか。特に武蔵守は徳川時代には用いられていなかった職名で将軍をさすことは明らかだ、と分かった。城南大学の伊地知助教授も議論に加わるが、勘平のいのしし殺しを生類哀れみの令に対する皮肉と解釈するなどして、ねじ伏せてしまう。
「仮名手本忠臣蔵」の呪縛から解放され、再び刃傷の原因を追求する。正気と考えると、賄賂説=浅野の賄賂が少なかったため吉良がいじめた、怨恨説=原因不明、塩田説=吉良に望まれた良い塩を作る秘密を教えなかった、などが考えられたが、いづれも否定されてしまった。どうやら浅野が精神異常だった、と考えるほうがただしそうだ。精神医学者田村の結論も同じだった。吉良の地元での評判は良い。
ただ、赤穂浪士を英雄と考えよう、という風土はあった。殿様の権威がきしみ始めた1700年初頭、権力の側には忠君愛国を貫くというまことにそう快な事件であった。また同じ理由で明治天皇によって名誉回復されている。
大石内蔵助は社稷の臣で、精神異常の殿様ではなく、浅野家を守らなければならない立場にあった。その彼がなぜ、息子の大学長広によるお家再興をあきらめ、討ち入りしたのか。一つには一代で抱えられた堀部安兵衛などに突き上げられ、一つには浅野が精神異常ということになれば、過去の例から本人だけの処罰ですむはずだが、綱吉が正気の行為と決め付け、お家を断絶してしまったことで、祇園遊びなどで散々逡巡した後、討ち入りを決定したらしい。吉良のほうはまさかあの程度で討ち入られるとは考えてもいなかったから、びっくり仰天、慌てて防戦したが、やられてしまった、との結論に達した。
最後に正体不明の車に教われた事件の解決があるが、それはここでは話しのつけたり。内容はあくまで井沢流の新しい忠臣蔵解釈にある。豊富な資料に基づき、論理的に組み立てられ、推理小説よりも歴史論文として価値のある作品ではないか、と思った。

・ 日本の仏教について
(1) 原始仏教を学ぶと日本の仏教の特殊性が見えてくる。
(2) 原始仏教には自我を認めないから、その究極の変態である霊魂を認めない
(3) 仏教は輪廻転生の世界である、悟りを開くと生まれ変われなくなる
(4) 釈迦は生を苦しみとして捕らえた。
(5) 中国では輪廻を生が何度も味わえると喜んだ。
(6) 日本人の本来の考えは霊魂実在説
(7) 宗教と民俗学の関連の重要性(180p)
・ 歴史小説の作り方(武田信玄)
(8) なりふりかまわず生きて行く戦国の英雄としてストレートにそのまま書く。
(9) 英雄信玄を理想化した形で、生きる手本として書く。たとえば諏訪頼重は反乱を企んだから、やむを得ず処分した、という風に。(216p)
・ 日本には狂気を恥とする嫌な伝統がある。(446p)
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