古本屋探偵の事件簿 紀田 順一郎


創元推理文庫

「本の探偵、昔の本、今の本、名簿、卒論参考書、何でもみつけます。」…神田の古書店主人須藤康平はこんな看板を掲げている。その信念は「蔵書一代、人また一代、かくて皆共に死すべし」で、豊富な経験をもとに、知人、可愛い助手小高根俚奈の助けを得て難事件を解決。
語り口は非常に落ち着いている。しかし話のはじめに、関係の有りそうも調査話が次々に出てくるので一寸退屈するかも…。殺人を起こさなくても立派な探偵小説が書けることを証明しているような一冊と言う事も出来る。
著者の専門分野である古書に対する蘊蓄が非常に面白い。ふと情報革命が急速に進み、復刻も手軽に出来るこのごろ、こういった古書の価値はどう変わったのだろうか、と考えた。
殺意の収集
なじみの客津村が昭和戦前の一大稀書「ワットオの薄暮」初版本を手に入れたと言ってきた。彼はこの書を江戸川橋図書館に寄託したが、どうしても金が入用になった。一時的に請け出して質草にし、金を借りたいと言う。ところが図書館で朱色の布を張ったこしらえ帙をあけると古雑誌に変わっていた!津村が預けてから、請け出すまでに閲覧した者は最初に閲覧した石塚老人、最後に閲覧した井田晴雄、そして途中で借りたらしい男X。Xは島崎進ではないかとも考えられたが、その日三浦半島に釣りに行っておりアリバイが完全に見える。しかしもし高速艇で東京湾を横切り川を登ったとしたら…・。殺意を持つくらいで無ければ望みの古書は集まらぬ。事件は、偽の初版本も登場し混迷を深める。
書鬼
風光明美の依頼は「シートン動物記」初刊本の第五巻。調べて行くうちに彼女があの古書収集狂矢口彰人の孫と分かった。その弟彰が彰人と折れ合いが悪く、友人の北見圭司と祖父の書類を盗み出し、八戸あたりに潜伏しているらしい、その居所を調べたいと言うのが真意と分かった。ところが彰が最近どこにも現れた様子が無い、いるとすれば…・。矢口彰人はうずたかく積まれた本の谷間にいたが、須藤を見ると「この本盗人!」と杖を振り回して襲ってきた。痛みが走り、意識が薄れる。
無用の人
尾崎朋信の依頼は「横浜新誌」。半年ほど前、即売展に出品され、山本なる男にさらわれてしまったと言う。さらに古書市に「花柳文献一括五十七冊」がでるから落札して欲しいとの連絡。ところが市では少しずるい手で、日ごろ気に入らない林書店にさらわれてしまった。尾崎に報告すると、彼は成島柳北の曾孫だと打ち明け、花柳文献の中に「横浜新誌」が入っており、そのこよりに柳北の書いた「柳橋新誌」が使われているらしいと言うのだ。そして林書店の出火。
しかし須藤は一連の行為が尾崎の売名と見破る。
夜の蔵書家
谷口の紹介による岩沼医師はビニ本マニア。刊行した「女人礼賛」をわいせつ出版物とされ、裁判にかけられた森田一郎を探して欲しいと言う。理由をつめると、医師は昔森田経由でビニ本を手に入れ楽しんでいたが、あるにが森田の存在を匂わせて金を強請られているのだと言う。森田の跡を追うと、大連から引き上げ、一時仙花紙を使った安手の書籍販売に乗り出したが失敗、さらに偽札事件関連で何度か当局の追求を受けた後姿を消したと言う。その後酔って川に落ち、死んだらしいとの情報もあった。
森田追跡がある程度煮詰まったころ、岩沼の女という白石恒子から森田の死を確認して欲しいと依頼される。どうやら失踪した森田探しには隠された過去のしがらみ、家庭の事情などが絡んでいるようだ。
・ 年を取ると、まず感じるのが孤独。もう一つは時間の長いことだ。いつまで経っても日が暮れない。…・大体七十五を過ぎると同年輩の友人がほとんどいなくなる。八十を過ぎると兄弟すらもいなくなる。(443p)
・ 「糟糠の妻は堂より下さず」とあるのは、貧窮を共にした妻を生涯大切にすべきであるの教えだが、これは利害関係の無い間柄と言うものが、いかに尊いかを示している。(443p)
・ 元々女と言うのは粘土のようなもので、男の指先一つでどのようにでも柔らかくなりもするし、一日水をやるのを忘れていると、すぐ干からびてカチカチになってしまう。か弱い陰花植物のようなもので、自然の出来損ないである。自然である以上、モラルからは超越したもので、ラ・ロシュフーコーが「女が貞節なのは必ずしも貞節からではない」と言ったのは、非常な洞察と言わねばならない…・。(444p)
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