後光殺人事件        小栗 虫太郎


創元推理文庫 日本探偵小説全集6


 小石川劫楽寺の奥の大樹鬱蒼と茂る堂宇の中、技芸天女像に向かって端座し、数珠をかけて合唱したまま、胎龍住職は死んでいた。頭部の創傷は、頭蓋縫合部にあけられ、凝結した流血が盛り上がり、さながら桜実をのせたアイスクリームさながらであった。
この事件に刑事弁護士法水麟太郎、支倉検事、熊代が挑む。犯人は同居人の洋画学生なのだが、犯行方法が凝りにこっている。
 まず数ヶ月前から薬師堂の如来像が後光を発するようになる。自分の眼を捧げてまで信仰熱心だった胎龍は天罰の現れとおそれおののくようになる。そして当日祈祷中に再び閃光と煙を見せる。超自己催眠状態になった胎龍の後ろから、犯人が筒型灯を持った犯人が近づき、頭上にかぶせて、次第に縮めて行った。
 後光の仕掛けは最初の物が臭化ラジウムと硫化亜鉛による夜光塗料、当日が線香花火と鏡と言う。まるで手品である。さらに犯人は自己のアリバイを作るために隣家の柱時計の針の間に剃刀の刃を挟み込む、などの仕掛けをする。希望の時間に達するとつながっている糸を切り、仕掛けの携帯蓄音機が周り、蜘蛛糸の弦をひき、発音機から時計の音ににた音を出させるという物。現代ならテープレコーダでタイマーをセットしておけばそれで十分なのだろうけれどもこった物だ。
 犯行後の足跡を消すため池の堤を切って水を流すが、そのため水位が少し下がり、浮き出た蓮の花の中心に血を求めて蛭が集まっていた、などという話も唖然とする。その上、最後に犯行を暴露された犯人が配電盤に飛び込み、感電死したなぞ、なんともはや・・・・。

 これも現実的な可能性についてはいくらもケチはつけられようが、推理小説としては実に面白い作品で、私は好きだ。

(テープレコーダーについて)
「1898年にデンマークのパウルセンによってピアノ線(鋼線)を用いた磁気録音機が発明されたが、やっと実用化を見たのは1930年代である。・・・性能上も欠点が多く、軍用や放送用に多少実用された程度であった。第二次大戦中ドイツにおいて、今日のように磁性鉄粉を紙やプラスチックに塗布した録音テープが開発され、戦後テープレコーダーは急速に発展を遂げた。・・・・家庭にまで広く普及するに至ったのは、1960年代のことである。」(平凡社大百科事典)

(1933 32)

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