新潮文庫
大正初期、維新の功臣を祖父に持つ、松枝侯爵家の嫡子清顕は、自宅では書生の飯沼、学習院では学友本多、シャムから来た二人の王子等に囲まれ、誇り高い青年として育っていた。彼は子供の頃に預けられた綾倉伯爵家の令嬢で年上の聡子と縁が深かった。聡子の誘いで雪景色見物に出掛けるが、その後ちょっとした行き違いで清顕は、聡子を誤解し、疎遠になってしまう。聡子からもらった手紙も捨ててしまう。
ところが洞院宮がおなりになった観桜会のおり、治典王が聡子を気に入り、やがてご結婚の話が持ち上がる。侯爵は清顕にこの縁段を進めて良いか相談するが、清顕は、心を動かされることなく承知する。勅許もおりるが、このころになって清顕は、自分が聡子に恋していることを知る。聡子の侍女蓼科を通じ、「会わせろ」とせっつく。隠れている鎌倉の別邸に聡子を呼びだし強引に関係してしまう。
度重なる<禁じられた恋>はやがて聡子の妊娠と言う結果もたらす。勅許がおりれば次は納采でいよいよ結婚となる。事実を知った松枝、綾倉両家では大慌て、外聞をはばかり聡子を幼い時に世話になった奈良の月修寺に赴かせ、有名な医者にたのんで堕胎をさせる。しかし、身を恥じた聡子は手術後髪を下ろしてしまう。
破談になり、世間は大騒ぎする。一方聡子をいよいよ忘れられなくなった清顕は、軟禁されていた自宅を抜け出し、奈良に向かった。
話のあらすじは以上であるが、作品の最後に小さく書かれた註が気にかかる。
「「豊饒の海」は「浜松中納言物語」を典拠とした夢と転生の物語であり、因みにその題名は、月の海のラテン名なるMare Foecunditatisの邦訳である。」
従ってこの作品は第二部以下を読んでみて、その良さが分かるのだろうが、一応、第一巻を読んだ段階でまとめておいた。
しかし破滅へ運命づけられた悲劇的な愛を、よくもこれだけ優雅絢爛に描けた物と驚く。ねっとりとした実に高雅な書きぶりである。
・ そうだ。おれ達の時代の真実が、死んだ後で、たやすく分離されて、誰の目にもはっきり分かるようになる。そうしてその「真実」というやつは、百年後には、まるきり違った考えだという事が分かって来、おれ達はある時代のある間違った人々として総括されるんだ。…・時代という物は、いつでも一つの愚神信仰の下に総括されるんだよ。(109p)
・ それは「他人の女」であった。しかし無礼なほどに聡子は女だった。(256p)
・ 彼は今こそ、自分の若さの最良の時が、沖合遠く消え去って行くのを感じた。(274p)