文春文庫
ミステリーと言うと何か事件を作り出さねばならぬ、という感じを持ちがちだが、日常の行為の中にもミステリー的なものはたくさん含まれている。それらを題材として捕らえようという考え方は大賛成。生きた人間が描かれ、無理が無く、人情が感じられて、実に楽しい。いわば歌舞伎世界版の趣。ただ、世界が世界だけに難しい面も多く、私は渡辺保「歌舞伎手帳」を脇におきながら読んだ。
芸談の実施
雅楽は、芸談を取りに来た関寺真知子という娘を非常に気に入っているようだ。彼女は養女で雅楽に「親を捜してください。」と頼む。父は女形の歌舞伎役者、母は亡くなったという。雅楽が、真知子の顔を女形にこしらえさせると、女形中村萩之助に生き写しだった。
かなしい御曹司
若手の興行で、「忠臣蔵」の通しが決まり、栄之丞に先代もやった勘平の役が回ってきた。ところが、自信が無いという。妙な脚本など書いている。母親に頼まれて雅楽は、素人青年相手に演じてみせ、栄之丞に「私に勘平をさせてみて下さい。」と言わせる。
家元の女弟子
人気の女形英二郎が藤川流に通うようになったのは、一人娘の弥生がお目当てと思っていた。ところがハワイから見習いに来たしげ子が好きで、結婚したいという。困ったことになったと思っていると、弥生は、これもハワイから来た青年と結婚することになりうまく行く。ところが、今度はしげ子の両親が、英之丞、英二郎父子が「妹背山(御殿)」でいじめの官女とお三輪を演じるのをみて、「あんな意地の悪い舅のいるところに娘はやれない。」と言い出した。そこで「酒屋」を公演し、英二郎におその、英之丞に舅を演じさせることにする。
京美人の顔
妻の従姉妹、高尾冬子の娘、栄が家に戻らぬと大騒ぎ。しかし日仏合作映画「お絹さん」主役に選ばれたためと分かった。しかし私と雅楽は彼女には向かぬ、と反対、とうとう大乗り気だった父の伸夫を説得してしまう。しかしまだ芸能誌の嫌がらせが・。
女形の愛人
女形の京太郎と文子はおしどり夫婦だったが、京劇を見たおり、かって中国で通訳をした胡麗芳が抱き着いてからおかしくなった。しかも中国公演で「寺子屋」の戸浪などを演じるが、役になり切るため文子への連絡をおろそかにした。帰ると機嫌が悪く、破局寸前。仕上げは胡麗芳から手紙で「愛人によろしく」。しかし妻のことを中国ではしばしば愛人と書くのです。
一日がわり
人気のある立役の役者、中村丹四郎、板東好之助、市村録蔵は仲良しだったが、結婚話で、仲がギクシャクし出した。そこで忠臣蔵を、役どころを1日がわりで変えて演じたが、録蔵の勘平がどうも生彩を欠く。雅楽が聞くと「鉄砲で誤っておかるの父親を撃ったのではないか、と思い込む場面で、いつも真ん前の席に矢がすりを着た違う女が坐っている。気になって仕方が無い。」という。
荒療治
「演劇界」新年号のカバーに8人の中堅の役者が勢揃いした写真、「誰が好きか。」と聞くと真知子は、嵐平六という。自分から役を希望せず、地味で、いつもろくな役をもらっていない男だ。しかし、それを聞いた雅楽は「野晒悟助」の大役をやらせてみようとする。
市松の絆纏
真知子は雅楽のかっての女房役で引退した嵐梅三郎を信州安中に訪ねる。しかし自分は病気、周囲はそれを隠していると考えてか、梅三郎はひどく元気がない。そこで雅楽と私がついて再び訪問する。雅楽はひげもそらずに、年寄りに見せて梅三郎のもとに現れ「お互い歳を取った。」と慰める。思い出話で、梅三郎が帯を隠され慌てたが、ポーの「盗まれた手紙」と同じで目と鼻の先にあった、という話が面白かった。
二つの縁談
去年還暦を迎えた沢村此次郎が若い娘と再婚するとおおはしゃぎ。ところが私の家に日本橋堀留の木綿問屋瀧田の娘文代が相談に来て「父が困っているときに此次郎が金を出してくれた。先方の希望で私を嫁にやる約束をした。しかし私には将来を誓った慶応の学生がいる。助けてもらえないか。」私と二人で、此次郎のあたり役「妹背山(吉野川)」の大判事の思い出や、「新薄雪物語」での一人二役の活躍などを語りながら、文代の事情を説明する。
おとむじり
真知子に縁談話が持ち上がり、雅楽が元気が無い。おとむじりというのは母親に子供ができるときまると、一人っ子が異様に母親に甘えて離れなくなることをいう。私は真知子に「もう君の後継者は決まっているから。」というような話をする。いよいよ結婚式で、雅楽のスピーチが突然とまった。見ると花嫁の真知子が雅楽スピーチを必死にノートしている。真知子をおとむじりにさせて良かった。
油絵の美少女
香川県琴平町の金丸座の「こんぴら歌舞伎」に赴いた時、雅楽は特別の席を取って置けという。一体誰が来るのだろうと待っていると、伊賀越の「沼津」の幕が引かれた頃、きれいな娘がやってきた。雅楽も驚いた様子。実は雅楽はその娘の祖母佐枝子を招待したのだ。雅楽が持っていると佐枝子の肖像のイメージを、佐枝子は壊したくなかったのだ。
赤いネクタイ
築地聖路花病院病院近くの徳田という花屋の二階で67才の父親が首を絞められた。側に赤いネクタイ。犯人は娘の恋人の波六。来月伊賀越の「十六夜清心」の清心役で出演、小姓の恋塚求女を殺すことになっていた。父親にその話をして、軽い気持ちで実演してみたら。「等々力座殺人事件」とプロットは似ている。
(1990 75)