双葉社 日本推理作家協会受賞作全集
昭和五十五年十一月、東京に近い新興住宅街の一件で、浪人中の次男が両親を金属バットで殴り殺すという、震撼すべき事件が起こった。事件の起こった家庭は、父親が東大卒で大企業で活躍し、人もうらやむ家庭、しかも犯人の次男はつねに「良い子」だった。そんな状況でどうしてこのようなことが起こったのか、本書は事件の真相に丹念な取材と、緻密な構成でせまった力作ノンフィクションだ。
作者の結論を要約すると・・・・
良い子だった次男は、周囲の状況からみて東大、悪くても早稲田か慶応くらいには入れると考えていた。ところが滑り止めに考えた大学も含めてすべて失敗する。はじめて味わった挫折である。彼は予備校に入るのだが、そこでの成績がまた思わしくない。自信を喪失し、だんだん嫌になってくる。そんな状態で一年後を迎えたから、また失敗する。
二年目になって少し希望ランクを落としたが、努力しないのだからのびるわけがない。そのうち予備校に通うのが嫌になってくる。家には予備校に行くと称し、実際は盛り場をうろついてやりきれない時を過ごす。
そして十一月、志望校を決めなければならない。周囲の目を気にしてランクを落とすわけには行かない、逃げ場がない、いらいらが募ってくる。そんなとき小さな起爆装置が働けば、暴走するのに十分だ。親父のクレジットカードを無断使用したことが発覚したのは良いとしても、金を盗んだとあらぬ疑いをかけられてしまった。しかもこういうときいつも味方になってくれた母までが、父親についてしまった。
父親の「あしたこの家を出ていけ!」は残酷すぎる言葉だった。自室に戻り、飲めぬ酒をぐいぐい飲んで気が大きくなった。何とかしなければならぬ、という気持ちが、憎しみに変わり、どんどん自分の中でエスカレートしていった。そして明け方の犯行。
しかし、こんな状況は実際にはたくさん転がっているように思う。なにも青春時代に限定することもない。嫁と姑の間だって、富豪と貧乏人の間だって、先生と生徒の間だって、こんな状況が起こっても不思議では無いような気がする。作者は一つの事件を心理的側面から細かく分析したのだが、実はかなり普遍的な問題に取り組んだように感じられるところがこの書の与えるインパクトの大きいところだ。非常に面白かった。つい最近清水一行の「惨劇・・・石油王血族」を読んだが、あれもこれと同じ類では無いか、と考えた。
・われわれは耐忍性と呼ぶのですが、今の子供はそれが極端に弱いんです。(114p)
・適度な欠乏、適度な飢えがないといけない。日本の親は、子供の体を鍛えることには大変熱心なのだが、心理的に鍛えると言うことがない。(115p)
・日本の子供たちは各国の同年齢の中で群を抜いて家庭生活、学校、社会に対して「不満足である」と訴えている。しかも「周囲の人との接触や面倒なことを避け、巻き込まれることはいやがる。」点においても抜群であり、きわめて自己中心的である。(116p)
・「情性欠如」とは・・・同情、両親、公開、恥を知る心、悲哀、といった人間らしい感情のかけたもののことを言う。冷酷、反抗的など凶悪犯にありがちな性格といわれる。(137p)
・「趣味は仕事だけ」という無趣味・仕事人間がうつ病に捕らえられやすい。・・・博士は、うつ病患者を「人間の鏡とも言うべき人」とさえ書いた。(162p)
・(昭和ヒトケタ生まれは)身を持って味わった飢餓の記憶におびえ、妻子を飢えから守ろうとひたすらいえの外で働くことに忙しく、父としてもっとも大事な作業に心と時間をさくゆとりがなかった。(165p)
・果たすべき課題を果たさず、もっとも親しい人を偽って雑然、騒然とした町で無為に時間をつぶすのは地獄の作業である。(191p)
・すべてのものに関心を失ってしまった学生、意欲喪失、競争心の欠如、情緒的引きこもり、社会的不参加、社会的活動の停止・・・・スチューデントアパシー(196p)
・新しい子供たちに特徴的なのは、抑圧によって鍛えられていないために概して退却的、回避的な構えを取り、無関心、無感動である反面、刺激に対しては実に過敏であり、傷つきやすいと言うことだ(201p)
・思春期挫折症候群・・・・家庭内暴力(203p)
・家庭内暴力の要因は本人、家庭、社会の三つの面にあって、条件がそろうと発生する。第一に本人の挫折・・・本人の性格・・・母親が手をかけすぎる・・・父親の方は父性欠如・・・目上の人を敬う、親を大事にすると言った社会規範がゆるんでいないところには、家庭内暴力は少ない(204p)
・無気力症の特徴・・・精神的には現実認識・自己認識が漠然としている。自我の状態が未分化、未熟、幼児的。
不安、攻撃性、荒廃感が鬱積しているのに本人がそれに気づかない。密接な対人関係がもてない。行動様式が受け身で、紋切り型。性格的には本来まじめ。(210p)
・人生というレースにまともに挑んだものは、時にオーバーペースや無理な戦術を試みて失敗し、転倒する。若い人たちの痛ましい自殺はそうやって起こる。しかしレースへの参加を最初から放棄したり、途中でおりてしまったものは、当然の事ながら絶対に転倒することがない。この次男もまた・・・必死に生き残る道を求めた。(237p)
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