角川文庫
名探偵神津恭介が交通事故で三度目の入院をした。推理作家松下研三は過去神津が二度入院したとき、歴史問題を持ち込み、それをもとに「成吉思汗の秘密」「邪馬台国の秘密」をあらわしている。ちょうど日本古代史を小説風にまとめてくると言われていたので、今回もチャンス到来とばかり頼み込んだ。助手に娘の友人で、有名な吉備女子大日本史学科教授三宅祥次郎氏の美人娘洋子を採用する。彼女は今「ハレー彗星と恵美押勝」なる論文を書いているところだ。
以下三人の会話と言うスタイルでテーマ別に話が進むが内容はかなりややこしい。そこで3章以下について簡単にまとめる。
3宇佐八幡をめぐる三氏族
宇佐八幡をめぐって宇佐氏、大神氏、辛島氏が争った。辛島氏は韓国系と思われる。「書記」「古事記」に載ってる天の日矛は社に祭られている都怒我阿羅斯等と同様女性の後を追って日本に来たらしい。製銅技術も朝鮮からもたらされたから、古代日本史を考えるとき朝鮮との関係は無視できない。
4邪馬台国の秘密
前著「邪馬台国の秘密」では上陸地点を末蘆国にあった神湊と考え、邪馬台国宇佐説をとった。そしてそこに卑弥呼が眠っていると考えた。この邪馬台国が4,5世紀にどうなったかを解析したい。
5天の日矛の謎
天の日矛は新羅の王子で、書記では垂仁天皇ののころ、古事記では応神天皇の終わりころやってきたとある。いづれにしろ魏志倭人伝以前らしい。ヒボコは朝鮮半島から優秀な技術者をつれてやってきたらしく、また侵略的性格もあった。また神功皇后はこの数代あとらしく繋がっている。
6九州勢力の大和入り
今までの議論で大和朝廷の先祖が九州にいたことは確実のようだ。福岡県夜須郡の周りの地名と奈良県大和郡の周辺地名の酷似はそれを裏付ける。神武東征に先立って、韓国系物部氏の東遷があったと考えられる。物部氏は大和朝廷では大伴氏と共に大連という最高の家格を与えられる。欠史八代の天皇は天照大神を祭り、いづれも物部氏の娘に婿入りしている。
7謎の4世紀
日本の最初の天皇は「書記」では神武天皇(謚号)だが、「古事記」では崇神天皇になっているので、以前の九代はすべて架空として、欠史八代の考えになる。しかし崇神天皇は入婿で先帝とは繋がらないらしいから、外来者と考える。この二代後の景行天皇(九州征伐)と子の日本武尊(東征)は全国征服にいそしんだ。次の成務天皇は国造、県主などを定めた。
8神功皇后と応神天皇
第十三代成務天皇には子がなかったので異母兄の子が仲哀天皇として即位。従姉妹とすでに、香坂・忍草王の二人の王子を儲けたことになっている。神功皇后を迎え、後の応神天皇を産む。新羅攻めについて対立し、仲哀天皇が不慮の死をとげ、神功皇后は長期九州に滞在し、三韓征伐を行う。後に、香坂・忍草王を倒し、王位についた。応神天皇の次が仁徳天皇だが二人は同一人物とする説もある。
9歴史と神話の懸け橋
明治時代に那珂通世が神武天皇即位を紀元前660年としたことが発端だが、これだと百歳以上の天皇が何人も出てくることになる。しかし一年二倍暦を使い、応神・仁徳同一説を採用するとほぼ一致する。高天原では伊耶那岐・伊耶那美の男女神が国を産み落とす。そして須佐之男等との勢力争いに勝った天照大神が、天の岩戸をでて高天原を支配するようになる。天照大神は幾多の神を地上の国に遣わすが失敗、最後に孫の邇邇芸(ににぎ)の命を送っている。
10葦原の中つ国の発見
天照大神が自分の孫邇邇芸(ににぎ)の命を地上に送ったのは、自分の場所が危うくなったからである。日向と言う地名は福岡、大分、熊本に及び、宮崎はほとんどない。高天原は時代と共に変わっていったと考えられるが、天孫降臨の場所は大分県日田である。邇邇芸(ににぎ)の命はさらに葦原の中つ国(豊前中津)に出かけ、卑弥呼を立てた。卑弥呼は日向に通ずる。
11邪馬台国の消滅
卑弥呼の死後、狗奴国に攻められ、邪馬台国は分裂した。両国の和平派(熊襲)が脱出し、崇神天皇を産んだのではないか。狗奴国和平派は大伴氏と考えられる。九州の邪馬台国は分裂を続け、応神天皇成立時には地上から消滅してしまう。須佐之男命がやってきて宇佐女王と結婚し、三人の娘を産み、九州を脱出、娘たちは応神天皇后妃となったと考える。
12神武東征はなかった
東遷には誉田真若が後ろ盾となって神功皇后と応神天皇を助けて行った応神東遷と邪馬台国の副官と狗奴国和平派が組んで行った崇神東遷が考えられる。前者は住吉で香坂・忍草王、宇治川で武内宿禰と対戦するがその逸話は神武東征と酷似していることから、神武東征は創作ではないかと考えられる。ところで神武の子綏靖の存在は否定し得ない。すると綏靖天皇は仁徳天皇のことではないか。ただ年齢的に香坂・忍草王が仲哀天皇の子とする説も否定され、その存在は闇の中である。
13渡来人の王はいたか
物部氏は百済王朝の沸流系と考えられる。天つ神を奉じる一族は、魏志がやってくる一ないし二世紀前くらいには朝鮮にいた王族だったのだろう。だから第一次高天原は朝鮮にあったと考えられる。それが日本列島に入ったのが第一次天孫降臨である。神攻皇后が新羅を征服したかどうかはともかく、4世紀から5世紀の初等に新羅と関係があった。しかし応神東遷が海外からの進入者によるものとは考えられない。「日本書紀」では任那には日本府があったが562年に新羅の支配下に置かれている。7世紀に任那復興計画が何度か立てられている。
14隼人と熊襲をめぐって
古墳、あるいはその出土物から、応神天皇王朝が征服王朝とは考えられない。中国書物等によると紀元前六世紀ころ、呉、越など海洋民族系の民が稲作と金属器の技術を朝鮮半島南部に持ち込み、やがて日本に持ってきた可能性が高い。天つ神系の三族、伽耶、安耶、狗耶はすべて南朝鮮にいた。それが日本に展開した結果、天孫系の主流、隼人、熊襲となった。任那回復運動は故郷回復運動である。大伴、久米両氏が抜け出し、大和王朝を作ったが、九州に残って反抗した熊襲は逆賊になり、おとなしくしたがった宮崎の隼人は歴史に名を残した、と考えられる。
15呪われた蝦夷たち
蝦夷というのは江戸時代以降に現れたアイヌとは区別して考えなければならない。日本列島原住民(南方系と考えられる)は、九州方面から金属器をもって次第に中部日本から東北方面に展開していった倭人によって、居住地が狭められ、僻地に追われていった。これは血液型の分布にも徴候が見られる。前九年の役で安倍氏親子が撃たれるが、奇妙なことに安倍氏の祖先は長髄彦の兄だったという。(神武天皇を侵略者、長髄彦を祖国防衛者としている東日流外(つがるそと)三群誌によると、安倍氏系の安東氏は津軽の十三湊に城を築くなどかなり高い文化を持っていたが、1341年の大津波で破壊された。)場合によると沖縄と蝦夷は繋がっているのかもしれない。またこの検討から長髄彦、安日彦は香坂王、忍熊王のことだろう。
16出雲族の怨念
出雲の国風土記は奈良時代初期に編集され、朝廷に献上されたものだが、古事記の出雲神話と異なっている。しかも歴史上出雲が出てくるのは大分後である。出雲は716年に国造が平城京に郡司や神官ををひきつれて出向き、種々の献上物をささげた上「神賀詞」を奏している。以上の話から「古事記」に書かれている「出雲神話」は島根県の出雲とは関係ない。風土記の出雲神話は天孫降臨に先立って、出雲の国譲り(大和朝廷に屈服したこと)があったことにするために民話等を組み合わせて作ったものである。国譲りを強要したのヒボコ系の吉備津彦であったと考えられる。
17長髄彦(ながすねひこ)の正体
神功皇后が九州から生れたばかりの王子を擁して帰ってくるとというのに対し、賛成派と反対派に分かれた。内戦になり破れた方が東北に逃げたと考えられる。長髄彦は物部氏の協力を得られる一族で阿部氏、日下氏などが考えられる。安日彦がその兄とする話が真実ならこれも同門であろう。九州内の国名には日本の各地に対応するものが多い。逆に「魏志倭人伝」に出てくる邪馬台国の傍国名は日本国内の地名と対応するものが多い。
・「これで小説は書ける。日本古代史の原像は完全に修復できた。」
研三は、こう思った。そこで、最初から、頭の中で筋を追ってみることにした。朝鮮半島から、天つ神を奉ずる人たちが倭人集団の統率者として北九州に乗り込んでくる。そして物部氏を中心とする集団が大和に連合王国をつくる。北九州では、狗奴国を称する熊襲の圧迫を受け、甘木付近にいた天つ神の一団は日田を経て豊の国に移り、三世紀のころ邪馬台国として魏使の到来を受ける。一方、朝鮮から渡来した天の日矛の一族は、関門海峡の西に伊都国を建てて東進し、但馬の出石に王国をつくり、近畿地方北部に勢力をひろげる。
邪馬台国では、狗奴国との緊張を避けようとする一派が、卑弥呼の死を契機に脱出し、大和王朝に合流する。これが崇神天皇と熊襲の同族の大伴氏だ。この崇神王朝は、ヒボコ系の吉備国の力で独立王国の出雲を支配下に置く。
四世紀の初め、景行天皇は狗奴国の残存勢カを討つため九州を巡回し、耳納の地で朝鮮系の美女の八坂入姫との間に五百木入日子をもうげる。その二代後、仲哀天皇と神功皇后は筑紫に出障し、天皇は現地で亡くなるが、神功皇后は朝鮮に渡る。帰国後、九州で応神天皇を産むが、大和への帰還をためらっているとき、五百木入日子の子の誉田真若が後楯となってくれる。真若は宇佐女王との間に生まれた三人の娘を応神天皇の后妃とし、外戚的な立場から河内王朝をもり立てていく…・。(307-8p)
(参考)「邪馬台国の秘密」のまとめより
「邪馬台国は大分県宇佐神宮が中心であったとする。そして昔の墓で建て替えの時、かいま見られた石棺の中に、卑弥呼は葬られていたと考える。志賀島の金印については、反乱か何かが起きたときに一時的に隠したものではないかと考える。一方で卑弥呼と大和朝廷の関係についてふれ、東征して日本を始めて統一したのは神武天皇ではなく、第14代応神天皇であったと考える。」
010413