創元推理文庫
一子の夫の棚橋優こと中村銀弥は深見屋の名を取る歌舞伎役者だが、最近言葉を忘れて行く様子で気が気ではない。その一方で一子は雑誌記者大島良高にも惹かれている。
大阪道頓堀の恵比須座、事件は昼の部絵本太閤記十段目「尼ヶ崎の段」で起こった。幕が下りて外に出ようとした客が、一階客席最後列の花道の横に、女性が腹部に包丁をつきたてて、倒れていることに気づき、悲鳴をあげた。被害者は、もと祇園の芸妓で、現在は北浜で料亭を経営している河島栄、彼女はこの日の主演葉月屋こと小川半四郎の婚約者でもあった。
事件の調査に私立探偵今泉文吾が乗り出す。大部屋の女役者私こと瀬川小菊がもちろんワトソン役を買って出る。
どういう理由か不明のまま、中村銀弥が言葉を忘れて行くようになり、なんとか立ち直らせようとする第一幕、恵比寿座での殺人事件が発生し、今泉文吾、瀬川小菊が捜査に乗り出す第二段、歌舞伎役者の心意気を考慮に入れながら事件を解決する第三段の三つに分けた書き方もなかなかである。いろはにほへと47文字を暗号文にみたてているところもびっくりした。7字おきに読み最後のすを加えると「とかなくてしす=咎なくて死す」となる。そのような点からは優れた作品であることに変わりはない。
しかし女は愛していたが、少しその状況に退屈していた。、だから花道に包丁を自分の腹に向けて立っていた。愛する人は必ずよけてくれるに違いない。、ところが恋人はコンタクトをはずしていた上、10キロの鎧を着て全力疾走して来たから、よけきれなかった、ドスン、彼女は腹に刃をたてたまま、すっ飛ばされ、そのまま息絶えた、それを見ていた「舞台で恋人の相手役をやっていた女形」は、恋人が女を殺したと考えて、記憶を失うようになっていった、という事件の解決ぶりは相当無理がある。なんだか島田荘司の作品も顔負け、と言った感じである。
歌舞伎に対する深い蘊蓄、体言切りの文章は皆川博子の「壁・旅芝居殺人事件」を思い起こさせた。
011211