人間椅子・鏡地獄        江戸川 乱歩

東京創元社日本探偵小説全集2

人間椅子
 美しい閨秀作家の佳子は、夫の登庁を見送った後、未知の人々の手紙に目を通す。その手紙は、どうしたことか、表題も署名もなく突然「奥様」という、呼びかけの言葉で始まっていた。
「私の専門は椅子を作る事です。できあがった椅子に、座り具合を試しながら、いつも妄想にふけっておりました。ある時あるホテルから大きな革張りの肘掛け椅子の製作を頼まれました。作り上げた時、いっそこの椅子に入り込んで運ばれて行き、ホテルに忍び込んで小金を盗ったら、どうだろうと考え、実行してみました。しかし実行してみると太った西洋人が私の体に乗ったかと思うと、若い異国の乙女が体を投げかけるなど、面白くてたまらないのです。私は夢中になりました。ところがホテルが経営不振で和風の旅館に衣替えする事になり、椅子は競売にかけられました。私は立派なお屋敷を持つお役人に買われました。若い美しい夫人に愛用されるようになりました。そのうちに私は彼女を愛する様になったのです。是非一度人間としてお会いしたくなったのです。
 もう、お分かりでしょうがこの若い美しい夫人、と言うのは奥様の事です。いま、あなたがこの手紙をお読み下さるころ、私は青い顔をしてお屋敷の周りをうろついています。もしよろしかったら書斎の窓の撫子の鉢植えにあなたのハンカチをおかけ下さい。」
「おお、気味の悪い」とぼんやりしていると女中が「奥様、お手紙でございます。」あわてて読んでみると「私の拙い創作、いかがでしたか。ご一覧の上、ご批評いただければ、この上の幸いはございません。」
 閨秀作家が夫を送り出した後、手紙を読む、という設定がまずどきどきさせる。椅子に潜り込んで、美女に座ってもらうというエロテイシズムとどんでん返しが素晴らしい。

鏡地獄            
「めずらしい話とおっしゃるのですか、それではこんな話はどうでしょう。」と説得調で入って行く。
 私の不幸な友達は、子供の頃からレンズ狂いだった。私が見せてもらったものの中には、日の光で寿の字を壁に映し出す鏡、人の顔を大きく映したり、紙幣を実在するかのごとく感じさせる凹面鏡などがあった。
 長じて彼は親から譲り受けた財産をますますレンズにつぎ込むようになった。部屋に望遠鏡を備え付けて、若い小間使いの私室をのぞいたり、断末魔の蚤を顕微鏡で覗いたりした。自分自身の拡大した像を見せて私を驚かせたり、壁と天井がすべて鏡の部屋に恋人と閉じこもったりした。しかしそのころから彼は次第に健康を損ねて行った。
 そしてある日、玉乗りの玉の様なものには行って出られなくなった。私がたたき割って救ったが出てきた彼は狂っていた。ガラスで球を作り、外側に水銀を塗る。そしてその中心に座る。文字通り彼は凹面鏡責めにあったわけだ。彼はその後、狂ったまま、この世を去ってしまった。
 鏡の球の中に入り込む、というアイデアで描いたような作品。日の光で寿の字を壁に映し出す鏡は和久峻三の「鏡の中の殺人者」にある魔鏡の事だ、と思う。
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