東京創元社日本探偵小説全集2
押絵と旅する男
久世光彦の「一九三四年冬・・・乱歩」に乱歩の成功した短編小説と紹介してあったので、再度読み直して見ることにした。
蜃気楼を体験した私は、夕方の6時頃魚津から上野行きの汽車に乗った。乗客は私の他にたった一人の先客が、向こうの隅のクッションにうづくまっているばかりであった。ところが男は、窓側に立てかけてあった扁平な多分額に違いないものを風呂敷にしまい始めた。私は興味を起こし、男の向かいに席を移動し、見せてもらった。額には泥絵で書院風の部屋が描かれ、その背景の中に黒ビロードの古風な服を着た老人が窮屈そうに座り、膝の上に緋鹿の子の振り袖に黒繻子の帯のうつりの良い十七、八の美少女がしなだれかかっていた。二人の像のみ押絵で、男の薦める双眼鏡でのぞくと、二人はまるで生きているようだった。男は押絵の二人の物語を始めた。
「明治28年の頃、兄は飯もろくろく食べず、体はやせ細り、顔色が悪くなってしまった。心配した私が兄の行く先をつけて行くと、浅草凌雲閣12階。兄はそこから遠目がね片手に下をのぞいている。私が無理して聞き出すと「一と月ばかり前に、観音様の境内を眺めていたら一人の娘を見かけた。大層美しい娘で、心を乱された。それからもう一度見ようとここに毎日通ってきている。」と言うのです。
無理かとも思いましたが、ある時「娘を見つけた。」というのです。観音様の裏手、松の木のあたり。捜している内に別れ別れになりましたが、ふと気がつくと兄は覗きからくりの眼鏡を夢中に眺めている。そして「この中にあの娘がいる。」と言うのです。私がのぞくと八百屋お七と吉三の押絵が見えました。ところが兄の薦めに従って、逆にして兄をのぞいたところ、兄は見る見る内に小さくなり消えてしまったのです。永遠に。
私は兄はあの押絵の中に入ってしまったに違いない、押絵になってあのお七と結婚したに違いないと考えました。そこで親に頼んでその押絵を買い取りました。そして押絵を兄と思って新婚旅行に連れて行ってやった後、魚津の家にあづけて置いたのです。それを今回、東京も変わったので、見せてやろうと思って持ち出しました。ごらんの通り、お七は人形ですから昔のままですが、兄はこの様に歳をとってしまいました。」
男はどことも知れぬ山間の駅に消えて行った。その姿は押絵の老人の姿そのままであった。あれは私の夢か、一時的狂気の幻か、それとも・・・・。
幻想小説とでも言うのだろうか。泉鏡花の作品を思わせ、理解の難しい作品である。しかし魚津の蜃気楼に始まり、夜汽車の中の会話、別れにいたるまで雰囲気が実によく出ている。
目羅博士
閉園間近の上野動物園にいった私は、檻の中の猿にさんざん芸をやらせている青年に興味を持った。青年は「猿の真似する本能というのは面白いですね。こんな話を聞いたことがある。ある男が山奥で大猿に出会い、腰の刀を奪われてしまった。困った男は棒きれを拾って振り回すと猿は刀を使ってその真似をする。そこで頸をたたいて見せたところ、猿も同じ事をして死んでしまった、と言うんですよ。」そして「小説の種をあげましょう。」と似た話を始めた。
ビルの作る峡谷に面して二つの寸分違わぬ5階建てのビルが建っていた。ところが屋上の北の部屋で三人続けて、軒を使って首吊り自殺をした。調べてみると、いずれも月夜の晩だったこと、向かいの同じ部屋に目羅博士がいたこと、が共通。
新しい客が入った時、博士の後をつけると彼は洋服屋に行き、客と同じ服を買った。夜になり、じっと見ていると博士は人形にその服を着せて、軒にぶら下げるではないか。私は分かった。客は皆、鏡の像が一致するように博士の吊した人形の真似をしたのだ。そこで私は人形に博士の服を着せヴェランダに腰掛けさせた。向かいのビルの博士も同じようにした。それから私は人形をけ飛ばして突き落とした。博士も同じようにした・・・。
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