聖域 篠田 節子


講談社文庫


実藤は、この夏、ビジュアル誌「ウイークリージャパン」から、月間部数3000部だったが、赤字がかさんで季刊に変えた「山稜」編集部に移動してきた。古手の編集者篠原が出社しなくなり、実質的には編集長米山、女性編集員花房と彼の3人だけ。篠原の残していった原稿をチェックするうちに水名川泉という作者の書いた「聖域」という原稿が見つかった。天台宗僧都慈明の布教活動と土着宗教との葛藤を描いたこの作品は、ひどく魅力があったが、未完であった。
この作品は「山稜」が取り上げるにふさわしい、と考え篠原を訪ねるが、「焼きすてろ!」と一言。そうしているおり、チベットに取材に行っていた恋人豊田千鶴の事故死が伝えられた。引退した神崎は水名川を一度取り上げようとしたが、差別用語などが多すぎしかも訂正しようとしない、殺されたのかもしれない、という。水名川は今では文学界の大御所に収まっている三木清敦と北斗文学賞を同時受賞している。三木によると、東北の土着宗教に興味を持ち、取材調査に行ったが、そのまま行方不明、ミイラ取りがミイラになったのではないか。
「聖域」の舞台になったらしい、岩手、青森の資料を追ううち見つかったのは、百日行で死んだ巫女のの話だった。水名川の修行地を求めて一関から恐山に向かう。途中で三木の足跡を発見、読んだらしい本の霊燈園に線が引いてあった。そのころ、あの篠原が死んだ。
正月明け、「ウイークリージャパン」の信者の告白記事から、水名川が霊燈園教祖に収まっているのではと考えた。そして教主、つまり事務等一切を取り仕切る役に水名川の恩師で、理論派の西田宗太郎がなっていることを知った。ふたたび青森に赴き、霊燈園に潜入、信じる様子を見せながら、ついに教祖にあう。しかし違う人物で前の教祖はカミサマになられたという。カミサマの行方を追うと小さな町で旅館と契約してイタコをやっていた。修行の後、西田にいわれるままに教祖役をやったが、見るのは他所からきた金持ちばかり、西田のねらいも勢力拡張にあり逃げだしたという。
水名川は千鶴の霊を呼び起こしてくれた。実藤は自分が知らぬうちに千鶴と共にいる気になった。水名川は「聖域」の舞台となった地に実藤を案内する。水名川はむこうの世界は皮一枚で繋がっている、あなたの恋人はあなたに至る道筋を見つけた、という。どういう事なのだろう。不思議に思いながら、得体の知れぬ魅力に引きずりこまれて、実藤は必死に「聖域」を完成させるように依頼する。

・天台宗の慈覚大師を中心とする東北布教記。(27p)
・僕は、泉より七歳だけ上だが、それでも同じ世代に属している。つまり戦争を経験している。僕は終戦間際の満州で、泉は疎開先の青森で、人が日常的に死んで行くのを見ている。死が身近にあったって事が、僕と泉だけでなく、この世代を結びつけているんだ。(245p)
・死の後に、残るものなど何もない。…山に登っていくこともなければ、十万億土の彼方にも行きはしない。無くなるのだ。(374p)
(1994 39)
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