照柿             高村 薫


講談社ハードカバー

 作者は、「私は推理小説を書こうとは思っていない。」と言っているそうだ。それでは何を書こうというのか。私なりの解釈では、作者は、非日常的な事件を通して、社会にひそむ問題を摘出し、そこにうごめき呻吟する人間を書き、そこから人間の根元にせまろうとしているのだと思う。だから記述は、事件そのものに限定されず、影響を与えた過去から現在に至る話を細かく取り上げ、その事実列挙の合間に作者の思想、考え方をちりばめる、という手法をとっているように見える。最後はハッピーエンドになる必要など更々なく、数々の事件の当然の帰結として落ち着くべきところに落ち着けばよい、という考え方のようだ。私は、今まで高村薫の作品をいくつか読んだが、今一つこの辺がよく理解できなかったこと、暗く思い作品だと聞かされていたことを鑑み、ノートをとりながら読んでみた。

 捜査一課の合田は、拝島駅で女が男と争い、女が線路に落ちるのを目撃した。近くに男の妻美保子がいて、尋問するが、彼女に強く引かれる。
 この直後、太陽精工に勤めて17年、熱処理工程を担当している野田が美保子に出会った。野田と美保子は同じ団地に住み、美保子が結婚する前は深い仲だった。野田は美保子を警察に密かに引き取りに行き、自分のアトリエ多摩荘にいざない関係する。美保子は夫との不幸な結婚生活を愚痴る。
 会社で製品不良続出で攻められていた野田は、突然父の訃報を受けて、大阪に向かう。財産がからみ、叔父や妹とのぎすぎすした雰囲気の中、野田は生前父が銀座の笹井画廊に絵を預けていたことを知る。東京に戻り美保子と再び関係した後、自宅に戻るが妻に事態が発覚、激しくなじられ再び会社へ。小火災、会議、QCサークル、源太の死などに、不眠不休で振り回される。
 一方合田は、八王子で起きたホステス殺人事件を追っており、暴力団との賭博で負けの込んでいた土井をホンボシと考え、別件で大阪暑に拘留させていたが、堀田と言う別の男が自首し、苦しい立場。大阪に出張する事になるが、途中、東京駅で幼なじみの野田に遭遇、さらに別れた後彼が美保子に会っているところを目撃する。嫉妬を覚えた彼は、大阪から帰ると太陽精工に接触し、野田を美保子のもとから追い払おうと画策し始める。そして偶然に美保子と出会い、映画館内で関係。
 源太の葬式も終わり、やっと一段落ついた野田は自宅に帰ろうかとも考えるが、妻の目がうっとうしく多摩荘に赴き、美保子を発見。傷口をなめ会った後、なんと言うことなく一人で酒が飲みたくなり外に出るが、そのまま東京へ。目当てのバーがしまっており、あてどなく歩くうちに笹井画廊主人に出会う。高級ウイスキーをおごられながら、その見下したような態度と饒舌を聞くうち、憎しみがこみ上げてきて不意に撲殺してしまう。
 本庁では、ホステス事件が堀田と自首した土井の犯行で決着が付く一方、合田が野田と幼友達でしかも美保子獲得のため動いていたことが疑われ、激しい追求にあっている。それは野田が笹井殺しを認める電話が入ると、一層激しくなった。
 大阪で、美保子まで階段から突き落として廃人にした野田が、捕まった。ついに合田は、転属願いをだした。
 熱処理という泥臭い職場の苦労が非常によく描けている。作業の実態や男たちの苦しみが伝わってくるようだ。なおタイトルの照柿の色は、焼成温度で燃える炉の火炎の色や大阪西成の夕焼けの色などの象徴としてつけた物らしい。


・汗の後の塩化ナトリウム(33P)
・犯歴紹介装置(242P)
・野田達夫本人に逆利用できるような犯歴はなくとも、証拠を残さず法に触れることもなく一人の人間を叩きつぶす方法はいくらでもあった。目の前から消し去る、追い落とす、破滅させる、どれもやろうと思えば簡単な話だった。(243P)
・この美保子と寝るだけでなく、所有するというのは、どんな物だろうか。所有したら結局律子のようになってしまうのだろうか。いや、律子と夫婦をやっているのは、所有していることになるんだろうか。違うだろう。(294P)
・手ホンビキ(320P)
・ガスえそ(371P)
・<すみません。今夜は研究室です。ご飯は冷蔵庫。洗濯物、取り入れて下さい>という書き置きを眺めて、雄一郎は一度ならず「俺は何なのだ。」と思った。理性では、家のことなど構わずに好きなだけ勉強したらいいと思っていたのに、現実にはそんな有様だった。貴代子にしても、三日も四日も帰らない亭主を待ちながら、似たようなことを考えたはずだ。(383P)
・女の孤独は相手に向かって暴発するが、男の孤独は相手からの逃避になる。暴力を振るう女は、満たされないことで愛を知るという矛盾を生きているのかも知れないが、暴力を振るわれる男は、それを受け止める懐の深さはない。(390P)
・<殺した>という実感や罪の重さの認識は、いつ、どんな形でやってくるのだろう。ここから何が始まるのだろう。無限に続く暗夜だろうか。(448P)

(照柿ノート)
第1章女
捜査一課の合田は、拝島駅で女が男と争い、それから線路に落ちるのを目撃した。ひっそりと隠れていた女に尋問するが、妙にひかれる。彼女は、佐野美保子と名乗った。
野田は、羽村駅前のバス停でバスを待っていた。二通の葉書・・・・自作の絵の入選通知と笹井画廊からの手紙を思い出していた。ロータリーに向かって歩き出すと、昔の女佐野美保子に会った。彼女は、亭主が拝島の旅館で見つかったと言った。野田は、太陽精工熱処理職場担当、やっとバスが来て工場に着くと、末永に呼ばれた。「割れがでた製品が目立つ、調べろ。」と言うのだ。苦労して調べていると、挨拶の悪い新入りに出会う。小木と言うのだそうだ。大阪の義父が亡くなったと電話が入る。特別休暇を取る。拝島駅で若い女が飛び込んだことを知った。
合田は、八王子マンションで起きたホステス殺人事件(80万円が消えた)で土井をおっていた。土井は、竹内組等暴力団のからむ博打の負けが込んでいた。ところが上長の林から堀田で決着をつけろ、と言われる。別件逮捕の堀田が自白したと言うのだ。しかし合田は、土井を些細な罪で拘留している大阪に行くことにする。サイコロが二つ渡された。拝島で飛び込んだ女は中国人だったそうだ。昭島暑から現場を荒らしたと抗議の連絡があった。大阪から土井が自殺未遂を計ったと連絡。
合田が同僚と飲みに行くと、拝島駅事件で、昭島暑は男を殺人容疑で調べているという。男の妻が乗り込んだのだそうだ。又三郎が花札を見せ、竹内たちのいかさまの手口を暴いてみせる。別れた妻貴代子の双子の兄(義兄)に法事に行けなかったわびの電話。彼は検事だ。竹内が行くとの電話が入っていた。
野田は、拝島でつかみ合った男の妻は、佐野美保子しかいないと確信する。昔の美保子との愛を思い出す。野田は、女に電話をかけまくる。川口という家では「死ね」の答えが返ってきた。笹井画廊に電話する。明日朝もう一度電話するとのこと。昔の仕事場多摩荘の二階に向かう。木地をなでて少女を彫り始める。ラジオで拝島駅の事故の話をしている。李華丹というのだそうだ。
むかし信用金庫集金係だっだ美保子を思い出す。彼女は佐野敏明と結婚して同じ団地に住んだ。警察に美保子を引き取りに行く。多摩荘で休ませる。通夜で大阪に行くから、一緒に行こうと約束。翌朝東京駅の喫茶店で美保子を待っていると合田に出会う。合田が去った後、美保子がきて行けない旨を告げるが、美保子をじっと見つめている合田に気がつく。
第2章帰郷
車内。合田は、アトピーの森のしつこい質問がうっとうしい。あの土井は、竹内の元で400万も負けていたという。大阪で自殺した土井に会うが何も得られない。要請でしょっ引いたが逮捕状無しでどうしてくれると、大阪署にかみつかれる。
野田は、実家にマンションが建っていることを確認した後、通夜の席へ。叔父夫婦、妹夫婦、母、合田の寂しい通夜。終わって早くも実家のマンションの話でもめる。聞いていないと妹の尚子、今更何をと叔父。遺品の絵をもらって合田と外に出る。飛田に飲みに行く。画家で飛田の女に手を出していた死んだ泰三を思い出す。竹内が逮捕されたそうだ。
野田は、酔いつぶれ、美保子の件などで合田と大喧嘩、合田がホテルに送り届ける。目が覚めると午前10時、会社に電話し浸炭炉の点検依頼後、焼き場に駆けつける。奈良県にある泰三の老人ホームを尋ねる。入所費用3000万などを叔父が実際に払っていることを確認。何も遺品は残っていなかったが、笹井画廊から絵はがきが届いていたと聞き関心を示す。担当していた民生委員を捜して、母の元を尋ねるが成果なし。
合田は、病床の土井に尋問。事件当時寺本のところで麻雀をしていたという。東京に戻ると特捜本部は、堀田でまとめようとしていた。しかし堀田をたたくと、後から別の人間が入ったようでもある。本庁は上からの命令とは言え、後難を恐れて引っ込みがつかない。
合田は、昵懇の暴力団と会う約束を取り付けた後、野田の犯罪歴を調査。さらに太陽精工の総務課を調査し、野田を美保子から引き離してしまおうと考える。大学紛争時にデモをやっていた川島が浮かんだ。水戸に出かける。合田の義兄の加納検事との邂逅。堀田、土井二人犯人説、合田の賭場へのいりびたりなどの話。
野田は遅く東京に戻り、多摩荘に行く。合田の事を妬きながら美保子と激しいセックス。
第3章転変
合田は、詳しく川島のことを調査。決定的な物は弱い。川島の工場を見たり、美保子の家を見たりする。新聞記者の後藤に「佐野の腹の下に切り傷がある、美保子の両親が不審な焼死をとげている、佐野は嫡出子、夫婦は独自の生活を楽しんでいたらしい」などと教えられる合田は、土井を落いつめるまでにいくらかかるか心配しながら、金を引き出す。
野田は、美保子と買い物に出かける。途中銀座に行ったので笹井画廊による。泰三は預けておいた絵を、野田の元におくってくれと言ったのだそうだ。
合田は、川島にアプローチすべく太陽精工を訪問。
野田は、画廊を出て、美保子に百合を買い。食事に出かける。食後部屋に戻り、美保子の絵を描き始めた後、また深いセックスの海へ。美保子の亭主が新興宗教に狂い、家計が苦しいこと、別れるつもりであることを知らされる。
野田が家に帰ると、大阪に電話したり、銀座で野田が女と歩いているのを見たという情報を得た律子がかんかん。出て行けとわめく。仕方なく家をでて工場へ。何か自分がとがっていると感じる。あの三角野郎小木の顔が目に浮かんだ。おれは、美保子は、どこへ行こうというのだろう、と悩む。
合田は、暴力団秦野の元に赴き手ホンビキをうち、300万の負けを被る。しかし寺本に土井との関係を清算するよう助言し、あわせて土井を借金取り立てで驚かすよう頼む。川島と美保子に電話するが芳しい結果が得られない。
野田のガス変成炉で小火災。やっと処理を終わったと思ったら来期から工場が製作所に変わる、見学コースを作るなどと言われる。さらに野田は、山岡から300ミリカップがすべて不良品である、と告げられる。no4炉と考え担当の守山を捜すがいない。4炉の常時見張りを頼む。メーカーを呼ぶことで又もめる。
合田は、拝島駅で偶然美保子にあい、話がしたいと誘う。美保子は合田を映画館に誘い「一度だけ。」と身を投げかけ、むせぶ。
野田は、食事を食う時間もなく頑張る。源太が熱をだして早引けしたことを知らされる。QC会議では大卒の若い男が高度な理論をのべ、現場はしらけ、とうとう小木が切れてしまう。野田は、小木と狂ったようにやりあう。
土井が曾根崎暑に自首し、本庁は大慌て。喧噪の中、合田は、どこか自分の人生が狂ってしまったと感じる。自首した土井は、のらりくらりで、死んでいたかどうかはっきりしない。
野田は、源太の入院する病院に駆けつける。ガスえそらしいとの診断。熱処理中の感染か。死は間違いなさそうだ。
土井が、女は死んでいたと証言。森が大阪に行くことになった。合田は抜き打ち監査で川島のことを調べたことが発覚し、野田との関係を聞かれる。森が島への転属願いを出したという。合田が自宅に帰ると義兄から忠告のファックス。内容に腹をたて、すれ違いになった貴代子との結婚生活を悔い、グラスを投げつけて寝込む。翌朝義兄に返事。
4炉で奮闘する野田の元に警察。美保子について聞いてゆく。源太が亡くなり、工場は大騒ぎ、野田は、無人の我が家に戻り、背広を着て葬儀場へ。すぐ現場に戻り、炉温チェック。つかれて実家に戻ろうと思ったが、律子の怒りようも気になり、多摩荘に赴くと美保子がいた。美保子は、むかし亭主を殺しかかったことを告白。野田も十七年働いたが限度と、つぶやく。野田は一寸飲んでくると外に出る。何となく、銀座のアマンドに行くがしまっていた。何時のまにか笹井画廊倉庫。笹井と偶然に出会う。笹井の人を見下したような饒舌に辟易。思わず鍵束とガラス器で殴り殺してしまった。合田に連絡を取ることに失敗した後、警察に電話。沼津行きの列車に乗る。
第4章燃える雨
多摩荘に張りこんた警官は、電報で美保子が動いた事を確認、後をつけるが東京駅で見失う。
土井の行動経過がほぼはっきりする。合田は、ようやく笹井が野田に殺された事を知り、周囲からいろいろ聞かれる。本庁では野田の後を必死に追う。
野田は、大阪に降り立ち、叔父宅を訪問し、入院直前母の良子が泰三のアトリエに火をつけたことなどを知る。疲れ切った野田は、好きなだけ寝ようと環状線に乗る。大阪駅ホームで美保子を発見。立ち去ろうとする美保子を階段で捕らえ、突き落としてしまった。
叔父や工場の末永が合田を訪れ、必死の情報獲得合戦。辻村は、合田に美保子の容態を仕えると共に美保子、野田との関わり合いを激しく追求する。野田の「僕は人殺しになるんや。」と言っていた謎が解ける。あれは幼いとき合田がペンキでカラスを青く塗って殺してしまった野田をからかったことから起きた物だった。野田が合田の元に電話をかけてきて逮捕される。事件が一段落した後、合田は転属願いをだした。

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