やぶにらみの時計       都筑 道夫


中公文庫

ある朝、泥酔から醒めた主人公浜崎誠二は、見知らぬ女から「貴方は雨宮毅、私は妻だ。」と言われて愕然とする。会社に行けば「雨宮社長!」と呼ばれ、昨日行ったらしいバーに行けばまた「雨宮さん。」と呼ばれ、恐怖と焦燥のなか、自分探しが始まる。
実は本物の雨宮を殺さなければならなくなった兄が、弟を雨宮に仕立てて殺そうと考えた。そこで酔わせた上、関係者をすべて買収して、彼が雨宮だと言わせたというもの。何となくプロットはアイリッシュの「幻の女」に似ている。
全員を買収するという大トリックや小道具のこだわりある表現は作者独特のものと思う。また、二人称を用いて進められる文体、多くの推理小説についての蘊蓄も面白い。ただ背景や登場者の感情表現がプロットに埋もれてやや弱い感じがした。
出だしの凝った文章も魅力だった。
・目蓋がこわばっている。寝たりない証拠だろう。そのくせ頭は重くて痛い。脳の平均重量は人間の大人で一・四kg、象だと五kgもあるそうだ。眠ってる間にloxdonta africana(アフリカ象)の脳みそでも、移植されてしまったのかも知れない。おまけにそれが、くだもの屋の店さきで売れ残った胡桃みたいに、中味がすっかり乾いた感じで、首をふるとがっさがっさと音がしそうだ。(5p)
・テイラー「私の顔を持った男」、アームストロング「ペラム氏の奇妙な冒険」、ソウル「時間溶解機」、ラテイマー「罪人たちと屍衣」、マーテイン「S0 NUDE,SO DEAD」(129P)
・ある都市で博覧会があってね。それをあてこんで、ホテルがこぞって増築新装したばっかりのところへ、一件で客が死んだ。これが悪質の伝染病でね。・・・・そこで全市のホテルが結束して、死体は始末しちまうし、部屋はあっと言う間に模様がえ、従業員まで取り替えて差。死人のつれが、見物から帰ったときには「何かのお間違えでしょう。あなた様も、お連れ様という方も、お泊めした覚えはありません」(143P)
・平凡な人間は、自分たちの生活の枠の中のことしか、考えない。(152P)
・マタタビをしみこませたスリッパ(224P)
・この世は誤解と錯覚の海(225P)
・推理小説の本質的な魅力は、アクロバテイックな論理の展開にある。(249P)
・不可能犯罪のトリックは、できるだけ異常なことがらが、できるだけ単純に解明されることを、理想とする。(250P)