新潮文庫
図書館司書の吉田類子はある写真展で一枚の写真に驚いた。十数年前、東京郊外で行われた三島由紀夫そっくりの家の新築披露パーテイの写真で、懐かしい袴田亮介、阿佐緒夫妻、秋葉正巳等が映っている。
私と安藤阿佐緒、秋葉正巳は同じ中学校だった。秋葉正巳は運動部に属し、生徒会副会長、女生徒に絶大な人気があった。私の親友安藤阿佐緒はとびきりの美人だった。二人はやがて結婚したが、秋葉家は没落、その上正巳は自動車事故に遭い、インポテンツに陥り、二人は別れた。その後阿佐緒は、親と子以上に歳の離れた袴田と一緒になったのだ。一方大学の演劇部に入った私は妻子ある大熊と関係し、ずるずると続けていた。しかし一方で正巳に引かれる自分を感じていた。そんなときにその新築パーテイが開かれたのである。
あのときを境に私たちの運命は大きく変わっていった。袴田邸の執事水野は、どこまでも袴田に忠誠を尽くす男に見えたが、その妻初枝は妙に色っぽかった。阿佐緒は、そんな初枝が袴田と関係しているのではないか、と疑っていたらしい。袴田の出版記念パーテイのおり、彼女は初枝に妊娠の徴候らしいものを認めた。すると彼女は袴田に買ってもらったスポーツカーMGで初枝を誘いだし、心中してしまった。それから私と正巳の関係はより深くなり、一方で私は大熊と別れた。
私たちは八重山諸島にある小さなリゾートホテルに旅行した。二人でベッドに入ったとき、正巳は何とかしようとしたが、駄目だった。私はそれで十分満足していたのだが、彼の捉え方は違っていた。翌日、彼は私をおいて沖へ、沖へと泳いでいった。相前後して火災で袴田の屋敷も焼失し、関係者は消えた。
その後私は別の男と結婚し、平凡で幸せな日々を送っている。知人の努力で袴田が檜原村にいることがやっと分かった。彼は老齢と糖尿病で失明し、本を読んでくれる女性を求めていた。
主人公が肉体の関係だけがすべてであった大熊に強く引かれながら、最後には捨てるというところが面白い。同時にインポテンツの正巳の蔭に異常に嫉妬したり、世間的名声を失うことを恐れて妊娠をひどく恐れる大熊がひどく滑稽で現実味を帯びている。最後に主人公は精神的結合を求めて、正巳に恋いこがれるが、正巳の方は機能が発揮できなければ、この世のおしまい、と即断してしまう認識ギャップが悲しく、考えさせるものがある。性に対する女の欲求、男の欲求を見事に描き出した力作といえようか。
・ 三島由紀夫も書いていますね。キリスト教が精神を発明するまで、人間は精神なんぞ必要とせずに誇らしく生きていた、とね。三島がギリシャ人を敬愛したのはギリシャ人が外面を重んじる人種だったからです。それは偉大な思想である、と彼は言っている。…・精神が思想を作るのではなく、外側が思想を生み出していくのですからね。(231P)
・ 正巳にとって美しい物、そそられる物はすべて、はじめから架空の物に過ぎなかった。射精機能がないと言うだけでなく、性の対象が現実の物であるという認識がもてないからこそ、彼の興奮は果てることがない。彼自身がその対象にうむまで永遠に続く。そんな彼は、私にとってと方もなくエロテイックだった。彼の姓は始まりもない変わりに終わりもないのだ。彼を欲し、彼の見る物、彼が触れる物、彼が聞く物、彼が感じる物すべてを共有したいと思った。(280P)
・ 僕には見えるんだ。食べ頃の、水をいっぱい含んだ無花果みたいなもんだよ。触るとぼってりしてて、甘そうで、思わず薄皮を剥いで中味を口に含みたくなる。でも普段は、何重にも下着やらストッキングやらに覆われてて、そのくせ、心臓の鼓動と一緒に、ずきんずきん、って、訳も分からず始終動いているようなね、そんなやつ。阿佐緒を象徴しているのはそれさ。他には何にもない。(284P)
・ 交合は、しなければならないからするのではない、したいからする物だった。ましてそれが愛情の証と信じるほど私たちは若くはなかった。それに、第一、交合は官能の象徴ではない。いわばそれは、官能への入口の、ちょっとした扉のような物でしかない、と私は考えていたのだが、そうしたことを彼に説明するのは何となく億劫だった。(456P)
011114