病院坂の首縊りの家    横溝 正史

角川文庫

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この事件は昭和28年8月28日にはじまって、昭和48年も4月30日に終わったという、金田一耕助が扱った事件としては他に類を見ないほど長年月を要した事件である。舞台は麻布と港区の境にある病院坂中ほどの旧法眼邸。
第一部 輪廻の章
法眼鉄馬は文久二年、さる大藩の典医琢磨の長子として生れ、医学を学び、軍医総監になった後下野、法眼病院を設立した。(この辺、森鴎外の経歴を参照にしたらしい?)鉄馬は実業家五十嵐剛蔵の娘千鶴と結婚し、以後両家の関係は深い。
昭和28年当時、法眼家には弥生(65歳)と孫の由香利(22歳)がいる。弥生の夫琢也は爆死し、すでにいない。一方五十嵐家には剛蔵の孫泰蔵の連れ合い光枝(56歳)とその孫滋(20歳)がいる。
事件に先立つ昭和22年、琢也の愛人佐藤冬子が荒れ果てた旧法眼邸で首吊り自殺をしている。その遺児小雪、継子の山内敏男の行方はしれなかった。
昭和28年8月、金田一は、弥生から孫娘の由香利が蒸発し、男の声で「由香利を預かった。」との電話が入った。調査してほしい、との依頼を受ける。
それから少し経って、本條写真館の直吉から「旧法眼邸に連れて行かれ、奇妙な結婚式の記念写真を撮らされる。毛むくじゃらの大男と物言わぬ、か細い花嫁。相手がどのような連中か調査してほしい。」との依頼を受けた。
花婿はビンチャンと呼ばれ、ジャズ・コンポ「怒れる海賊たち」のリーダーであの山内敏男、花嫁は誘拐された由香利らしいと分かった。「怒れる海賊たち」には妹の小雪も属していた。山内は詩集「病院坂の首縊りの家」で法眼家に対するうらみを連ねている。金田一は何かが起ると恐れたが、突然、弥生から由香利が戻ってきたので、調査を打ち切ってほしいとの連絡が入った。同時に口止め料とも思える高額の謝礼。
金田一は盟友多門修を使って「怒れる海賊たち」の調査を行い、本條写真館に届けたおり、同館が直吉の父徳兵衛が努力し、過去の写真をすべて保存していること、法眼家と本條家が昔からの縁であることを知る。
数日後、寺坂巡査が巡回中トランペットの音がした旧法眼邸に踏み込むと、直吉が写真を撮っていた。その方向には天井から鮮血を滴らせ風鈴のようにぶら下がった生首。、先日撮影した女から「先日の部屋にある風鈴を撮影してほしい。」との電話で来たのだという。被害者は山内だった!
暗中模索の章
事件は一度は犯人扱いされた「怒れる海賊たち」団員の一人佐川哲也のアリバイが成立し、小雪から「私が敏男を殺した。」との手紙が届き、一段落をした。しかし小雪の行く先も、山内の首から下もようとして知れない。
第二部 転生の章
それから20年後、昭和48年4月初め、金田一は直吉の訪問を受け「最近、私は最近2度にわたって命を狙われた。父徳兵衛に相談したところ、父は、長年にわたって弥生さんを強請っていたことを認め、先生に相談するよう言われた。犯人を探してほしい。」と頼まれた上、強請に使った写真入りの鉄の小箱を預けられた。その後、金田一と弥生に鉄の小箱の返還を迫られるが、由香利が実は小雪のなりすましと喝破し、返還をこばんだ。
徳兵衛死後1週間後、本條会館9階スイートルームには滋、鉄也父子、昔からの従業員房太郎、直吉の息子徳彦が集まり、そこに金田一と等々力が訪ねてきた。直吉はとなりのトイレにいた。同じ頃その4階弥生の間には昔の「怒れる海賊たち」の面々が差出人不明の葉書に呼び寄せられ、集合していた。遅れていた吉沢平吉が到着して、まもなくライトが消え、あの生首が映し出され、「おまえたちはこの生首に呪われている。」との声が聞こえ始めた。そして突然、外でおおきな音がした。直吉が9階から4階に落下して死亡したのである。
次いで吉沢平吉が勤めている日曜大工センターで殺された。容疑者そばで千枚通しを持っていた鉄也である。しかし最後に恋人の証言でアリバイが成立してしまった。
金田一は丁寧に保存されている本條写真館の写真を捜査したが、生首写真とあの旧法眼邸の花婿・花嫁写真が紛失していた。同時に由香利の一粒種鉄也が山内敏男に酷似していることを見つけた。その鉄也は、奇妙な脅迫状を受け取っていた。「お前は滋の子ではない。あの生首の男の子だ!金をだせ。」金田一は等々力に脅迫状を示し、新しい恐喝が始まっていると告げる。そして徳兵衛に変わる新しい恐喝者、房太郎が逮捕された。
房太郎は滋のもとにも同じような脅迫状を送り、お前はタネナシとあざけった上、金を要求した。しかし滋は、違った反応を示した!自慢の息子が下等なジャズ屋の息子であったとは!彼は逸見篤との偽名を使い、吉沢をかりそめの相棒に誘い、復讐計画を練った。あの日、まず恐喝者と信じた直吉を9階で刺し殺し、死体を屋上に担ぎ上げ、ロープで作った穴に死体を押し込んだ後、思い切り捩じ上げて、9階の皆のいる場所に戻った。やがて死体は落下したが、アリバイは成立した。「蝶々殺人事件」で取られた方法である。
次に吉沢に「怒れる海賊たち」の面々を集めさせ、生首写真とテープで脅かした。さらに鉄也を殺人犯にしたてようと、鉄也を呼び出させた上、吉沢を殺害した。
最後に金田一と弥生が対決し、小雪の独白テープが公開される。
「母の死後、私と兄の山内敏男は、由香利さんへ何度かアプローチしたが、馬鹿にされ恥をかかされた。昭和28年、由香利さんを誘拐、兄はあの写真を撮った後、由香利さんを散々弄んだ後解放した。しかし私は、由香利さんは黙っていない考え、二人を探し、嵐の中の旧法眼邸を訪れた。時遅く、二人共死んでいた。眠っている間に由香利さんが兄を襲い、相打ちになったものだろう。私は弥生おばさんを訪ねたが、おばさんは私が由香利さんと瓜ふたつなのに大層驚いた。死体を二人で処理したが、その後私は、おばさんの指示で以後由香利さんになりすまし、滋さんと結婚渡米するにいたった。」

(金田一耕助の状況)
・ 金田一がアメリカへ渡ったのは世界的な大不況のさなかにあり、禁酒法がまだ施行されていた時代だというから、1929年から30年代の初期ということになろう。(上161P)
・ 金田一耕助氏がロスまで飛んだことはたしかなようだ。…・・あの広大なアメリカの天地のどこかへ金田一耕助氏は消えてしまったとしか、いまのところいいようがない。(382p)
・ 南部風鈴
http://www.michinoku.ne.jp/~mcci/business/mall/oiharu.html

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