創元推理文庫 日本探偵小説全集5
彼が殺したか
8月、嵐の晩、K町の別荘で実業家小田清三・道子夫妻の生命がむごたらしく奪われた。清三は貿易商の息子で、わがままな所はあったものの無口な性格の男だった。一方大学教授の娘として生まれた道子の周囲には、讃美者たる若き男がいつも集まっていた。夫婦は妻を虐待する夫、自由を求める妻と言う風に世間は芳しからぬ噂をたてていた。
当日二人は、小田夫婦と二、三年前から知り合いだった学生の大寺一郎、、友田剛の二人を招いて麻雀をした。ところが夜陰に悲鳴、下僕の仁兵衛と女中たちが夫婦の部屋に入って見ると道子が上半身素裸で、腰紐で後ろ手に縛られ、血を流しており、一方清三はナイフを刺されて断末魔の苦痛を味わっていた。そして清三は「大寺が・・・」、道子は「一郎・・・」と言って、二人ほとんど同時に息を引き取った。そして隣室の書斎には大寺がうずくまっていたから、当然疑われた。
弁護人の私は、殺そうとしていた大寺が、なぜ刃物も持たずに寝室に入り込んだのか、あるいは二人同時にどうして殺せたのか、傷から大寺は左利きという推定が成り立つがそうではない、など多くの疑問を持った。しかし尋問の経過と自白はこれらを覆してしまった。彼は罪を認め処刑された。
しかし死後発見された大寺の手記は驚くべき真実を語っていた。
「私は小田の妻の道子にあこがれ、道子の方も私を慕っていたように見えた。当日、二人が異様な声を発しているので、道子に何かあったのかと心配になり、夫婦の寝所をのぞくと、道子は縛られ不貞をなじられていた。思わず侵入すると道子は大きな声で笑った。その声に触発されて、小田が道子を刺し、さらに私をも刺そうとしたが、躓いて倒れた拍子に自分の刃物を胸に刺し、小田自身も死んでしまった。道子に恋し、死しても道子を自分のものにしようと考え、同時に世の法律家たちに法律の無力さを示すために、私は自分の犯行をあえて否定しなかった・・・・。」
法は正しいと信じられるように処断をする、しかしそれが必ずしも真実でないことが起こりうると言うことを示した作品で法律ものの先駆けとなった。しかしどうにも私(筆者)には大寺のやってもいない罪を認めてしまう動機が弱いように思えた。(1929.2 33)
悪魔の弟子
xx地方裁判所検事土田八郎殿。あなたは私を覚えているでしょうね。あなたはこの世でもっとも危険な人間です。十数年前、私の2年先輩で私を弟のようにかわいがり、同時にとんでもない悪の道を教えて仕込んでくれました。
二十歳の秋、私は女学生の石原すえ子と恋に落ちたが、すえ子は別の男と結婚、私は歓楽を追って巷をさまよい、学校もやめることになってしまいました。そんなとき私はカフェの女給露子を知り、結婚したのです。しかし1年かそこらで飽きがきて、かえって彼女の貞淑さ、従順さ、善良さがたまらなくなったのです。そんなときあのすえ子に再会したのです。未亡人になっていた彼女と同棲し、家庭を顧みなくなりました。しかし露子は妊娠し、あくまで従順に私を追い求めるのです。
ついに私は露子を殺す決心をしました。睡眠薬を大量に買い込み、すえ子のもとに自分用、それに露子のもとに殺人用にと置いておきました。そして決行の日。私が寝てからすえ子が大量の睡眠薬を飲むよう命じて寝込みました。ところが気がつくと、彼女はもう目を覚まし「あんなに飲んだら危険なのよ。」と言うのです。絶望してすえ子を訪ねるとなんと、彼女が誤用して大量に飲み死んだというのです。
私は自殺しようとしましたが、私の書いた遺書が誤って解釈され、すえ子殺人犯に仕立て上げられてしまったのです。しかし私はすえ子は殺していません。露子は殺そうとしましたが・・・・。(1929.4 33)
死者の権利
弁護士の土田氏が小説の種になるかも知れぬと話してくれた話。
資産家の道楽息子須山春一は、カフェの女給小夜子に手を出し、妊娠した。しかし春一は親の薦める女性と結婚することになり別れ話が持ち上がった。二人はNホテルに乗り付け話し合うが、やがて「もうこうなったら・・・殺しちまう!」などの声が聞こえて来た。がちゃんと音がし、ボーイが駆けつけるとガスストーブを枕に小夜子が絶命しており、春一が黙って立っていた。
裁判では春一は如何に小夜子が悪い女であったかを申し立て、結局執行猶予を勝ち取った。ところがその後自動車の転落事故に見せ掛けて、春一の顔を潰された死体が見つかった。そしてその事件を弁護した私の元に、小夜子の兄清一からの告発状。「絶対に小夜子が悪いのではない。物言わぬ死者を悪者にして、それですむと思うのか。」
告発状の期待通り清一はまだ捕まっていない。しかし転落死には法律家の目からみれば疑問が無いわけではない。(1929.9 33)
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