新潮文庫
二百十日
圭さんと碌さんという二人の男が、「剛健な趣味を養成する」目的で、風と雨の阿蘇山に登る。
二人の漫談調の会話中心に構成され、貴族や資産家を中心とする金中心の世界に対する悲憤梗概が魅力。
二人の人物のかき分けと同時に、文章による風景の描写能力が素晴らしく、いかにも嵐の阿蘇に何の見通しもなく登る感じにさせる。
・文明の皮・・・・それも金がない奴だと、自分だけで済むのだが、身分がいいと困る。下卑た根性を社会全体に蔓延させるからね。大変な害毒だ。(33p)
・すると、同じ様なわるい事を明日やる。・・・・成功するまで毎日毎日同じ事をやる。・・・・重ねてさえ行けば、わるい事がひっくり返って、いいことになると思っている。言語道断だ。(75p)
野分
二百十日をある意味では発展させた形の小説。
幅広い教養を持ち、財産があり、恋人を持つ善人の中野君、金がなく、それを追って余る能力を切り売りしている感じの親友の高柳君、あちらでこちらで突き当たりながら、今の世を正して行く事が使命だと考え、行動する文学者で高柳君の尊敬する太田道也、明治を生きる三人の像が巧みに描き分けられている。
主張は太田道也の演説だろう。
「一般の世人は金のある奴が偉いと誤解しているが、間違っている。そして若い人の一部には金持ちになるために学問をするんだと考えている者がいる。けしからん。学者は人間を完成させるために学問をおこなう。学問はは金に遠ざかる器械である。金が欲しければ金を目的とする町人や商売人になるがいい。」と言うような考え方で青年達に語りかけているのである。
・世間が己を容れぬから仕方がないのである。世が容れぬなら何故こちらから世に容れられようとはせぬ?(82p)
・中野君は富裕な名門に生まれて、暖かい家庭に育った外、浮き世の雨風は、炬燵へあたって、縁側の硝子戸越に眺めたばかりである。(93p)・・・・家庭を日本にしたら
・女は装飾を以て生まれ、装飾を以て死ぬ。多数の女は我が運命を支配する恋さえも装飾視して幅からぬものだ。(112p)
・解脱は便法である。(139p)
・趣味は人間に大切なる物である。・・・・趣味を崩す物は社会そのものを覆す点に於いて刑法の罪人よりも甚だしき罪人である。(140p)
・自分が嫁に来たのは自分のために来たのである。 夫のためという考えは少しも持たなかった。(202p)