新潮文庫
熊本の高等学校を終え、東京にでて、東大に通い始めた、三四郎の青春物語。
「うとうととして眼が覚めると女は何時のまにか、隣の爺さんと話を始めている。…・女とは京都からの相乗りである。乗ったときから三四郎の目についた。三四郎は九州から山陽線に移って、だんだん京大阪へ近づいてくるうちに、女の色が次第に白くなるので何時のまにか故郷を遠退くような憐れを感じていた。」
上京する途中、見知らぬ女に名古屋で宿さがしを頼まれ、あげく同室し、何もしないで一夜を過ごし、女に「あなたは余っ程度胸のない方ですね。」と言われる出だしのエピソードが面白い。
三四郎は東京に着くと、同郷で研究一筋の野々宮先生や学校で知り合った佐々木与次郎を通し、世界を広げて行く。野々宮先生の妹よし子、先生の友人の里見と都会育ちで自由奔放な妹の美禰子、与次郎が書生をしながら手助けしている世間知らずに中学校教師広田、画家の原口氏等である。
彼は三四郎池ほとりで団扇をかざした美禰子に出会い、意識する。そして彼女が通り過ぎた後考える。「三四郎は茫然していた。やがて小さな声で「矛盾だ」といった。大学と空気とあの女が矛盾なのだか、あの色彩とあの目付きが矛盾なのだか、あの女をみて、汽車の女を思いだしたことが矛盾なのだか…・・この田舎出の青年には、凡て分からなかった。ただ何だか矛盾であった。」
この小説では主人公は能動的には動かない。その日その日の対応に追われているように見える。能動的に動くのは与次郎である。彼は広田先生を大学に戻そうと一大運動を展開するが、ものの見事に失敗してしまう。しかし三四郎はこの活動のおかげで当時の知識人の知的サロン的世界に入って行く。彼らとの関わり合いを通して青春時代に誰もが経験する学問、友情、恋愛等に対するとまどいがよく描かれている。
美禰子と三四郎の関係は、美禰子もまた三四郎を意識し、三四郎の思慕も募ったから二人の恋が成就するかにさえ見えた。しかしよく考えてみれば「あんな女を、思ったって仕方がないよ。第一君と同年位じゃないか。同年位の男に惚れるのは昔のことだ。八百屋お七の時代の恋だ。」と広田が慰める通りで実らない。原口が美禰子をモデルに描いた「森の女」のみを残し、里見の友人なる男の元に嫁して行く。
上京して三四郎の世界は、途方もなく広がったが、依然として迷羊(ストレイシープ)というところだ。しかしそれは美禰子にも当てはまることなのかもしれない。
当時の東京の様子、人々の暮らしぶりは良く分かって面白い。
この作品の面白いところは草枕で見られるように事象を風景的に描いているところだ。出会いの場もそうだし最後に美禰子の夫が出てくる場面もそうだ。夫は突然登場し、コメントがなく、名前や職業も明かされない。背景として一色で描かれているように感じさせる。一方であからさまには書かぬが三四郎の恋心がだんだんに成長して行く様子が感じられるように書かれている。ただこの恋が三四郎の成長にどのような影響を与えたかは書かれていない。依然として迷羊(ストレイシープ)なのである。
・活きている頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風をいれるのさ。(41p)
・ 転げ帰って笑うだの言う奴に、一人だって実際笑っている奴はいない。親切もその通り。御役目に親切をしてくれるのがある。ぼくが学校で教師をしているようなものでね。実際の目的は衣食にあるんだから、生徒から見たら定めて不愉快だろう。これに反して与次郎の如きは露悪党の領袖だけに、たびたびぼくに迷惑をかけて、始末に終えぬいたずら者だが、悪気がない。可愛らしいところがある。丁度亜米利加人の金銭に対して露骨なのと一般だ。それ自身が目的である。それ自身が目的である好意ほど正直なものはなくって、正直ほど嫌みなものはないんだから、万事正直にでられないような我々時代の小難しい教育を受けたものはみんな気障だ。(165p)
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