夢と現実

(コナンとサユリのスペイン・フランス旅日記)


一 出発

「夕べ、ほとんど寝ていないのよ。」
「どうして、よほど興奮したのかね。」
「そうじゃないのよ。二週間もあけるものだから、兄嫁に連絡したのよ。そしたら「今月から、伊豆のお父さんとお母さんが、こちらに来られます。そうするとなかなか家を空けられなくなるわ。これが最後かもしれないから、おおいに楽しんでらっしゃい」って釘をさされちゃったのよ。」
「どうして急にお帰りになることになったの。」
「母がだいぶ弱ってきているのよ。伊豆は、父はいいのだけれど、母は嫌いらしいのよ。あそこ、坂が多いでしょ。」
「大変だね。」
「私は実の娘なんだから、半分は、面倒みないわけにはゆかないでしょう。英語の講師の仕事もどうなるか心配だし・・・・」
「まあ、それでもこれから絶対に旅行に行けないって事でもないだろう。二週間は無理でも短いのを行けばいい。」
「そうね、行けるといいけれど・・・・。」
「人生なんてね、一寸先は闇さ。とにかく、楽しめる時に大いに楽しんでおこう。五年先に楽しもうなんてのは当てにならないよ。僕らも片方がよいよいになっているかもしれないじゃないか。」
「いやなこと!」
「それが現実なんだから仕方がないさ。」
「そうね、そう割り切って楽しむことにしましょう。」
コナンは五七歳、三年前に妻に死に別れた。娘と一緒に暮らしている。小金井の同一敷地内に大正元年生まれの父親がいる。
サユリはコナンより一歳若い。いくつかの大学で英語を教えている。
十年前に夫に死なれた。今年就職した息子と一緒に暮らしている。同一敷地内に兄夫婦が住んでいる。四人兄弟の末っ子。父と母は今まで伊豆の次女のもとに身を寄せていたが、小金井に家がある。
二人は同じ中学校、その頃からの知り合い。二つの家(敷地?)は三百メートルと離れていない。二年ほど前に二人は交際を始めた。
今はいい関係!また一緒にヨーロッパに行く事にした。
東京は、台風が接近し、時折強い雨が降り、風も強かった。「飛行機が飛ばない、なんて事がなければ良いけれど・・・。」と心配したが、問題はなかった。
アムステルダム経由で、マドリッドには夜七時半ころついた。
暑い、暑い、まだ、太陽がでている。
おお、スペイン、あこがれのスペイン!
サユリは張り切っている。コナンは二度目だからそれほどの感激はなく、これからホテルまでの作戦を考える。
事前情報で「マドリッドは物騒、空港からでるバスが着くコロン広場には恐いお兄さんが出没する。」と知っていたので、タクシーを拾って市内に。予約しておいたアストリアスホテルはマドリッドの中心プエルタデルソルの近く。
「やっぱり、安かったからなあ。」コナンは四階の部屋に入るなりそう思った。
エアコンもない小さなうす暗い部屋。飾り気のない部屋にダブルベッドが一つ。典型的なヨーロッパの古い宿だ。
もっともこれだって天国、とコナンは考えられなくはない。彼は十年前にマドリッドに来たことがある。その時はその場でペンションを捜したのだが、もっとひどかった。共同トイレで、発つと言う時に、パスポートを預かってくれたおばあさんが、外出していて困ったことを覚えている。
ホテルについて一時間。サユリはのっけからふられた気分。
ちょっと外に出ると行ったコナンが、なかなか帰ってこない。
彼女は普段、風呂に入ってパジャマに着替えると外にでない事にしている。それに今日は長旅で疲れている。だからコナンが誘った時も「お腹もいっぱいだし、私はゆかないわ。一人ででてらっしゃい。」と主張した。
「うん、それじゃすぐ戻るよ。」とコナン、トイレにでも行くような調子で出て行った。それが待たせること一時間。
やっと帰ってきたが、ほんのり赤い。
「すぐそこがソルなんだけど、行く途中にハム屋があるんだ。そこで冷たいやつを一杯飲んできた。いやあ、遅いのに混んでいるねえ。みんな楽しそうだったよ。君もくればよかったのに。寝るよ」
ベッドにごろり。
「いい気なものだわ。」と思うが、反論するわけにもゆかない。仲良く側にもぐりこんだが、暑い、暑い。
窓は格子戸とガラス戸の二重になっているのだけれど、閉めるわけにはゆかない。ところが窓の下は大通り。若者のののしる声、自動車の音、近くの建設工事のガシャンガシャンの音、時にバイクのブオーという音。騒音公害もいいところだ。寝られる訳がない。
いらいらしながら時間だけは過ぎてゆく。一時、二時・・・・。

二 プラド美術館等


サユリは、コナンの「プラド美術館は朝八時に開く。」を信じて来たのだが、また裏切られた。九時開館と書かれ、人影無し。
仕方なく、近くのレテイーロ公園に行く。
入口正面噴水あたりにたつと、幾何学模様で仕切られた区画には木々が生い茂り、赤や黄色の花が咲き乱れている。坂道を上って行くと池に出た。
「ここがこの公園の中心なんだ。昼間には店が開き、時には大道芸なんかも出てにぎやかになるんだけれどね。」
コナンが前回訪問した時の様子を元に解説。
池の側のベンチに坐ると、時折犬を連れて散歩する人が通る、老夫婦が手を携えて通る、ジョギングをする若者が通る、ちらほらと観光客、鴨が一羽人恋しげによってくる、手をだすとあわてて逃げる・・・・。
マドリッドの町はそんなに広くない。けれどそんな場所にこの公園の外に王宮公園、スペイン広場等があり、うらやましい。
九時に美術館に行くともう行列が出来ている。
コナンが「どうしたのだろう。」と掲示板を見直してみてわかった。日曜日は入場料がただなのだ。それを考えて一般客、団体客がわんさと押し掛けているのだ。
日本では考えられないこと。スペインは確かにGNPは日本よりも低いかも知れないけれどみんな精神的には豊かな生活をしているようだ、等と思ったりする。
「この絵の中にはベラスケス自身が描かれているんだ。ほら、この絵筆を持っている男だ。」
とコナンは絵の解説に熱心だが
「随分大きなスカートをはいているわねえ。これじゃあ、広い家がいるわけだわ。」
とサユリは妙なところに関心。
「そうだね、君みたいなモンペスタイルだと小さな部屋でも十分か。」
「あら、失礼ね。これパンタロンと言うのよ。」
グレコの聖母マリアの絵があった。
「そうそう、あれは皆川博子の「死の泉」だったかな。「マリアがキリストの処刑を嘆き悲しんでいる図には同情しない。世の中には息子や娘をもっともっと悲しいスタイルで失った親がいるのだ。」というようなことを言っていたよ。」
「それは偏見よ。あの人の言いそうなことだわ。息子を失った親の気持ちの代表として素直に悲しめば良いじゃない。」
キリスト教徒のサユリは憤然と反撃した。
自然主義に徹し、敬虔なクリスチャンであったムリリヨの絵が、親しみがもてた。「立派な羊飼い」などの絵がいい。彼は一七世紀セビリヤ出身の画家で、セビリヤには彼の名前を冠した公園がある。
しかし二人が感じ入ったのはゴヤだった。
「ゴヤがあんなに絵の描き方を変えていたなんてちっとも知らなかったわ。」
「いろいろ人生があったのだな。」
ゴヤは一七四六年生まれ、サラゴサ出身の画家。イタリアで学び、宮廷画家になった頃、「マドリードの市」や「目隠し遊び」など民衆風俗を明るく謳歌する作品を描いた。しかし四六歳の時に重病にかかり全聾となった。
その後も宮廷画家として活動を続け、「カルロス四世家族」などの作品を残したが、六二歳でカルロス四世退位と共に宮廷を去った。
そしてナポレオンの侵略にあったり、「裸のマハ」の件で宗教裁判で告訴されるなど暗い晩年を迎える。このころの絵を「黒の時代」と呼ぶ。
黒い雲の中に大男がたち、地上では人々が逃げまどっている「巨人」、どれもが太い黒の線で囲まれた男の顔を五つ並べた絵、虐殺シーンの絵、いずれもが人生に対する不安と絶望を現している。
ただ期待した「マハ」はどこかに貸し出しているらしく今回は見ることができなかった。

プラド美術館を出た後、近くのソフィヤ文化センターに行った。
外付けの透明エレベータで登った四階にはピカソのゲルニカが飾ってあった。コナンは、昔プラド美術館で見たし、サユリも知らない訳ではない。
左上部になにやら爆発物のような物が輝き、六人の男女、牛、馬などが逃げまどっている様が、黒と白だけを使って抽象的に描かれている。一九三七年、内戦でスペインの小村、ゲルニカが爆撃を受け、多くの市民が亡くなったが、その事をイメージして製作した物だという。
絵の周りに飾ってある部分の習作にはびっくりした。一枚の絵を描くのに、ピカソはこんなに努力したのかと・・・・。
外にミロとダリを発見。最近の絵の展示はそっちのけで、ミーハー的に熱心に眺めた。
こうして美術鑑賞で半日つぶれた。午後からは町の観光に出かけよう。

三 トレド


「朝早く一人で地下鉄でバスセンターに行ってね。やっとこさで、トレド行きを捜しだして行った。」
とコナンは言うが、サユリは
「是非行ってみましょう。でも、ホテルで紹介してくれる観光バスに乗って行かない。説明、どうせ英語でしょう。国際的な気分になって良いじゃない。」
滞在二日目に、半日観光を申し込んだ。ホテルから、グランピア通りにある事務所にいったん集められ、それからコース別に振り分けられる。
初老の男が説明するが、スペイン語からいきなり英語にスイッチし、わかりにくい。向こうにつくと、英語とスペイン語組に再び分けられ、英語組はまっ赤な洋服を来たデブッチョオバサンにスイッチされた。
まずは何はなくとも大聖堂。ゴシック様式のこの大建築は一三世紀から一五世紀にかけて二百五十年以上の歳月をかけて作られた。
聖器室。エル・グレコの絵のコレクションは立派で、説明の半分はこれ。エル・グレコというのは単にギリシャ人という意味で、正式な名前はドメニコス・テオトコプーロス。一六世紀スペイン最大の宗教画家で一五四一年クレタ島に生まれ、イタリアで宗教画を学んだのち、三五歳のころスペインに現れてトレドに定住、シナゴグに住み、七三歳の生涯を終えるまで活動を続けた。
奥行きのない垂直的な画面構成、激しい明暗の対比、長身化された人物像、それらが擬似的な空間が特色となっている。
それからキリストの一生を彫刻にした立派な中央祭壇の説明、グラナダ戦争のの場面が細かく掘られた彫刻のきれいな合唱壇の席の説明、などがあった。
一通り終わると、彼女はすぐに次に行こうと連れだす。まるで修学旅行スタイルだ。
そういえばあそこには宝物室があり、そこには金、銀、宝石で細工された聖餅顕置台があったはずだが、などと後から思った。
「本当はこう言うところは一人で何か考えたいんだがなあ。あの太い柱に触ってみるのも良いし、近くの喫茶店でお茶を飲みながら寺院を眺めたりする方がいいんだが、・・・それに外にも見るものがあるんだ。」
とコナンは嘆くが、サユリは一向に気にしない様子。
ガイドは「古い町だから道が細くてひどく入り組んでいる。だから私から離れるな。」としつこい。確かにそれはそのとおりなのだが・・・・。
しかしその細い道と左右に並ぶ古めかしい建物の黄色い壁と、所々に開かれているおみやげや、喫茶店、洋服屋等もこの町の魅力。
もっとも注意して歩かないと上から水くらい降ってきかねない。それにその細い道にどんどん車が入り込んでくる。
次はサン・トメー教会。
ここは「オルガス伯の埋葬」と言うグレコの壁画が一枚あるだけ。下半分に倒れたオルガス公を埋葬する人々がリアルに描かれ、上半分に天上界やその住人たちの姿があの独特のタッチで描かれており素晴らしい。
それからシナゴグ、地元の人が結婚式に使うという何とか言う小さな教会を見学する。
「アルカサルと言うのがあるんだよ。あそこに見える奴だ。ここはフランコ政権に反対した部隊の最後の基地となったんだが、その抵抗の様子が展示されているんだ。」
とコナン、サユリに解説するがガイドは一向に立ち寄る気配はない。
後はトレドをぐるっと取り巻いているタホ川にかかる橋を渡っておしまい。見学時間は正味二時間もなかったのでは無いかと思う。
帰りにガイドが契約しているらしいケチなおみやげ屋に、トイレ休憩として連れて行かれ、ここだけやけに長い自由時間。
いつの間にか最初の老人と、まっ赤女が一緒に椅子に座り込み、店から出されるお茶など飲みながら、お客の財布のはたき具合を眺めていると言ったスタイル。
「あいつらは観光客を馬鹿にしているな。」とコナンは感じ、ちょっといやな感じがした。ここはお金を使わないでぐっと我慢し、食事とお茶はマドリッドに戻ってゆっくりするか。

四 マドリッドぶらぶら

プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、王宮を経て、スペイン広場に行った。
王宮は日曜日のために閉まっていた。
「あら、とうとう四〇度になったわ。」
ドンキホーテの像を右手に見ながら、サユリが街頭の温度計を見ていった。暑いせいか、二人のように、せっせと歩いて観光しているなんていう手合いは少ない。木陰で昼寝をしている連中ばかり、サンチョパンザも汗をふいている?。

それからグランピア通りにでた。冷房の利いた三越に入ってやっと一息ついた。
町も人通りは少ないようだ。われわれもホテルに戻って休憩。
夕方になって出直す。気温が下がってくると、道行く人々の数が増えてきた。また喧噪が戻ってきた。
町には乞食が時々見られ、ソルとグランピア通りを結ぶ通りの真ん中では、手足のない女がなにやら騒いでいた。しかし、全体としては陽気で、町には活気があふれている。
ただ一つ気になること、スペイン野郎はどうしてあんな大きな声でしゃべるんだろう。
コナンとサユリは、町の見物はほどほどで切り上げたが、食事だけはしっかり楽しんだ。
初日の昼食にグランピア近くの「バラッカ」というパエーリヤのうまい店に行った。
午後二時に開店と同時に飛び込む。
野菜パエーリャは、堅めのご飯と野菜の味がうまくミックスし、絶品。別に取ったムール貝のマリネもおいしく、サン・ミゲルの酔いも手伝って二人とも良い気分になった。
コナンの方が少し余計に飲んだのか、ホテルに戻ってすぐにスヤスヤ・・・・。「もう、すぐに寝ちゃうんだから。」と側でサユリがカリカリしていた。
二日目、トレドから帰った後、マヨール広場近くのコシーダ料理で有名な「ラボラ」を地図で捜して行った。
ソーメンみたいなものの入った皿と茶色の縦型の壺を、ボーイがうやうやしく運んでくる。
ボーイはまず壺の汁の部分を皿に空ける。トマト味で肉と共に長い時間煮込んだ汁でスープ代わりに飲む。
からになるとまたボーイがやってきて中の肉の固まりと大粒のマメをドバドバとその上に開ける。そして別に用意した煮込んだキャベツを乗せる。
いづれも十分煮込んであるから素晴らしい味だ。これに地中海風サラダを取り、ハウスワインを開けた。
またいい気分になり、ホテルに戻ったが今度はサユリの方がすやすやし出した。
初日の夜にハム屋に行った。ムセオドハモンというその店は、市内に沢山あり、天井からずらりとスモークハムを吊した店内は独特の雰囲気がある。店員が、そのハムをそいで野菜と一緒にパンにはさみ、ボガデイージョにして提供、カウンター越に受け取った客は冷えたビールか何かと一緒に楽しむ。
ハムは日本の物に較べて、ずっと堅く、塩からかった。手軽で安いせいか、地元の人ばかりでなく観光客も沢山押し寄せている。
全体的に、マドリッドの料理は、日本の水準からみれば、安く、おいしかった。
「あるイギリスの評論家の話なんですけれど・・・。ロンドンと較べてマドリッドの特色は「うるさい、混んでる、安い。」なんですって。」
「それにもう一つ「うまい」を加えても良いな。」
「朝も夜も遅い、というのも特色かしら。」
ホテルのテレビでCNN放送を見る事が出来る。二日目の夜にとんでもないニュースが飛び込んできた。
北朝鮮がミサイルを試写し、それが津軽海峡を挟んで日本海側と太平洋側に落ちたと言う。これじゃあ、一触即発。
「私、突然死ぬのなんていやだわ。」とサユリは浮かぬ表情。
アメリカの株が下がり、ダウは七千五百ドル近くになったとか。九千三百ドルの声を聞き、天井知らずに見えたのは、つい二ヶ月ばかり前のことだ。
「明日はどうなるかわからない。とにかく今を楽しもう。」
というコナンの妙な注釈にサユリも納得した様子。

五 スペインの田舎


鉄道の旅が好きである。
地点から地点まで飛行機で飛ぶと早いけれど、何も見られない。
そこに行くと鉄道は時間はかかるけれど、景色や時には人々を楽しむことが出来、何となくその国の隠された部分が少しだけかいま見られるような気になってくる。
今回の旅行は、マドリッドからバルセロナ、モンペリエ、マルセイユ、カンヌと鉄道で渡り歩き最後はニースから帰国する。
マドリッドの国際列車の発着駅は北のチャマルタン駅、地下鉄でソルから三〇分くらいかかる。十一時に出発、コンパートメント式ではなく日本の汽車と同じ。
マドリッドをでて少したつと、人影はおろか一件の家を見ることもまれになってくる。日本の田舎とは大違いで、荒涼とした荒れ地ばかり、時に屹立した岩肌が見える。樹木は少なく、あっても背の低い木ばかり。降雨量が少ないのかも知れない。
一昔前は、こんなところを銃を片手に、皮の水筒を腰にぶら提げ、テンガロンハットをかぶってロバにまたがり旅をしたのか、などと勝手に推測。
「定年後、田舎に住んでお百姓をやるのがはやっているだろう。こんなところはどうだい。畑は広いよ。」
「冗談でしょう。私は淋しくていやよ。なんにもないじゃない。」
サユリは本質的に田舎は嫌いである。彼女に言わせるととにかく不便、それに足腰たたなくなったら大変だわ、と言うことのようだ。ましてそれが外国とあっては。
サラゴサについて人々の乗り降りが少しあった。しかしそこからでも市街はあまり見えない。町は駅から遠いのだろうか。
それでも、そこから先、少しづつ畑らしきものが多くなってきた。時折は村らしきものが見られるようになってきた。
バルセロナに大分近くなって、タラゴナについた。列車は地中海沿岸部を走り出し、景色は一変した。
ミカン色ををした屋根、白い壁が特色の家やマンションが、見えるようになった。シュロの木があちこちに植えられ、その葉が風に揺られて、リゾート地ムードを盛り上げている。沖の群青の海と手前の青い海の色の対比が美しい。
それを背に、広い砂浜で日焼けした若者たちが押し寄せる白い波と遊んでいるのがちらほらとみられるようになった。
「この辺に住むのはどうだい。」
「そう言えば、昔、通産省が肝いりで定年後のスペイン移住計画を推進していたわね。あれはどうなったのかしら。」
「どうなったのかね。お役人は一時の流れに乗って騒げばそれでおしまいだけどね。」
「でもそれに乗って移住した人は一生ものだわ。」
「こちらに行ききりと言うわけには行かなかった人も多いんじゃないかな。」
「そうね、やっぱり日本人ですもの。」
一八時バルセロナ・サンツ駅着。
地下鉄で、ランプラス通りにあるリセウ駅に行った。そこから歩いてすぐのところに予約しておいたホテル「オリエント」があった。
バルセロナも暑く、ランプラス通りはこの前来た時とおなじように相変わらずのにぎわい、花屋、おみやげや、アイスクリーム屋、鳥屋等が軒をならべ、大道芸人が賽銭集めを競っている。町は、今日もお祭り、列車で見た荒野との対比はどうだ。