新潮文庫
長崎で学んだ保本登は、幕府の御番医となって江戸へ帰れば御目見医の席が与えられるはずであったが、案に相違して医院見習いとして、小石川養生所に住み込むことになった。そこは赤髭こと新出去城の天下だった。整わない施設で、貧しく蒙昧な患者を男女を相手にしなければならないことから、最初は激しく反抗する。しかし去城の一見乱暴な言動の底に脈打つ人間愛と強靭な精神に影響を受けて次第に引かれて行く。
それにしてもこの作品はどういうジャンルに入れたら良いのだろう。推理小説?、ホラー小説?、捕物帖?、短編小説集?…・いづれもあたっているようでも、あたっていないようでもある。一つ一つが市井の小さな話としてまとまっていて、しかもそれが全体で繋がっていて…・結果としてそれぞれが人情味溢れる素晴らしい作品になっている。
狂女の話
商家の娘おゆみは、幼いときに手代にいたずらされるなどして狂い、色仕掛けで男を誑し込んでは殺してしまうようになった。養生所に牢のような建物を建てて押し込め、お杉という女に面倒を見させていた。登は見習い医等になれるかと、荒れるうちお杉と親しくなった。酔っ払ったある時、お杉に言い寄られたような気がしたが…・。
駈込み訴え
蒔絵師だった六助がなくなったが、富三郎と一緒になったおくにという娘、その幼子4人がいることが分かった。富三郎はぶらぶらするだけで何もせず、5人は極貧の生活。最後の頼るべきじいさんもいなくなったとあって、去城は金と働き口を工面してやる。登は、医はきれいごとでは行かぬ、と学ぶ。
むじな長屋
むじな長屋の佐八は人のためにつくすと評判だったが、おなか…と言いながら喀血を続けた。雨の日、長屋の裏の崖が崩れて白骨死体が出てきた。いまわの際に佐八の告白…・「吉原の妓郎と恋し合って夫婦になったが、江戸大火のおりにいなくなってしまった。死んだか、とあきらめかけていた頃、ふと夜中に現れ「親の義理があって、幼なじみと夫婦にならなければならなかった。でも佐八さんが…。」と叫ぶなり、匕首を胸に刺し、自殺してしまった。死体を裏の崖に埋めたんですが、お迎えが来たんですね。」
三度目の正直
猪之は木を逆さに植えるなど気鬱症のよう。幼いときに女の子に積極的に出られたことでショックを受けたらしい。、時折つんとした女にほれるが、女が積極的になると決まって逃げ出す。そんな猪之がどうした風のふきまわしかお杉に夢中になって…。
徒労に賭ける
日光門跡の下屋敷のあるみくに町に、小さな娼家に固まった一画がある。去城はここでまだ子供娼婦のおとよの性病の手当てをする。「徒労だというだろう。世の中は絶えず動いている。それについてゆけない者のことなどかまっていられない。しかし今、富み栄えている者よりも、貧困と無知に苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間らしさを感じ、未来の希望がもてるように思えるのだ。」去城は、彼がくると商売があがったりと、地元の医者が差し向けた用心棒共を、叩き潰す。
鶯ばか
籠の中に「千両の鶯」がいる、と馬鹿なことを言う十兵衛。彼がいる「伊豆さま裏」、そこで五郎吉一家が殺鼠剤を呑んで心中をはかった。普段からいじめられていた息子の長次が、風呂の薪に使おうと島屋の破れ塀の一部を剥ぎ取った。それをおきぬという性悪女が見ていて御上に訴えでたからだった。
おくめ殺し
高田屋与七は音羽五丁目薮下長屋に「倅の松次郎の代まで無料で貸す。」との証書を出した。ところが息子の代になると出て行け。長屋の連中は家賃は払うようにするから置いてくれと頼むが聞いてもらえない。どうやらそこに茶屋を建てるらしい。なぜ無料で貸す、などと約束したのか。それが判明し、長屋連中は反撃策を練った。
氷の下の芽
おえいは不義の子を産む、といって聞かない。親はおろしてくれとしきりに頼む。事情があると調べてみると、親は娘に働かせそれを掠め取っていたのだ。登に、結婚話と御目見医の話が持ち上がった。登は結婚することにするが、妻に「ここに残ることにする。貧乏暮らしが続く。」と条件をつける。
000606
(1958 55歳)