あの戦争は何だったのか     保阪正康

新潮新書


太平洋戦争は、いろいろ語られ、捉えられてきた。しかし本質的に総体として捕らえた発言は全くなかった。「あの戦争とは何であったのか、どうして始まってどうして負けたのか。」圧倒的に力の差のある米国になぜ戦争したのか、そのようなことにさえ歴史的検証がなされていない。この書はそれに答えようと書かれたものである。

著者はまず旧日本軍のメカニズムから説き起こす。幼年学校、士官学校を経て陸大あるいは海大学をでた職業軍人が支配した。これに国民皆兵のもと徴兵が従わされた。天皇の下に統帥権を有する大本営と、陸軍省、海軍省などが属し、統治権を有する内閣があり、両者は別物で、統帥権の干犯は許さない、となっていた。従って参謀本部はその行為に対する説明などの責任を負っていなかった。次ぎに著者は開戦にいたるターニングポイントを226事件に求める。この事件で天皇親政を望む軍の「皇道派」が起こしたものであったが、天皇は「断固、青年将校を討伐せよ。」とされ、反乱軍は鎮圧された。しかし岡田啓介首相以下3人が惨殺された。しかもこの結果軍の内情を知っている現役将官のみが陸軍大臣、海軍大臣になることになった。天皇は神格化され、人々は口をつぐんだ。この結果軍は内閣を意のままに操るようになり、近衛内閣の日中戦争をやめさせようとする試みなどもつぶされてしまった。

中国では日本は主要都市をおとしても、面を確保し奥地に移って徹底抗戦を繰り返す蒋介石政権に手を焼いていた。陸軍ではなく海軍を中心に日独伊防共協定などで北進論をおさえ、援蒋ラインをつぶせとの議論をおこし、南部仏印に進駐した。海軍は国内では陸軍に押さえられ、国外では軍縮協定で軍艦の量を制限されるなどして反米意識が強く、それらが一気にふきでた。さらにABCD包囲網が形成され、石油の道を閉ざされると燃料不足を口実に日本を戦争に導いていった。

真珠湾攻撃は山本元帥等企画による見事な成功だった。続いて日本はオランダ、イギリス、フランス等の殖民から民族を解放すると、東南アジアに攻め入り、成功をおさめた。しかしミッドウエイでは情報を解読されて完全に裏をかかれ、ガダルカナルではアメリカの突然の総攻撃に完敗してしまった。この二つの戦争はまさにターニングポイントだった。しかし日本の首脳部は「戦争の終結像」すら描いておらず、まして「このままの戦い方でいいのか。」などの問いかけも発せられなかった。大本営発表が嘘で塗り固められたのも、この頃が最初である。これに対して米国では「リメンバー・パールハーバー」などのスローガンのもと国民が結集して行った。
昭和18年になると、山本元帥が打たれ、アッツ島で玉砕し、机の上で作ったにすぎない「絶対防衛圏」なるものが喧伝された。強制的な言論統制が行われ「欲しがりません、勝つまでは」などスローガンのもと、国民は苦しい生活をしいられた。一方でアジアの賛同を得ようと大東亜会議を開催するなど取り繕おうとする姿勢も出始めた。
19、20年になると東条は軍令とインパール、サイパン、フィリピン、硫黄島など次々におち、東条内閣が失脚、小磯内閣、20年には鈴木内閣が誕生した。そしてポツダム宣言、原爆投下、天皇が動くことによっての終戦宣言、つまり負けたと宣言した・・・、正確にはミズーリ号上で調印が行われた20年9月2日が終戦記念日である。

最後に著者は「太平洋戦争そのものは日本の国策を追う限り不可避なものであった。」としながら「日本という国は、あれだけの戦争を体験しながら、戦争を知ることに不勉強で、不熱心。」と断じ、あとがきで述べる次の語句に、私はうなづく。
「思想や土台は余り考えずに、戦術のみにひたすら走っていく。対症療法にこだわり、ほころびにつぎを当てるだけの対応策に入り込んでいく、現実を冷静に見ないで、願望や期待をすぐ事実に置き換えてしまう。太平洋戦争は今なお私たちにとって「よき反面教師」なのである。」

060307