ビルマの竪琴          竹山 道雄


新潮文庫

第1話うたう部隊
ビルマを転戦していたわれわれは本当に良く歌を歌いました。水島上等兵は手製の竪琴
得意でした。曲目は「菜の花畠に」や「パリの屋根の下」などですがお得意は「はにゅうの宿」でした。戦局思わしくなくなって我々は密林の中をビルマからシャムに逃げる事になりました。しかし国境の村で歌っているときに、イギリス軍に囲まれてしまいました。私たちは敵を油断させるために歌い続けながら戦闘準備を続けていると、なんとイギリス軍も我々と同じ歌を歌い出したではありませんか。とうとうわれわれもイギリス人も一緒になって歌い出しました。その夜我々は三日前に停戦になり、日本が敗れたことを知りました。
第2話青い鸚哥
イギリス軍に「あの三角山に日本軍が立てこもっている。もう戦いは終わったのだから説得に行って欲しい。」の依頼されて、水島上等兵が出掛けました。残りの者は捕虜となり、イギリス軍の指揮の元にムドンの捕虜収容所に行きました。水島は戻ってきませんでした。収容所で三月くらい経った頃、収容所の周りを青い鸚哥を肩に乗せた水島そっくりのビルマ僧が歩いておりました。収容所に通ってくるおばあさんの話から三角山で水島が亡くなったらしいという情報を得ました。ある時われわれは作業途中お寺で休み、歌を歌いました。するとその時地下のどこかしらからあの竪琴の音色が聞こえて来たのです。やっぱり、水島は生きているのかもしれない、あのビルマ僧かもしれない。隊長はおばあさんから得た鸚哥に「おーい、水島、日本に一緒に帰ろう。」という言葉を教えました。おばあさんがその鸚哥をあの僧に届けてくれました。いよいよ我々が日本に帰る日がやって来ました。すると収容所の外にあの僧が現れました。そして我々の歌にあわせて竪琴を弾き出したのです。そうです。あの僧はやっぱり水島だったのです。しかし水島は我々のもとに戻ることなく消えてしまいました。
第3話僧の手紙
帰りの船の中で隊長が水島から送られた手紙をみんなに読んでくれました。「私の行動をご報告します。あの三角山で私は説得に行きましたが聞いてもらえませんでした。そのうちにイギリス部隊が発砲しだし、私も被弾し気を失いました。気がついたとき蛮人の村で手当を受けていましたが、彼らの目的は私を食う事でした。酋長の娘のはからいでやっと逃げ出し私は僧の姿に身を変えてムドンの町を目指しました。途中で僧としての道も教わりました。日本兵の白骨をみつけるとひとつひとつほおむりました。しかしシッタン川のほとりの死体は数が多すぎてそのままにして行き過ぎました。やがて私はムドンに着き、皆様の部隊をのぞいたり、少年に竪琴を教えたりして迷いましたが、あの死体の山を忘れることはできませんでした。とうとうビルマに残る日本人の白骨を処理するまで日本に帰りますまい、と決心したのです。」

童話として発表されているが、強烈なメッセージをもった作品である。個人も国家も我を通し、支配しようとしすぎてはいけない。日本の失敗はそれを語っている。しかし行為を行おうとしたその時点では日本全体としてその選択が一番正しいと考えた。そして目標達成のために頑張った。それが失敗に終わったからと言って、彼らの子孫である我々はどうしてそれを非難することができようか。そのために亡くなった人たちの冥福を祈るばかりである。そんな風に言っているように思えた。

・ 軍服を着る義務と袈裟を着る義務とでは、そのよってきたるところは、結局こういうところにあるのだと言うことになりました。つまり、人間の生きていき方がちがうのだ、ということになりました。一方は、人間がどこまでも自力をたのんで、すべてを支配していこうとするのです。一方は、人間が我を棄てて、人間以上のひろい深い天地の中にとけこもうとするのです。(59p)
・ 世の中が乱脈になったように見えても、このように人目に付かないところで黙々と働いている人はいます。こういう人こそ、本当の国民なのではないでしょうか。(128p)
・ 我が国は戦争をして、負けて、苦しんでいます。それは無駄な欲を出したからです。思い上がったあまり、人間としてのもっとも大切な物を忘れたからです。(190p)
・ 「自分の経験を他人に伝えることは、これほどまでにむずかしいことなのか。俣他人の経験を具体的に知ることは、これほどまでにできないことなのか」と思いました。(202p)
・ 戦死した人の冥福を祈るような気持ちは、新聞や雑誌にはさっぱり出ませんでした。それどころか、「戦った人はたれもかれも一律に悪人である」といったような調子でした。…・私は承伏することができません。(206p)

010813