墨東綺談       永井 荷風


新潮文庫

60に近い作家、わたくしこと大江匡は、浅草公園から吉原方面をよく散歩し、古本屋でちょうど飛び込んできた男から胴抜きの長襦袢を買ったり、巡査の不審尋問を受けてそれが見つかったりする。わたくしは、現在小説「失踪」の構想を練っていて、ある時主人公種田先生が家族を捨てて世を忍ぶ所をきめようと、玉の井あたりに繰り出すと突然の雨。傘の中に入ってきた女の薦めるままに女の家に行く。女はお雪といい、島田も美しい二十四、五のなかなかの容貌でなんとなく買ってしまう。
わたくしの家は隣家のラデイオがうるさく、書き物をする気にならず、自然にお雪を足繁く訪ねるようになった。三ヶ月が過ぎ九月も半ばになった。お雪は快活な女で、その境涯をさほど悲しんでいる様子もない。それはわたくしが茶の間の片隅に坐って、破団扇の音もなるべくしないように蚊を追いながら、お雪が店先に坐っている時の、様子を暖簾の間から透かし見て推察したものである。お雪は倦みつかれたわたくしの心に、偶然過去の世のなつかしい幻影を彷彿たらしめたミューズであった。
しかしお雪はいつとはなく、わたくしの力によって、境遇を一変させようと云う心をおこしていることに気がついた。しかしそれはお雪が真に幸福なる家庭人にならしめる道ではない。わたくしは密かに別れる決心をした。
以上がプロットであるが、大江匡はもちろん作者自身である。お雪との生活を通して滅び行く東京の風俗、作者の思い、世相への批判などが、それこそ自由に、作者の筆の向くままに描かれているところが眼目で、進め方は名人芸。さらに盛り場の沿革、ある時は自作の俳句(44p)あるいは詩(82p)陳、またある時は「失踪」の一部開陳など、少し横道にそれて蘊蓄を傾けているところも楽しい。文章は時にだらだらと長く、丁寧で、江戸時代の擬古文を思わせる書きぶり、しっとりとした情感を楽しみたい。

・ 日本堤橋とおりの記述(7p)
・ 聞いたばかりの話だから、鳥渡めかして此の盛場の沿革をのべようか。(41p)
・ わたくしは現代の人と応接するときには、あたかも外国にいって外国語を操るように、相手と同じ言葉を遣う事にしているからである。「おらが国」と向の人が言ったら此方も「おら」を「わたくし」の代わりに使う。(46p)
・ 今の世の中のことは、これまでの道徳や何かで律するわけには行かない。何もかも精力発展の一現象だと思えば、暗殺も姦淫も、何があろうとさほど眉を顰めるにもおよばないでしょう。(102p)(1937 58)
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