白水社
文章読本というタイトルの本はこれまでに5冊くらい書かれたが、いずれも文豪諸氏の手になるもので、小説文に偏っており、文学的過ぎて役に立たない。文章の第一条件は「こちらの考えや用件を正確に相手に伝える」ことで相対的なもの、万人に共通の名文はない、と考える。そういう条件の中で初心者が文章を書くに当たって、留意すべき点を教え、同時に書きたいという熱い思いがあるなら、悪文であってもかまわない、どんどん書け、と薦めている。
1カタカナが書けますか
万葉仮名を、字画の一部を残して作ったのがカタカナで男文字、全体をうんと草体化して作ったのがひらがなである。カタカナの使用はエッセイに多い、ユーモラスな軽いテーマのものに多い、女性の書き手に多い、若年の筆者に多い、擬音語、擬態語、感嘆詞、間投詞などに使われることが多い、字画の多い字や古い言葉に当てはめるケースがある、強調したい文字などに使われている。一般的には茶化した感じがする。
2カタカナ七変化
戦後民主主義の特色は政治的のは民主化、社会的には女性化、それがひらがな主体の文化(ひらがな先習、カタカナにひらがなのルピ等)をうんだ。カタカナは小細工の道具、肩すかし、寝技のたぐいになっている。一方で外国語、揶揄、強調、権威付けなどに使われすぎる傾向もでている。
3「殺し文句」ってなんだ?
文章の第一条件は「こちらの考えや用件を正確に相手に伝える」ことで相対的なもの、万人に共通の名文はない。(「柳多留」の川柳は現代人には通じないものが多い。)しかし世に言う殺し文句、名文には誤った使い方が多い。ジンクス、団地、見本と手本、耳障りと手触り、間・髪をいれづ、情けは人のためならず
4文語体はなぜ絶滅しないか
語感には物差しがない。(族、主婦作家、「内閣総理大臣たる」と「である」の違い)昂然と胸を張る、ここ一番と言うときには文語体がふさわしい。多くの人が文語体の持つ語感がふさわしいと考える限り、文語体は生き続けるだろう。
5文章のプロと素人、ここが違う
なぜか文章読本だけ金ぴかぴかの権威が書く。実際は不可能に近いからだ。プロの文の特色のひとつに、文中に「私」をなるべく少なくすること。書き出しに「私」は絶対使わないこと。
6主婦も天ぷら屋も漫才師も
活字離れ、と言うことが嘆かれて久しいが、私には分からない。本の発行部数は飛躍的に増え、戦後民主主義のおかげか、自己表現の手段としてだれもが書くようになった。ただ問題は誰に対して自己表現をしたいと思っているのか、伝えたい相手は誰なのか認識していない人が多い!出来るだけ大勢の人に理解してもらうか、限られた人でもいいから徹底的に理解してもらいたい、どちらを取るかは考え方によるが受けてを考慮に入れなければならない点では共通している。
7名文は本当にお手本になるか
谷崎、三島、川端等は名文の例をあげ、名文を読めと薦めるが、小説の文章に偏りすぎている。読者の中に小説を書きたいと思っている人は少ないからもっと広い視野で捕らえた名文があるはずだ。新聞は決まり文句のオンパレードだが、「型を学び、型から出る」も大切で学ぶべき点は多い。
8新聞記者の文章修行
美談ばかり書く記者になるな、つめが甘くなる、と先輩に教えられた。一番心がけなければいけないのは「間違ったことを書いてはいけない。、また、そのためにはどんな注意が必要か。」である。誤用は驚くほど多く、出さないように最大限留意した。(毛頭、鳥肌が立つ、Liverpool、お仕着せ、くもりガラス、食客 etc.)ただ思い違いや錯覚によるミスにはそんなに目くじらを立てなくても良いのではないか。
9ら抜き言葉は時代の風だ
ら抜き言葉を使うべきではない、という議論があるが、多くの人が使う言葉が、正しい言葉になって行くもの、否定することは出来ないと思う。
10遺書にも嘘をつく人
藤村操の巌頭の感のように遺書にさえ、嘘が混じっている。遺書を読んで同情する信条は理解できるが、真実を語っているかどうかは別問題だ。
11悪文を生体解剖する
著名人がそれぞれに名文の定義をしているが、必ずしも明確ではない。大体名文には「移りゆく名文像という項目もあって、時代によって違うとも述べられているほどだ。しかも花登筺、石原慎太郎、安井かずみのような有名人だってひどい文章を書いている。さらに法律の文章が悪文であることは周知の事実で、日本国憲法前文などは主語と述語のあいだに百語もはさまる悪文である。
12悪文を越えるもの
一筆啓上に応募してきた文書の中には文章はうまくないが人に訴えるものがある作品がめだった。名文の技術も必要だが、人々に訴えたいという切実な思いが文章を書く上で重要だ。いっぱい、いっぱい、表現したいもの、叫びたいものがあるならば、必ず文章は書ける、うまくなる。私はそう信じている。
991230