文章読本           谷崎 潤一郎


中公文庫

 日本語の文章は日本固有の文化を元にできあがった物で、西洋のそれとは根本的に違います。そのような認識に立って、良い文章とはどういう文章か、そのような文章を書くのにどのような点に留意したら良いかを豊富な実例を挙げながら教えてくれる書です。以下に出来るだけ作者の言い方を模倣して、要約を書きだしてみることにします。
 大野晋の「日本語練習帳」と合わせて読むと良いでしょう。
一 文章とは何か
 言葉は思想を伝達する機関であると同時に、思想に一つの形態を与える、纏まりをつける、という働きを持っております。話す方は、その場で感動させることを主眼としますが、文章の方はなるたけその感銘が長く記憶されるように書きます。現代では口語文を用い、実際のことが理解されるように書くことが肝要です。「分からせる」ために音楽的効果と視覚的効果も大切で、そのために字面が重要になってきます。素読とセンテンスと次のセンテンスの間の間隔に意をはらう必要があります。ただ、「分からせる」ことにも限度があることは、常に心に留めなければいけません。
 欧米の言葉と日本語の文章の間には、永久に越えるべからざる垣があります。日本語の欠点の一つは言葉の数が少ない事ですが、これはわれわれがおしゃべりでない証拠で、逆にそれを良しとしているのです。そのため英文の様に極端に長い形容詞などは使いません。今後はいたずらに西洋の模倣をせず、彼らから学び得たことを、何とかして東洋の伝統的精神に融合させつつ、新しい道を開かねばなりません。
二 文章の上達法
 よい文章を書くために初学者はいざ知らず、曲がりなりにも文章が書けるようになりましたら、文法に囚われてはいけません。名文とは「長く記憶に留まるような深い印象を与えるもの」「何度も繰り返して読めば読むほど滋味の出るもの。」です。それに必要な感覚を磨くには「出来るだけ多くのものを繰り返して読むこと」「実際に自分で作ってみること。」が肝要です。また感覚は、一定の錬磨を経た後には、各人が同一の対象に対して同様に感じるように作られている、ことに留意すべきです。
三 文章の要素
 文章の要素は用語、調子、文体、体裁、品格、含蓄の六つです。
 用語は「異を樹てようとするな」に帰着します。分かり易い語を選ぶこと、なるべく昔から使い慣れた古語を選ぶこと、適当な古語が見つからないときに、新語を使うようにすること、造語は慎むこと、難しい成語よりは、耳慣れた外来語や俗語の方を選ぶべき事が肝要です。
 調子には代表的なものが5つあります。源氏物語に代表される流麗な調子は、センテンスの切れ目がないなどもっとも日本文の特長を発揮した文体です。簡潔な調子は、引き締めた、余計なおしゃべりを書かない文章でなければいけません。冷静な調子は調子のない文章で乾燥しきった流露感のない、停滞した名文でなければなりません。他に飄逸な調子、ゴツゴツした調子などを時に用います。
 文体には講義体、兵語体、口上体、会話体があります。講義体はもっとも口語体に遠く、文章体にちかい形です。兵語体は兵士が上官に物を言う時に用いられ、であります、でありました、を末尾に用います。口上体はあります、ありましたの代わりにございます、ございました、を用い、兵語体より丁寧な言い方になります。会話体は本当の口語文とも言うべき物ですが言い回しが自由、センテンスの終りの音に変化がある、語勢を感じ、微妙な心持ちや表情を想像できる、作者の性の区別が出来るなどの特色があります。
 体裁はふりがな、送りがな、漢字および仮名の宛て方、活字の形態、句読点等が問題になります。漢字の宛て方は多くの字面に二通りの読み方があることに注意する必要があります。(生物、食物、帰路、振子、生花、出入等)いろいろ配慮するのですが、日本の文章は、読み方がまちまちになることをどうしても防ぎきれない事は事実です。同じように句読点も合理的には扱いきれない側面を持っています。
 品格について大切なのは、饒舌を慎むこと、言葉使いを粗略にせぬこと、敬語や尊称を疎かにせぬことです。また品格のある文章を作りますには、何よりもそれにふさわしい精神を涵養することが大切であります。
 含蓄はこの本の説いているすべてと言っても過言ではありません。無駄な形容詞や副詞を多く使いすぎてはいけません。本当の芸の上手な俳優は、喜怒哀楽の感情を現しますのに、あまり大袈裟な所作や表情をしないものであります。

・源氏物語須磨の英訳(64p)
・現代の文章の書き方は、あまりに読者に親切過ぎるようであります。(208p)
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