武士道   新渡戸稲造

岩波文庫

著者は、切手にも5000円札にもなっている有名人だが、馴染みがなく調べてみた。1862年生まれ、旧盛岡藩士族の出身。札幌農学校(現在の北海道大学)2期生、東京帝国大学卒業後、太平洋の架け橋になりたいとアメリカに留学、ジョン・ホプキンス大学で学ぶとともに、クエーカー教会に通い、後に妻となるメリー・エルキントンと出会う。敬虔なキリスト教徒(クエーカー)として知られる。札幌農学校教授として帰国するが、体調優れずカリフォルニアに転地療養などを行い、その間に本書「武士道」を表す。おりから日清戦争で日本が勝利し、世界の注目が集まっていたときで大ヒットした。1906年第一高騰学校長、東京帝国大学農学部教授兼任、1918年東京女子大学学長に就任、1920年国際連盟事務次長等の要職を経る。1933年ビクトリア市で客死。
著者によれば、武士道は武士がその職業においてまた日常生活において守るべき道である。成文法ではないがゆえに、実行によって一層力強い効力を認められている。
武士道に運命に任すという平静なる感覚、不可避に対する静かな服従、危険災厄に直面してのストイックな沈着、生をいやしみ死を親しむ心等を与えたのは仏教である。仏教が与えられなかった主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行などを神道が供給した。神道に対する教義には我が民族の感情生活の支配的特色たる愛国心および忠義が含まれている。
以上の様な考え方に基づき、著者は以下に武士道に言う義とは何か、勇・敢為堅忍の精神とは何か、仁・惻隠の心とは何か,礼とは、誠とは、名誉とは、忠義とは、と議論を展開してゆく。そして婦人の教育・地位などについて解説した後、武士道の日本国民全体への感化について明快にのべている。
「武士階級を照らしたる倫理体系は時をふるに従い、大衆の間からも追随者をひきつけた。」(127p)とし、「過去の日本は武士の賜である」(128p)とする。
敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜花(本居宣長)
16章以下に武士道がしんしんと進みつつある西洋文明の前になくなってしまうものか、との疑問を呈している。西洋文明の代表たるキリスト教について熱心なキリスト教徒でありながら、古来の日本の考え方への影響を非常に冷静に見ている点が注目される。。
「日本の建設者でありその所産たりし武士道は現になお過渡的日本の指導原理であり、しかしてまた新時代の形成力たることを実証するであろうから。」(135p)
「キリスト教伝道が新日本の性格形成上貢献したるところはほとんど見られない。」(136p)
「わが国におけるキリスト教伝道事業失敗の一原因は、宣教師の大半がわが国の歴史について全然無知なることである。」(139p)
そして一方で新しい別の道徳体系が出現することを望みながら、この武士道が日本でやがてすたれてゆくであろうことを予言している。
「・・・・神の国の種子はその花を武士道に咲かせた。悲しむべしその十分の成熟を待たずして、今や武士道の日はくれつつある。しかして吾人はあらゆる方向に向かって美と光明,力と慰謝の他の源泉を求めているが、いまだにこれにかわるべきものを見出さないのである。」(148p)
その状態が戦後60年を経た日本でもまだ続いていると考えられはしないだろうか。歴史教科諸問題、小泉首相の靖国神社参拝問題、若者の教育の問題・・・・いろいろな問題がある中で、そもそも日本人はどういう風であったかを考えておくことも大切と感じる。そういう意味で今現在読み返す価値の高い一冊ではないだろうか。

051012