岩波文庫
「思索」、「著作と文体」、「読書について」の三つの論文が収められており、正論とうなづける理論を展開しているに過ぎないけれども、明快な論理構成と箴言集を思わせる書き口でさすがと思わせる。
思索
読書と学習の二つならば実際誰でも思うままに取り掛かれるが、思索となるとそうは行かない。対象に寄せる関心に左右されながら、思索は燃え上がり、燃え続く。読書はせいぜいなって思索の代用品にすぎない。経験も思索にはずっと劣る。真理は自分の抱く基本思想にのみ宿る。その判断がすべて他人の世話にならず自分が下した者である事が大切である。心に思想を抱いていることと胸に恋人をいだいていることは同じ様なもので、決して忘れることは出来ないものである。
ただ、思索とは何か、真理とは何か、調査のための読書、実感するための経験、そんなものがベースにあって思索自体が成り立つという気もする。日本には同時に「下手な考え、休むに似たり。」との箴言もある。
著作と文体
著作家は、思想を有し、経験を積んでおり、伝達する者のあるものと金銭のためにのみ書く者に別れる。世の中には後者が実に多い。著作家は考えずに書く者、書きながら考える者、執筆に取り掛かる前に思索を終えている者に分けられる。前2者が実に多い。
すぐれた文体たるべきものの第一原則は主張すべきものを所有していることである。第二原則は簡潔な文体、高雅な文体でなければならないことである。この両方を欠いたいいかげんな作品が実に多いから注意しなければいけない。
正しいドイツ語で書くよういろいろ指摘したあとでのコメントは日本の現状にもあてはまることで興味深い。
「品詞の別を作り出し,名詞、形容詞、代名詞の性と格、動詞の時制と話法を区別し、確定した祖先は、実に偉大な驚嘆すべき人々であった。彼らの文法によって、動詞に時称は未完了過去、現在完了、過去完了と精密に細かく区別された。」それらが、今ドイツ文壇では崩れて使われていると嘆く。
読書について
まずでだし、自分自身を振り返って反省させられませんか。リタイヤし、気力も失せた私は快楽に生き、家畜に近い生活を送っているのかも・・・。
「無知は富と結びついて初めて人間の品位を落とす。貧困と困窮は貧者を束縛し、仕事が知に変わって彼の考えを占める。これに反して無知なる富者は、ただ快楽に生き、家畜に近い生活を送る・・・・富と暇の活用を怠り、富と暇に最大の価値を与える生活に意を用いない・・・・。」
この論文のポイントは以下に著される。
「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。・・・・多読に費やす勤勉な人間は、次第に自分でものを考える力を失って行く」
読者はなしで済ますわけには行かないが、世の書物は濫作家、パン目当ての執筆者などのものが実に多い。従って読書に際しての心がけは「読まずにすます技術が非常に重要である。」そして著者は次のように皮肉る「書物を買い求めるのは結構なことであろう。ただしついでに読む時間も、買い求める事ができればである。」・・・・・これは全く私のひごろ本屋にいって感じることと同様である。
050305