ふらんす物語         永井 荷風


新潮文庫

 アメリカで4年を過ごした荷風は、1907年28才で横浜正金銀行雇人となり、ニューヨークからフランス・リヨンに渡り、10ヶ月あまりとどまった。帰朝後1909年から1910年にかけて「新潮」「早稲田文学」等に体験に基づく小品を次々に発表したが、ふらんす物語はそのフランス編をまとめた物である。
フランスを良く知り、フランスにあこがれ、フランスに惚れてゆく様子が、丁寧な長目の文章を用いた情景描写、フランス語の詩、艶っぽい個人体験、文明批評とともに、時には半ば詩のような形で流麗に描かれている。異国趣味と近代感覚で貫かれ、耽美派文学の源流となった作品だそうで、谷崎潤一郎なども影響を受けたという作品である。
 何度かパリをリヨンを訪れた私は、こんなふうにロマンチックに旅が書かれているところに驚き、心の底にわき上がる懐かしさをおさえきれず、小さい文字を目を痛くしながら懸命に追った。

 ニューヨークを出帆してちょうど1週間であこがれのフランスルーアンに到着した荷風は、パリには二日滞在しただけで、早々に任地のリヨンについた。見せ物芝居の蛇つかいの女に思いを寄せ、久しぶりにあった友人の会社人間ぶりに嫌気をさし、アビニオンの女に巻き上げられなどして過ごすが、時はどんどん過ぎていった。
 そしてパリ。夢に見たカルチエ・ラタンで束原(黒田清輝のこと?)画伯のモデルをした女性と邂逅、昔話に花を咲かせた。荷風は、さらに一人旅を愛し、伯爵一家の案内を断った男の話、エリートコースを進みながら次第に懶惰、安逸、虚無の世界にあこがれて行く外交官小山貞吉の話に託し、自分自身の巴里の素晴らしい生活を語って行く。
 しかしついに帰国の時、ジブラルタル海峡を経て、地中海に入り、スエズへ。荷風は考える。明治の文明。それは吾吾に限り知られぬ煩悶をいざなったばかりでそれを訴うべく、託すべき何物も与えなかった。吾等は哀れむべき国民、長い長い船路の果てに横たわる恐ろしい島嶼。どうしてあの巴里をむざむざ去ることが出来たか。しかしポートセットの町もスエズも過ぎ、旅はどんどん進んで行く。新嘉波ははや日本人の匂い、教育先生の演説にあきれ、一人船室に入り、詩集を読んだ。
 後半は橡の落葉と称し、外遊中に起こったエピソードを並べている。「わすれがたき記念は一つとしてマロニエーの木陰にて造られざるはなし。」と慨嘆したマロニエーは、タイトルの橡に類しているのだそうだ。ペールラシェーズやモンパルナスの墓地を尋ねモオパッサン、ボオドレールに思いを馳せる話、バル・タバランでショウを見ながら遊び明かした話、官能的な恋人の話、舞姫の話などを収めている。

 解説では「この一巻の書物は、明治以来の日本人のヨーロッパ文化に対する憧れのもっとも美しい無償な表現で、これからわずか数年後に起こった第一次大戦と、それから二十年へだてておこった第二次大戦がフランスとヨーロッパをすっかり変えてしまった。」とあるが、まだまだこの作品はフランスの本質的魅力を語っているように思う。もう一度、行きたい!

・フランスの野は何もかも皆女性的で、夜の中に立つ森の沈黙は寂しからぬ暖かい平和を示し、野や水の静けさは柔らかい慰撫に満ちているらしく思われた。・・・ああ故郷をさって以来4年の旅路に、自分は今までこんな美しい景色に接した事はない。(22p)
・恋も歓楽も、現実の無惨なるに興ざめた吾等には何という楽園であろう。(27p)
・生きようと悶く、飢えまいと急る。この避く可からざる人の運命を見る程悲惨まものはあるまい。自分は自殺した人や病気で死んだ人に対するよりも、単に「生活」と云うものの為めに目覚ましく働いている人を見る時、如何に辛く如何に傷ましく感ずるであろう。(91p)
・このフランスでは、たった一人の劇詩人が、新たにアカデミー会員に選ばれると云えば、全都全国の新聞が全紙面を埋めてこれを是非する位じゃないか。(121p)
・自分はこの場合の感情・・・・フランスの恋と芸術とを後にして、単調な生活の果てには死のみが待っている東洋の端れに旅して行く。それらの思いを遺憾なく云い現した日本の歌があるかどうか考えた。(192p)
・リヨン・・・瓦赤く、壁白く、扉青し。藤棚に覆われる出窓の欄干には、川魚天麩羅お料理の札をさげ・・・。(227p)
・彼らは、波打つ裾と、殊更短きを穿きたる靴足袋の間より、折々面に微笑を含みて膝の上の肌を窺わしむる悪戯をいとわざりき。(240p)
・君は透見ゆる霞の如き薄紗の下に肉色したる肌着をつけ給いたれば、君が二の腕、太腿の、何処のあたりまでぞ、唯一人君が寝室に訪う人の、まことに触れ得べき自然の絹にして、何処のあたりまでが、君が薫りを徒に、夜毎楽屋の媼の剥ぎとりべき、作りし肌なるべきか。(247p)
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