学問のすすめ       福沢諭吉


岩波文庫

この書は明治5年から9年にかけて、おりおりに記されたものを合本にしたものであるが、維新を終え、これから新しい日本をつくって行こう、という気概が強く感じられ、現代においても十分通用する説得力を持っている。
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。人は自由であるが、世間を見渡すと金持ちも、貧乏人も、貴人も、下人もいる。その差を考えると智恵である。智恵をつけるには学問を学ぶ必要がある。
ここでいう学問とは学者の好む実のない文学などを言うのではなく、人間普通日用に近い実学である。そして学問をするには分限を知ることが大切である。分限を知らないとわがまま放蕩に陥ったりする。分限を知って互いに切磋琢磨し、自分の職分を全うする気構えが必要だ。
人と同様国家もまた自由平等である。理のためにはアフリカの黒人にも恐れ入り、イギリス、アメリカの軍艦も恐れる必要はない。そして国の恥辱とあれば日本国中の人民一人残らず命を捨てて国を守る、その気概で自由独立を守る必要がある。中国のようにいたずらに外国人を馬鹿にし、あげくひどい目にあっているのは頂けない。
第六編と第七編は後に議論になった。
第六編は政府は国民が作ったものであり、国民を代表して法を執行するものであり、国民はそれに従わなければいけない。たとえば人を殺す者を捕らえて死刑に処するのは国の仕事である。その意味で私的裁判は禁止すべきものだ。赤穂義子や政敵の暗殺等は誤っている。
第七編は国民を政府の下にたつ客分としての立場と、国家を作り、その法を定めて管理亜売る主分の立場に分けて論じている。客分たる国民は法律に不便な所があるからと言って、それを口実に破ってはいけない。一方で主人たる政府は国民を守る義務があるとしている。後半にそれでも国が暴政に傾いたときはどうすべきかを論じ、あくまで正論を論じ、政府に迫るべきだ、としている。この伝で行けば赤穂浪士は命の捨て場所を知らぬ者であり、世間に恥じ無い者は佐倉宗五郎であろう。
読みようによっては「悪法も法なり」的に解釈されるところが問題だったのかも知れない。しかし世界中に行われる専制政治を好まず、自由民権を主張していることは疑いの余地がない。
第八編以降は各論的になってくるけれども、その中で面白かったのは第12編で演説の重要さを述べているくだりだ。「学問の要は活用にあるのみ、活用なき学問は無学に等し」と断じ、言葉をもって論じれば人に了解させ、人を感じ入らせることができるとしている。そして後半の「人の品行は高尚ならざるべからずの論」では、父兄らの要求ある学生の品行問題をとりあげ、重要ではあるが、良く内外の有様を比較し、見識を広めることの方が重要としている。
14編の心事の棚卸以下の議論も意味が深いと思う。人の世を渡るのを見ると、予期に反して悪事を働いていたり、愚かなことをしていたりする場合が多い。大切なのは時に疑うことである。よく東西の事物を比較し。信ずべきを信じ、取るべき所を取り、捨てるべき所を捨てることである。
15編では人としての独立を述べている。独立には有形、無形の者がある金銭てきな面と精神的な面と言うべきであろう。さらに17編では人望が大切で、それが信用をうむと論じている。

<目次>
初編
二編
人は同等なること
三編
国は同等なること
一身独立して一国独立する事
四編
学者の職分を論ず
五編
六編
国法の貫きを論ず
七編
国民の職分を論ず
八編
我が心をもって他人の身を制すべからず
九編
学問の旨
十編
十一編
名分をもって偽君子を生ずるの論
十二編
演説の法を勧むるの説
人の品行は高尚ならざるべからざるの論
十三編
怨望の人間に害あるを論ず
十四編
心事の棚卸
世話の字の義
十五編
事物を疑って取捨を断ずる事
十六編
手近く独立を守る事
心事と働きと相当すべきの論
十七編
人望論
010511