新潮文庫
人間は、二足歩行で手を解放し、その手に道具を扱う役割を果たさせ、それを発達した大脳で制御するという方法によって、急速に強い優勢な動物になった。狩猟はかっては食われる危険と表裏一体であったが、一方で動物達はお互い大きな智恵を共有することで個体のエゴを制限し、そこにちゃんと安心立命を見いだしていた。人間は強くなり過ぎてしまったかのように見えるが、種としての人間には何の変化もない。しかし今から昔に戻ることは出来ない。われわれは時々昔を思い出して、自分の今いる位置を確認すること、岸からそんなに遠くへ離れていないことを確認し、せめて岸が見える範囲で漂うようかじをとること、ほんの数世代前は狩猟で暮らしていたことを忘れないこと、そして、多分、死をおそれないことに留意しなければいけない。自分の中の動物の部分を捨ててしまうのは、有利な取引ではない。
これは最初のぼくらの中の動物たちの私なりの要約である。本書はその透徹した見方による、凡庸な自然賛歌にも感情的な環境保護にもかたよらず、きわめて知的で創造的な自然と人間についての12の論考が治められている。各論考のポイントを掲げる。
T
ぼくらの中の動物たち
・・既述
ホモ・サピエンスの当惑
・・ホモ・サピエンスは自分達の力の過剰を意識し、自分で自分の力を抑えなくてはならないと考え始めた。しかしそれに気付いた人々は、未だに力の神話を信じている人を説得するのに苦労している。捕鯨に反対する人々は人類みんなのペットである、食料ではない、と宣言することによって運動に成功した。しかし種の違いを越えて互いが理解し合えると考えるのはずいぶん見当違いである。
狩猟民の心
・・白人がブッシュマンに水や食料を与えても彼らは当然と思うだろう。彼らの社会では、助け合うということが賞賛するに当たらない日常の行為になっている。それは「人間」という言葉の中に含まれているのだろう。農耕や、富の蓄積や、ハイテクや、安定した日々と引き替えにぼくたちが失ったのはこういう精神である。
U
ガラスの中の人間
・・アリゾナの砂漠に中で行われているエコロジー実験。「「バイオスフィア2」を支えている心理の半分は進取の気性であるかも知れないが、残りの半分は少しづつ悪化して行く地球の環境への恐怖感、地上にせよ、火星にせよ、またロケットの中にせよ、そこから逃れるシェルターを用意しておきたいという逃げ腰の姿勢なのではないだろうか」という記述が印象的だった
V
旅の時間、冒険の時間
・・なぜ人は旅に出るのか、なぜ冒険を試みるのか、について考察している。人間は異常なほどの知力を利用して、自分たちの環境を安全・快適なものに変えた。しかし旅や冒険には、未知の時間におこる予想し得ぬできごとが一杯詰まっている。古来野生の動物はそう言うものに囲まれていたが、それに対するあこがれが我々を旅や冒険に誘うのではないか。
W
川について
風景について
地形について
再び川について
・・以上略
X
いづれの山か天に近き
・・白山と富士山がいづれが高いか、人々はどうやってそれを知ったか、と言う話から始まり、そもそも富士山が日本一の山で3773メートルと認められるまでの話を書いている。
樹木論
・・ゾウとアカシアの木の話が面白い。アカシアには移動という概念がない。アカシアはあちらこちらへ移動できるゾウを想像して曖昧なねたみを感じる。自分よりずっと密度の高い、情報量の多い、興奮に満ちた生活をうらやましく思う。一方ゾウは飢えることもなく。乾くこともまれ、葉を食う動物も身を隠すヒヒのむれも受け入れるアカシヤをうらやましく思っている。このような観点から木の下に立つことは人々にやすらぎを与え、古来絵の題材などになっている。
010930