反西洋思想   I・ブルマ & A・マルガリート

堀田江理訳 新潮新書


見返しに「ナチズム、毛沢東思想、「近代の超克」、イスラム原理主義・・・。「西洋」を敵視して戦いを促す思想は昔から耐える事がない。西洋はなぜ憎まれるのだろう?「敵」は西洋の何が気に入らないのか。・・・聖書、コーラン、ドイツロマン主義、ロシア思想から、特攻隊員の遺書やビンラデインの声明までを渉猟、「反西洋思想」に共通した要素をえぐりだす。現代史の難問に挑戦した画期的論考。」

共著でイアン・ブルマは1951年、オランダ生まれのジャーナリスト。2003年より米バード大学教授。アヴィシャイ・マルガリートは1939年イスラエル生まれ。ヘブライ大学教授で哲学者。
そこには西洋思想の問題点に対する指摘やその押しつけに対する反省等は全くなく傲慢、まるで初期キリスト教の布教書でも読んでいるような感じであるけれども、冒頭の思想を反西洋という概念で一括して述べているところに非常に興味を持った。

オキシデンタリズムというのは著者の造語で「西洋のポップカルチャー、グローバル資本主義、アメリカの外交政策、大都市、性の氾濫などを嫌悪するだけならば問題ではない。問題なのは、そういった理由で西洋と戦争しようとする人々が存在することだ。」とした上で「「敵」によって描かれる非人間的な西洋像のことを、私たちは本書で「オクシデンタリズム」と呼んでいる。こうした偏見の数々を検討し、その歴史的ルーツをたどろうとするのが、この本の試みである。」とする。

冒頭著者は日本が真珠湾を攻撃した翌年1942年に行われた学者や文人たちの座談会を紹介する。テーマは「近代の超克」。1850年代から1910年代まで日本は「文明開化」の名の下にあらゆる西洋文明を吸収して行った。かなりの成果を挙げ、植民地化を免れただけでなく自らも列強の仲間入りをし、日露戦争に勝った。しかし急激な変化による損失や弊害も避けて通れなかった。経済の混乱などで、日本は「知的消化不良」とでもいうべき現象に苦しめられた。西洋に打ち勝ち、近代的なまでに理想化された精神的過去に立ち返るにはどうしたらいいか、そういったことを議論したのである。問題なのは似たような意見が現在でも世界中で人々を感化し続けていることである。
第1章「西洋の都市」で、世界貿易センタービル爆破事件で、あのタワーがアメリカの富と権力の象徴、現代のバビロンであるニューヨークの象徴、人々があこがれると同時に忌み嫌う「アメリカ的なものすべて」の象徴であったとする。一部のイスラム教徒にとって都市はしばしば売春婦に譬えられ、うそつきだとされる。もともとイスラム教徒は都市をそのように見ているわけではなかったが、ワーグナー、ヴォルテール、ハリウッド映画、ユダヤ人の負のイメージ等が都市をそのように見る思想を植えつけた。触発されたオキシデンタリストには毛沢東、クメールルージュ、タリバン等が上げられる。浄化された都市、つまり統制の取れた都市建設をナチスが、北朝鮮がめざした。

第2章「英雄と商人」では自由主義、民主主義が商業国に一番適した主義だが、凡庸で腐敗しているように見えると指摘する。そうした中で「英雄主義」をかかげ、非西洋世界のインテリ層にうけがよかったのがドイツナショナリズムだ。「軍人勅諭」の教育を受けた神風特攻隊は、それをもとに「死の崇拝」を生み出し、自己犠牲に走った。オサマ・ビン・ラデインの若い信奉者にハッパをかけるやり方は神風特攻隊と類似している。自縛戦術行為を、死ぬ覚悟のできた聖戦戦士と、快適主義中毒に陥った軽蔑すべき連中との「戦争」との形で捉えさせるのである。
第3章「西洋の心」では西洋の心のアンテイテーゼとしての「ロシア魂」に主として焦点を当てる。ドストエフスキー等に代表されるロシアの土着主義思想家は、西洋の合理主義に対する国民的・民族的モデルを提供しており、それはインド、中国、イスラム国家などに継承されてゆく。
第4章「神の怒り」。イスラム教徒にとって偶像崇拝は最悪の罪であり、ユダヤ人とキリスト教徒はその典型である。マニ教的な二元世界観等では物質は悪とされる。そういった神を崇拝することによって西洋は悪となった。こうした考えでビン・ラデインは「サタンの米軍と彼らと同盟を結んだ悪魔の支持者」への聖戦を呼びかけている。背後には自縄自縛に陥ったサウジアラビアのワッハービズムが存在する。

終章「思想の相互汚染」で、こういったオキシデンタリストの責任を追及している。
第一に、覚えておくべきことは「西洋はイスラム教と戦争をしているわけではない。」ということで、イスラム世界内部の熾烈な戦いは彼ら自身の手で解決される事が望ましい。第二に現在旧植民地で起こっている残酷な事態に無頓着であってはならぬ。またそれをまたアメリカ帝国主義、グローバル資本主義、イスラエルの拡大主義等に責任転嫁することは的外れでる。それは「西洋人だけが道徳的責任を負えるほど成熟している」とする別のオリエンタリスト的な東洋蔑視につながる。

061015