河出書房新社世界文学全集 原田 義人 訳
ある朝、グレゴール・ザムザが目覚めたとき、彼は一匹の巨大な毒虫に変わっていた。ザムザの一家は母親と働いていない父と妹がおり、必然的に一家の生活は旅回りのセールスマンとしてのザムザの仕事にかかっていた。
毒虫になったザムザを発見して、ザムザを呼びに来た雇い主は逃げだし、下宿人は出て行き、父親は無関心を装い、母親はおろおろするだけである。そんな中で妹は餌をやったり、部屋を掃除したりしたり、一応兄に対する気遣いを見せるが、それも次第に一家にかかった災難からどう逃れるかという合理的な考え方に変わって行く。それら個人個人の対応とザムザの滑稽なまでの努力がなんとも薄気味悪く書かれている。
作品はやがて何も食わなかったザムザがやせこけて死に、一家は父親の「さあ、こっちへ来いよ。もう古いことは捨て去るのだ。そして少しはおれのことも心配してくれよ。」との言葉に、二人の女が戻って彼を愛撫する事で終わっている。
作者はこうした非日常的な話しを書いて何を訴えようとしているのだろうか。確かに主人公ザムザは、二十世紀における小市民生活の悲劇を描き出した(解説)、という考え方も当たっていなくはないと思う。虫への変身を一家の柱が突然交通事故か何かで不具になってしまったケースでも考えれば、それはそれであてはまるのかも知れない。しかしそれ以上の何かがあるような気がする。
解説にいろいろ書いてあるが、考えてみよう。
F・カフカは1883年プラハに生まれたユダヤ人である。貧しいながら、プラーク大学でドイツ文学を学び、保険会社などで働く一方創作活動を行う。29歳の時にフェリーチェ・バウアーと出会い、、以後5年間にわたって二度婚約し、二度とも別れている。そして1915年32歳の時にこの「変身」を発表している。1924年42歳で喉頭結核で他界。30歳の時の写真があるが、目が大きく一寸神経質で聡明そうな顔をしている。
多感な、女性問題もかしましい時代に書かれた事を考えると、彼は現在の自分に歯がゆさを感じ、殻を破ってみたくなったのでは無いか。そして毒虫になるという実験を紙の上でやってみようと考えたのでは無いか。自分自身の考えがどう変わるだろう、自分を見る周囲の目がどう変わるだろう、自分を失ってどうするだろう、それを考えてみようと極端に走った小説を書いたのだと思う。
・セールスマンたちはまるでハレムの女たちのような生活をしている。(360P)
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