岩波文庫 米川正夫訳
キリストの誕生後100年を経た、ローマ皇帝トラヤヌスの治世、ローマ太守に支配されるキリキヤの国タルソの町に、ユヴェリナウスという富裕な商人が住んでいた。これはその息子ユリウスと父が友人として選んだ奴隷の息子パンフィリウスが生涯を掛けて議論した物語。
二人は哲学者の元で学んだが、パンフィリウスは途中で止め、キリスト教徒になった。掟を守って信者たちと俗世を離れた共同生活を始めた。彼は、ユリウスにも薦めたがそのままになった。
父に可愛がられたユリウスだったが無為と贅沢と放恣な快楽のうちに身を持ち崩し、父と母を憎むようにさえなった。そんな時パンフィリウスを思い出し出かけて行く途中、見知らぬ男にあった。彼は「お前の体には欲望がまだ燃え滾っている。キリスト教徒のところへ行く考えは止めにした方が良い。そんなことよりもう一人前の男になったのだから父親と和睦し、結婚し家業や社会事業に進むがよい。」
しかし最初は幸せに見えた結婚生活も次第にあきてきた。幸せとは言えなくなった。ユリウスは再びパンフィリウスと会った。彼は肉欲でなく精神的愛に基づく結婚を説いた。幸せそうで、マグダレーナという信者が好きなように見えた。それでも彼は現実に起こっていることを重要と考えた。
十年過ぎた。ユリウスは戦車で負傷し、入院生活を送ったが、このときキリスト教徒の女奴隷に影響を受けた。回復後、1年経ってキリスト教徒の裁きに立ち会った。またパンフィリウスと議論する機会を得た。彼は子供にキリスト経的教育をうけさせるよう説得したが、ユリウスはこれも断った。
それからさらに12年経った。ユリウスの妻は死に、息子たちはひとかどの者になったが、金をどんどん使った。さらにユリウスは太守が変わり失脚直前になった。彼はことによったら平安を見いだせるかも知れないとキリスト教徒の部落に赴いた。パンフィリウスが優しく彼を迎えた。実をつけぬブドウを見て「おれの生涯もちょうどこの通りだ。」と感じた。やがて労働が彼を変え、ようやく平安が訪れた。
集団で生活し、上下の区別なく、収穫されたものを公平に分ける、という原始キリスト教の考え方は共産主義と同根ではないかと思いつき、驚いた。そしてしかもそのシステムが個人の欲望を刺激しないからうまくゆかない、と言う考えも斬新である。各過程での議論は宗教・政治・社会・恋愛・結婚・家庭など幅広く行われおり、やや抽象的ではあるが次第に深まって行き、作者の考え方が良く出ている。
・ われわれは人間固有のあらゆる特質を、常に変わらぬ同一目的に達する手段と見なしている。それはわれわれが全生涯を捧げている目的…つまり神の意志の実行なのだ。(53p)
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