岩波文庫
実は私はデカルトについて、「われ思う、ゆえに我あり」と言った人、という以外何も知らなかった、といってよい。
1596年、フランス、トウレーヌ州生まれ。哲学者・数学者・物理学者。8歳のときからアンジューイエズス会の王立学院で、古典、論理学、アリストテレスを学んだが、分かったことは自分が何も知らないということだった。ポアチエ大学で法律を学んだ後、ヨーロッパを遍歴、数学、力学などをも学ぶ。1650年ストックホルムで死去。
この書は実はデカルトの三つの試論「屈折工学」「気象学」「幾何学」の序文として書かれたものである。
17世紀はルネッサンスのヒューマニズムが発展し、我々自身の思想を正しく伸展させるにはどうすべきか、その方法論に関心が移っていった。その始まりがベーコンの帰納法、つまり研究に関する事例を集め、それを比較検討し、共通の本質を発見してゆく経験主義のさきがけとなった。デカルトはさらに進めて,量化して、数学的な記号に置き換えて考える方法を導入するなど合理的考え方を薦めているからである。従って難しい言い回しも、三つの試論に目を通すと理解が深まるのかも知れぬ。
方法序説自体は1637年、つまり41歳の時のもので、副題に「理性をよく導き、諸処の学問において,真理を探究するための序説」とある。
全体は6章に分かれているが、ポイントを述べると・・・・。
良識あるいは理性はみなに等しく備わっているけれども、ものの捕らえ方が違うと違う結論にいたってしまう。私は自分の人生のために、真と偽を区別することを学びたいと考え、あらゆる学問を修めたが、「書斎の学問は何の役にもたたぬ」と悟り旅に出る。
自分の思想を構築するに当たって、まず、注意深く速断と偏見を避け、自分自身が明らかに真でなければみとめないこと、難問の一つ一つを小部分に分割して考えること、もっとも認識しやすいものから始めて思考を順序に従って導くこと、最後に完全な枚挙と見直しを行って見落としがない事を確認すること、を原則とした。特にこの考え方を幾何学や代数学に取り入れ、どんな問題もかなり容易に解けるようになった、としている。
さらに思想が構築されるまで、当面、最も良識ある人々に従う、最も蓋然性の高い意見に従い、一度決めた以上は一貫してそれに従う、自分の中にあるものは、自分自身の思想しかないと信じるよう自分自身を習慣づける、そして以上の考えに従いながらこの世の様様な仕事を一通り見直して、最善の仕事を選び出そうと考えた。
これらの道徳を課しながら旅に出ること9年、その後知人から離れて隠れ住み、思索にふけった結果「真理の探究で、少しでも疑いをかけるものはすべて、絶対的な誤りとして排除し、その後,信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうか見極めなければ成らぬ。」と考えた。そしてこのようにすべてを偽と考えようとする間も私は必然的な何かでなければならぬ、と気づきついに「私は考える、ゆえに私は存在する。」という真理を哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れることにした。
その第一原理から演繹した真理の連鎖全体を示したいが、論争中のものも多く、それらは避け、天文学、心臓の運動など人体学などについてさわりだけを第5章でのべた。
さて私は3年前にすべてを書き上げ、出版しようとしたが、ローマ法王庁でガリレオの「天文対話」がコペルニクスの地動説を採るとして否決された。このため私としては慎重にならざるを得ず、また私が何か間違いを犯しているかも知れぬ、などと心配され、論文すべてを発表することはやめにした。しかし発表しなければ、悪意に解釈される恐れがあり、さらに仮説を実験するには相当の協力が必要である、ことも心配された。そこであたりさわりのなく、一方で諸学問でわたしが出来ること、出来ないことを十分明晰に示すような題材「屈折工学」「気象学」「幾何学」を選んで出版することにした。