法医学教室とのわかれ 西丸興一

1995年に書かれたもので、著者は1927年生まれ、法医学者で横浜市大法医学部主任教授、神奈川県監察医などを歴任している。著書に「法医学教室の午後」「続法医学教室の午後」などがある。これらの作品では法医学者として体験し、感じたものをおおむね事件単位で述べている。本書は大学退官に際して書かれたものである。

「ふたつの写真

3月、横浜水上警察署から、作業中の死亡事故が発生、という連絡が入った。56,7歳だろうか、男は倉庫から少しはなれた舗道に横たわっていた。左の耳から漏れ出た血液が路面に赤く広がっている。墜落死で、頭蓋底骨骨折か頚椎骨折が原因と考えられた。

日雇い労働のその男の懐から500万円転がり出た。さらに胴巻きの中側にくるむようにして金、定期積み立て預金証書や郵便預金通帳、合計すると3000万円以上にのぼる。そして和服の女性と小学生らしい二人の子どもの映った写真・・・。

男は10年前に山中温泉の町から行方をくらましていた。建設会社の社長だったが、二重三重の不渡り手形にかかって倒産した。家族は両親と妻と女の子二人、立派な家も抵当に取られ、一家は安アパートに移った。男は「もう一度やりなおす。十年まってくれ。」と言って、書置きをのこして忽然と家をでた。3ヶ月後「横浜で働いている。お前に会いたい、子どもたちを頼む、親を頼む」と書かれ、5万円同封された手紙が届いた。それから毎月か2ヶ月に1度、必ず手紙と金が届いた。

そして10年、最後の手紙が届いた。「あと10日でお前のところに帰る。いまやっとある程度の金ができた。これもう一度やりなおす。」とあった。その矢先の事故だったのである。明日、死体を引き取りに来る奥さんたちに、私は会わないつもりでいた。会えばきっと涙を見せてしまうだろうと思ったからである。(要約)」

しかし今回は、事件関連よりも、自分の日ごろの考えを書きとめたものが多い。その分だけ著者の人間性が垣間見られるとも言える。著者は非常に良心的なお医者さんのようでいろいろ悩み、問題を提起している。その中で死について関連あるものをまとめてみた。

「死と尊厳

人は生きる権利があるように死ぬ権利もある。カレン事件では植物状態になった娘に、両親が治療を中断するよう求めて認められている。ライシャワー元駐日大使も、自分の意思で延命措置を拒否した。死は人生という長いドラマの 最後の厳粛な幕引きの瞬間である。私自身も死ぬときくらい自分流に幕をひいてみたい。」

「安楽な死

家族の強い要請を受けて担当医師が、塩化カリウムという毒物を注射することにより、積極的に死に至らしめ訴えられた事件があった。この事件について軽率な意見を述べるつもりはない。死へのピストンを押すのも勇気の一つかもしれないが、最後まで自分の信念を、仁と愛を、誰もが納得の行く形で貫くのも勇気ではないだろうか。」

「雨彦さんと告知

ガンで親しかった青木雨彦さんが亡くなられた。この事件でガンと告知の問題を考えた。最近では告知するケースが多いが、「患者のために」というより告知しなければ訴えられる恐れがあるから「医師が自分のために告知する」ケースもあるようだ。医師は患者にとって一番いい方法がなんなのか、という模索をさらに続ける必要があろう。」

「法医学教室との別れ

人の一生は、坂を上り続けてゆくのだと言う。そしてのぼりきったところに死があるのだと言われた方がいた。歳をとったら下り坂と言う考え方は、少しも嬉しくない。私も力一杯にぼって、のぼりつめたところで、静かな死を迎えたい」